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刻印のノッカー  作者: アキハル
13/25

12話

 この地は人間には計り知れないほど複雑なパワーバランスで成り立っている。

 足元の何気ない結晶ですらそれを愛でる愛玩者がいて、日夜所有権を争って殺し合っている。美しい石を愛でる畜生というのも妙であるが実際にそのようになっている。

 ここは強欲な獣と蟲の楽園なのだ。

 そんな厄介種に敢えて近づこうという人間がいる。

 イグナートはいつも掘削地で両手を広げて何かを訴えかけていた。

「少しだけ石を分けてくれないか」

 人ならぬ言葉で森にそう訴えかえる。それはイグナートの儀式だった。争わず、まず言葉を投げかける。交流が成立したことは一度としてないがそれでもイグナートはやめなかった。

 イグナートは己を理解している。奪うという行為を何よりも忌避している己を。

 月明かりのような大地に照らされて小一時間語りかける。応えるものは誰もいない。

 大きく息を吐くと、イグナートは己が鍛えた戦鎚を振り上げて、足元の結晶に打ち付けた。

 青白い水晶に亀裂が入るのを確認すると、続けて三点打ち付けた。合計四点を結ぶヒビが入ると戦鎚の嘴をヒビに食い込ませてゆく。

「やはり槌にしたのは正解だったな」

 嘴を入れ込んでヒビを殴打すると縁取った四角形状の結晶がぽっかりと抜け落ちた。

 瞬間、地鳴りが起きる。

 イグナートはこのとき肌、耳、鼻で死の気配が近づいてくるのを感じていた。

 小脇に抱えられる大きさの結晶を紐で括るとイグナートは肩に担いで全力疾走をし始めた。

 石の所有者が怒り狂っているのだ。

 蟲の羽音が聞こえてくる。イグナートは直感的に横に跳ねた。

 黒々とした節足動物の顎が肩を抉る。蝶のように優美な羽を生やしたそれは両手に鋏を持った異形の昆虫だった。強いて特徴をまとめるなら羽の生えたエビというところか。エビと違って獰猛な牙を剥いており愛くるしさはないが。

 ちぐはぐな異形だが珍しくもない。頭部を真正面から打点してやれば黙るだろうが、両手の鋏が曲者でどうにか掻い潜らなければいけなかった。イグナートは物陰に隠れて一日呼吸を入れると、紐に括り付けた結晶をスリングの要領で羽エビへと投げ込んだ。

「おっと」

 防御が間に合わない球速であろう投的だった。

 投石で怯んだのを確認するとイグナートは地面を蹴って、頭上から戦鎚を振り下ろそうとする。すると、羽エビはインパクトの直前で身を引かせてイグナートの攻撃を躱した。

 まるで水中にいるエビのような瞬発力のある後退だった。

 よって大きくよろけたイグナートの戦鎚は行き場所を失い、空を切った。

 だが、今度はイグナートが避ける番だった。エビは後退も早ければ突進も早かった。

 無数の節足から生じるスピードに溜めは存在せず、すぐさま弾丸のように飛んできた。

 回避が間に合わないと悟るやイグナートは背中を丸めて宙に飛び、羽エビに跳ね飛ばされた。

 大きくふっ飛ばされて木の幹に激突した。甲殻の小さな棘に皮膚を切り裂かれたものの、まだ骨はどこも折れていない。呻きを漏らしながら体勢を立て直そうとするが、体がパニックを起こしていて足を踏ん張ることができなかった。

 二撃目が来る。足が動かない以上、飛んで衝撃を逃がす策はもう使えない。

 イグナートは目を閉じて死を覚悟した。

 がりがりと聞こえてきたのは甲殻が割れる音。肉が抉れる音だった。

 目を開けるとそれを為した剣の主がイグナートの前に立っていた。

「君、大丈夫か?」

 凛とした女性の声だった。歩み寄ってくる女性の足元からは甲冑の擦れる金属音が聞こえてくる。イグナートは目を細めるがフードで顔はよく見えない。それなりに身軽な軽装だったが甲冑を着込む女騎士を森で見かけたのは初めてだった。

「助かった。礼を言う」

 イグナートは息も絶え絶えにうつ伏せから仰向けの体勢に切り替えた。

 正面から彼女を見据える。夜であれば何も見えないはずだがここは向こう側の世界。地面に散らされた青白い光が彼女の顔を仄かに照らす。

 ちらと垣間見える彼女の容姿にイグナートは息を呑んだ。

「見たところ部外者のようだが、何故ここに?」

「君と同じだ。試しだよ」

 イグナートにもよく見えるように右手の剣を軽く上げる。比較的細身だがそれでも重厚な西洋剣だった。更に目についたのは刀身に刻みつけられた黒い波紋だった。

 イグナートの戦鎚と同じ、刻印が刻まれた武具だ。

「さっきは本当に助かった。だが、どこから来た?お前は誰だ?」

 ノッカーに画一的な格好はない。だが雰囲気から、全く違う高貴なものを感じていた。

 まるで、どこかで会ったような。

「通りがかりだ。気にすることはない悪いが。ではな」

 そう言って女戦士は踵を返すと、土手のような斜面を登っていく。

 はっと気付いたイグナートは女騎士に声をかけた。

「お前、分かってるのか。その先はまだ調査が済んでいない境界線だぞ。全く違う座標に飛ばされて次の瞬間、水中か土中にいるかもしれん」

「……そうなのか?」

 女は立ち止まって聞き返した。意志の強い声にわずかに滲んでいるのは少々の困惑と不安。

 イグナートは確信した。この女、間違いない。

「まさか、道に迷ってるのか?」

 女騎士は沈黙した。図星なのだろうと思った。

「うむ……仲間とはぐれた」

 ぼそっと恥じらいながらの告白。

 どうやら自分は早速恩返しの機会に恵まれたらしい。

「付いてこい。町まで案内してやる」

 イグナートが歩きだすと女騎士は黙って追従し始めた。

 聞こえてくるのは林道の落ち葉を踏みしめる音だけ。

 半刻ほど歩いた地点でついにこらえきれなくなったのは女騎士は切り出してきた。

「物静かだな。ノッカーとは皆そうなのか?」

「俺は借りを返したいだけだ。他になにかする必要があるか?」

「君は無愛想だな。じゃあ命の恩人として頼みがある」

「なんだ?」

「なにか話せ」

「雑談か……」

 真に面倒な注文だった。元よりイグナートは無駄話を好まない。

「私の気持ちを考えてくれ。もう随分歩いているが景色が変わらないし案内人がずっと無言なんだ。不安が募るのは当然だろう」

 なるほど。他人の気持ちをあまり想像しないイグナートだったが丁寧に説明されれば納得もいく。命の恩人に不快な思いをさせたくないという気持ちも湧いてくる。

 さて、どんな話題を振ろう。ナサニエルならいくらでも湧いてくるのだろうが、自分にとっては苦手分野だ。まず、面白い話は出来ないし、したくない。

 だが話をふる以上は相手の関心を引かなければ意味がないとも思った。

 ナサニエル曰く相手の属性を鑑みれば自然と話題は尽きぬもの、だそうだが。

「この世界が死体で出来ていることは知っているか?」

 女戦士は言葉に詰まった様子だった。イグナートの予想通り、全く予想できない切り口だったらしい。だが興味は引けたようで先を行くイグナートの横に張り付いてきた。

「『雲が晴れて大きな人が落ちてきた。土がどろどろになって人もどろどろになった。落ちた骸は土にずぶずぶ落ちて消えた。』吟遊詩人の与太話だよ」

「その躯は此処に落ちた、と?」

 イグナートは首肯。

(かみ)は宇宙という単位の生命体。人の尺度で測れない大きさで死体の破片がこの星に流れ着いたと言われている」

「馬鹿げている。作り話だろう」

「まぁどうあれ惑星規模で距離と座標の概念が破壊されたのは事実だ。」

 だが、女騎士にとって重要なのはもっと即物的な話。何故世界がこうなってしまったかではなく、今の世界の構造こそが最も知るべき事柄と言える。

「世界そのものだった(かみ)の死体が大陸中に散らばったせいで大陸のあちこちには『世界の果て』が有るんだ。うっかり果てを超えてしまうと全く違う次元に移動することになる」

「私は麓からこの森に入っただけだが……」

「地続きに見えるだけだ。実際は元いた場所から相当遠くに飛ばされている」

 フードで顔の大部分が隠れていたが、口元からでも動揺は十分伝わってきた。

 相手の心を揺さぶるだけの話題を提供できたのだとイグナートは安心した。

「良かったな?俺と会えなければ野垂れ死にしていただろう」

 得意げなイグナートに対して、女戦士は大きく息を吐いた。

「君は女心が……いや、人の心が分かっていないようだな。私は不安だからなにか喋ってくれと頼んだのだ。逆に不安を煽ってどうする」

「……なるほど」

 大失敗だったようだ。

 次の言葉が思い浮かばなかったイグナートは素直に猛省し、素直に沈黙した。

 やはり、自分のような人間は口を開くべきではない。

 ハクやナサニエルがいればこんなことにはならなかった。

 しばらく何も言えないまま落ち葉を踏みしめる音だけが繰り返し響き渡る。

 流石のイグナートも気不味くなってきたところで、横からくすりと笑い声がした。

「君は……可愛げがあるというのかな」

「笑うなよ」

 イグナートは腐った声で応じるしかなかった。

「すまない。いや、私も漫談は苦手なんだ。武芸を磨くことしか知らなくてな」

 そう自嘲してイグナートに抜き身の刀身を見せつける。即応できるよう抜刀しているのは良い心がけだ。いつどこで飢えた獣に出くわすか分からない。

 だが無警戒なのはいただけなかった。イグナートは遠慮なく目を見開いて刀身の像を目に焼き付ける。

「出口までもうすぐだ。そこを抜ければ郊外に出る。街の光が見えるだろうよ」

「礼を言う。私では到底脱出できなかったろう」

「こっちも借りがある。早めに返すことが出来て良かったよ」

 お互いに気を抜いて、安全に踏破できた事実にはにかんだ。

 少なくともイグナートは全く気を抜いていた。

「構えろ!」

 襲撃者に対応できたのは女騎士が迎撃の体勢を見せたからに他ならない。 

 彼女の顔の傾き、視線の先。仰角六十度ほどの中空になにかいる。

 ぴゅんと、音がした。

 音が遅れて、斬撃が落ちてきた気がした。

 青光に照らされて煌めいた光が弾丸のようにイグナートに襲いかかる。

 一瞬見えたそれは白銀の刃と鎧。まだ斬撃の範囲にも入っていないというのに風を切り裂く剛烈な一刀が迫っているのをイグナートは感じた。

 これを受けてはならない。直感的にそう悟るとイグナートは横に跳ねた。

 痛いほどに感じる剣圧が真横を通り過ぎると襲撃者の姿もはっきりと見えた。

 女騎士と同じ意匠の甲冑(こうふ)の男。

「ふぅうん?私の剣を避けるとは中々やるね」

 イグナートは姿を確認すると身構えたが短剣が目を突かんと投げつけられた。

 目をつぶって刺さる前に振り払うと、銀色の剣が喉元に当てられていた。

 終わりを悟ったイグナートは降伏の意を示すためにやや両手を上げた。

「良い勘をしている。だが未熟だな」

「やめてくれウスター、私の恩人なんだ」

 ウスターと呼ばれた男は獰猛な笑みでイグナートを睨み付けた。常人離れした脚力、そして腕力だ。

 ウスターは分析するイグナートを見透かしたように、抜き放った剣の切っ先でゆっくりと首の皮を斬る。まるで力を誇示するように。

「なに、ちょっとした挨拶だよ。彼も分かっているよ、なぁ?」

 人を食った表情で見下してくる。ああ、よく知っている感覚だ。学友と同じ顔だった。

 イグナートは動揺していた。ウスターという男の獰猛な好奇心と先程の斬撃、判断を誤れば身は唐竹割りになっていたであろう緊張感。これらが混ざり合って重圧になっていた。

 だが怯える素振りだけは見せたくない。

「挨拶なら十分だろう。俺は行く」

 声を聴くことすら億劫だ。イグナートは歩を止めずにウスターの横を通り抜けていった。

「まぁ待て。我々は捜し物をしているんだ」

 制止されるも、イグナートは気に留めない。この手の連中を無視するのには慣れている。

 だからこそ足を止めたのはウスターが原因じゃない。焦りや怯えといった感情ではなくもっと動物的な、原始的な衝動だったことは疑いようがなかった。

 闇に同化しているが木の陰に何かいる。人の気配ではない。もっと無機的な、人間とは断絶した物質的なものがそこにあった。

 そこにいたのは人間の3倍ほどの体躯を誇る巨人だった。大風呂敷を荒々しく縫い合わせ、かろうじて衣類の体裁を為しているフードのような被り物で姿を隠している。

「こいつはダダンといってね。なに、そう怖がることはない。素直に質問に答えてくれればダダンはなにもしないよ」

 息を呑んだ。前方に謎の巨人、後方には剣術を修めた騎士が二人。

「そこまでだウスター。私の恩人にこれ以上の狼藉は許さない」

「ほお……許さないとどうなるのかね」

「試してみるか?」

 剣を大上段に構え、いつでも振り下ろせる姿勢を取ってから女戦士は冷たく通告した。間違いなく最終通告だった。この女は斬る。今にも刃が振り下ろされると、そう思わせる殺気を垂れ流していた。

 ウスターの顔色はなおも余裕を崩さない。しかし、答えに窮している様子だった。何を計算しているのか知らないが、イグナートも加勢するとなれば二対二で数の上では互角となる。

「正直、驚いているよ。君はダダンと私を敵に回して勝てると本気で思っているのかい。息巻いたところで結果は知れていると思うがね」

「だから、試してみろと言っている。私を殺してみろ。それで協力関係は終わりだ」

 嫌らしく嘲る男に対して毅然とした態度で女騎士は応じた。むしろ聞いていたイグナートが女騎士の命を心配したぐらいだ。自分も荒事の心得は多少あるつもりだったが、本職の闘気はこうも違うのか。余人には命を捨てているようにしか見えない。

 一触即発の時間はどれほど続いたろうか。

「分かった、分かった。君にそこまで頼み込まれたらもう何も言えないな」

 場の空気を緩めるようにウスターは両手を上げて茶化してみせた。

 いやあすまなかった、忘れてくれと宣いつつダダンと呼ばれた怪物の方へと踵を返していく。そんな態度で毒気を抜かれるわけもなくイグナートは苦虫を噛み潰したような表情を崩せなかった。何なら背中から頭をかち割る良い機会ではないかと戦鎚に手をかけた。

 もっとも意気込みはそこまで。イグナートの直感が『命を拾った』と告げている。

「すまない。こんなことになるとは……」

「いや、二度も助けられたな」

「借りだと思わないでくれ。お互い、今日のことは忘れよう」

 生真面目な性格なのだろう。申し訳無さで声が震えていた。

 安心させたくて精一杯の口端を吊り上げて笑顔を作った。本当は何か気の利いたことを言えればよかったのだが、思い浮かばない。イグナートは大きく息を吐いて、出口へと歩き始めた。

 体に異変が起きた。足があまり前に出てくれない。今度は自分がウスターに背中を向ける番だから、無意識に重圧を抱えているのだ。頬を大粒の冷や汗が伝う。

 間違いなくウスターは今もイグナートを凝視して背後を狙っていると断言できる。

 濃厚な視線はまるで(つた)のようにイグナートの背中に纏わり付いてくる。

 眼の前が真っ暗闇であることも動揺に拍車をかけた。ここはもう青光に照らされた珊瑚の大地ではない。出口とはすなわち世界の端。外縁に近づくほどに異形の摂理から遠ざかっていく。

 後ろを振り返って追跡されていないと見るや、イグナートは安堵の息を吐いた。



 前方を見据え出口の戸を遠方に確認するとまた安心して深呼吸する。

 己の不甲斐なさを呪い始めたのは、下界に戻って満天の星空を見上げた瞬間からであった。

 胸に芽生えた情動を処理しきれないまま、頭に血を登らせて歩き続けた。

 俯いて歩き続けていると、声がした。

「お疲れ。いつにも増して機嫌悪そうだけど。もしかして素振りで折れちゃった?」

 薪を脇に抱えたナサニエルが外れの小屋にいた。灯りは遠く、顔がよく見えないが相変わらず愛嬌たっぷりの笑顔をしているのだろう。目が曇りすぎていて我ながら呆れるが、いつの間にか研究棟の近くまで歩いてきていたのだ。

 友の声を聞いて元の場所へ帰ってきたのだと実感する。

「明日から石の花の探索だったな」

「うん。なんだよ改めて」

「面倒な競争相手に会ったかもしれん」

 ナサニエルはぽかんとした顔でイグナートを見ると、

「君がそういうなら、気をつけないとねぇ」

 学友の柔和な笑顔を見て、イグナートは安心した。

 自分の世界に戻ってきたのを実感する。だが、明日からはそうはいかない。

 次に会ったときに無様を晒したくない。

 あれらと渡り合うのならナサニエルの協力が不可欠だった。

「夕食の後で時間をくれないか」

 こちらの最高戦力は目の前の優男だ。荒事ならまずナサニエルに話を通しておく。

 反撃はその後だ。

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