10話
弱々とした陽光で目を覚ます。
ボロのあばら家に差し込む木漏れ日はイグナートの目覚まし時計だ。
外に出るとまだ空は朝焼けで、引いた水路に反射した陽の光が散乱していた。
イグナートの朝の日課は、朝食の準備と鍛錬だった。まず研究棟に出向き、窯に火を入れてから師の不在を確かめる。普段通りであれば研究棟で寝泊まりはしない。『向こう側』の探索にでも出かけているのか常に自室は人の気配がない。だが稀に二階の書斎で突っ伏して寝ていることがあるので確認の必要があった。
釜の火入れが終わると鍛錬。砂の詰まった瓶を外転しきった両手で持ち上げて、何度も屈伸する。足腰が疲れてくると今度は全身の柔軟に取り掛かる。瓶を持ったまま背筋を伸展させて瓶の重さでゆっくりと体全体を伸ばしていく。
今日からはハクの分の料理も作らなければ……そう思うと眉間にシワが寄ってくる。ついでにあのお姫様は味にうるさそうだから手抜きもできない。
張り出した筋肉を脈動させながら、イグナートは憂鬱に耽っていた。
イグナートはある予感がしたので朝食を四人分作った。
「ああ、お利口だ。ちゃんと私の分も用意してあるねイグナート」
このようにふらっと朝食の時間に現れることがある。サンジェルマンはまるで猫だ。
食卓のスペースをハクとサンジェルマンが占領して、イグナートとナサニエルは台所で食べていた。まるで使用人になったような気分だ。いや、実質的には使用人だった。
「悪くないじゃない。どこで覚えたの?」
「私の英才教育の賜物ですよ」
茹でた山菜に手製のクルミ油をかけたサラダと作り置きしておいたパンを付け合わせただけの簡単な朝食だったが、どうやら二人の舌にあったらしい。
「良かったね」
横でナサニエルが囁くがイグナートの気は晴れなかった。
何が英才教育だ。自分が食べたい料理を研究室の課題と言い張って無茶振りしていただけだろう。ナサニエル共々自分の手足のように好き放題酷使してくる師にイグナートはますます表情を険しくしていった。
「そう怒らないで。先生も忙しいんだよ、きっと」
見透かしたかのように友人が小さく呟く。
承知している。本来、弟子を取る義理も義務もない人間が、こうして宿を提供して術の手ほどきをしてくれるなど虫が良すぎる話だ。
故に気にかける道理がないのは重々理解していて、その上であの横柄さなのだから尚更弟子の面倒など見るはずもない。
「次の研究課題なんだけどね」
サラダを口に運びながらサンジェルマンが唐突に切り出した。
面食らったイグナートは隣人と顔を見合わせて、師の言葉を待った。
「そろそろ石の花を見つけ出して欲しい」
その名を聞いて真っ先に反応したのはナサニエルだった。
「あの眉唾の?煎じて飲めば不老長寿になるとかいう……」
「俺は法螺だと思ってた」
「いや、あるよ。君たちが主として探索している森林区域のどこかにある」
思わず顔が引き締まる。主な探索地としていた故にこれまでも全く調べていなかったわけではない。
イグナートは顔を曇らせて、
「随分調べたが手がかりがない」
「つまり、まだ調べてないところにあるってこと。まさか何の当てもないわけないだろ?」
当然のようにサンジェルマンは涼しい顔をしていた。
目も合わせず、淡々とサラダを口に運ぶ。
「最終課題だったのでは。まだあの森を調査し始めて一年も経ってませんよ」
「うん。だから、最後の課題ね。それ見つけたら次のエリア探索に入ってもらうから」
「今すぐに見つけてこいと?」
イグナートの声色も話の急展開に驚きが隠せていない。
「無論、きっちり報酬は渡す。今回は研究課題の中でも特別だからね」
途端にイグナートとナサニエルの顔が明るくなる。
「え、お金くれるんですか?」
「どうせ中抜きするんだろう」
思い思いの所感を述べる中で最後の一人が口を開けた。
「金は間違いなく払うわよ。私が出すからね」
途端にイグナートは曇った。何故、新入りが報酬を払う?
話がおかしくなってきて、背筋に悪寒が走った。
「おい、サンジェルマン。説明はあるだろうな?」
「ん、ないよ。僕は研究課題を君たちに渡した。君たちが心配すべきは研究対象の調達、そして論文のテーマなんじゃないかな?やめたまえよ余計な勘ぐりは」
あっけらかんとした開き直りで弟子の不満を受け流すと何事もなかったかのように皿に乗った最後の山菜を頬張った。食事が終わりもう用はないとばかりに立ち上がり、入り口にかかってあるコートを羽織る。
「ごちそうさま。提出期限は設けない。君たちが提出するまで終わらないからね」
待ってるよ、そう言い残してサンジェルマンは研究棟をでていった。
あとに残ったのはドアが閉まって鳴り出した呼び鈴の音と、面食らって硬直した弟子二人ともぐもぐとパンを頬張って朝食を満喫する新弟子だった。
うだるような昼下がり。
イグナートはある場所を目指していた。
学院は街の中央付近に位置しているが立地に似合わず敷地面積が異常に広い。それは現在の半島が市街地として成立する以前、まだ更地に近い時代に節操なく手付かずの敷地を独占して建てられた建造物だからである。
故に学院の庭もまた常識外れの広さを誇っているのだが、その全貌を知る者は少ない。
敷地を縁取るように入植された木々は天然の防壁となり、学院の内部を隠しているのだ。
その広さに迷惑を被る生徒が庭を徘徊していた。
「君、道を知っているんじゃなかったのかい?」
「前来たときと変わってるんだよ。植えてある花も違う」
不貞腐れた表情でイグナートは枝葉をかき分けていた。
学院長の趣味であろうが世界中の植物が植えられ庭のガーデニングも古今東西の様式が取り入れられていた。庭師にとっては手がかかりすぎてなんとも迷惑な話だろう。
「道が塞がっている。用務員め怠慢をしているな」
結果として、立派な迷路として成立してしまっていたのだ。
何故だか付いてきた学友の前で手際の悪さを披露する羽目になり、羞恥と焦りが余計に眼を曇らせる。全く規則的でない道を何度も周回しているのだ。
「目印はないのかい?」
「確か珍妙な形の赤い花が……」
形は覚えている。名前は知らないが細い花弁が放射状に開いている特徴的な花だった。
だが、模様替えしたのか赤い花はどこにも見当たらない。
つまり、そもそものゴール地点が分かっていないのだ。
イグナートは困惑から抜け出せず、正解がわからない以上ナサニエルも助言のしようがない。
「そもそも付いてくる必要はないだろうが」
「君が普段どこで道具を調達しているのか気になってね」
汗だくになりながら嬉々とした表情で言う。
こうなるとナサニエルは追い払えない。自らの好奇心を抑えられない性格なのだ。
「金をかけたくないだけだ。勉強道具以外はなるべく買いたくない」
イグナートには必要なものがあった。
新しい課題もとい任務を言い渡されたイグナートが至急用立てなければいけないもの。といってもベースキャンプにある程度の食料は備蓄してあり、補充せずとも一週間は活動できる。
「で、武器が欲しいってわけ?」
「そうだ」
前回の探索で愛用していた山刀を落としたばかり。至急、代用品が必要だった。
それも真っ当な得物では向こう側で通用しない。
「さっきから何をうろちょろしとるか貴様ら」
背後から救いの声が聞こえてきた。
振り返ると厳しい顔をした金髪碧眼の男が立っていた。厳しい庭師のザビーネだ。
等身大の麻袋を抱えて、目的地に向かっている最中の様子。
迷子にとっては救い主だ。
「ザビーネ、丁度よかった」
「お前、また焼却炉使う気か」
「え、焼却炉?」
目的地を伝えていなかったので戸惑うナサニエルだったが逡巡を振り払い、ザビーネへと顔を向けた。
「どうも。ナサニエルです」
「お前は知っている。話すのは初めてだな?ここで用務員をやってるザビーネだ」
「ええぇ……どうして」
「ちょっとした有名人だ。天才児なんだってな」
褒められた途端にナサニエルの顔がだらしなく綻ぶ。
面白くない話が始まると、イグナートは二人を無視して林を掻き分けて進んだ。
「先に行くぞ」
「ちょっと……待ってよイグナート」
剪定された枝葉をどかして、拓けた空間に辿り着く。
赤いレンガ造りの細長い家屋。用務員が使うには余りにも大きな施設だった
その一角に大きな焼却炉があった。大熊を丸ごと放り込んでも尚余裕がありそうなほど、立派な容積を誇っている。だが、重要なのはその端に取り付けられている部位だった。
「……窯?」
「そうだ。金が無いからここで作る」
あっけらかんと答えてイグナートは近くの納屋に入っていった。
がらがらと重いものが崩れる音がすると分厚い大釜などの金属器を両手で抱えて持ってくる。
「おい、お前またここのを使うつもりか」
「そうだ。これ全部溶かしていいか?」
「まぁどうせ誰も使わねぇ備品だが……またロクでもないのが出来上がるぞ」
ザビーネはイグナートの動向に注視しつつ先に焼却炉を使い始めた。炉に火を入れて持ってきた麻袋を無造作に放り込んでゆく。
一方のイグナートは民族色豊かな金属製の容器を四つほど並べると、懐から取り出した小さなロックハンマーで砕き始めた。
「どうするのそれ」
「細かく砕いて溶かす」
慣れた手付きで薄い部位と脆い部位を的確に小衝いていくと小さな破片が地面に落ち始める。
ロックハンマーでは砕けそうもない分厚い窯などは、手頃な石を見つけ、投げつけて強引に砕いた。
小さく砕いて、またロックハンマーで脆い部位を砕く。
あっという間に無数の鉄片が出来上がると同じく鉄の容器に入れ込んで、いよいよ窯へ放り込んだ。
「誰に教わったのそれ」
「適当に壊してるだけだぞ。わざわざ教わるものじゃない」
洗練されていない力業だが手っ取り早く作業をこなせているのだから良いのだろう。
ナサニエルには到底真似できない芸当だがそれ故に魅入るものがある。
「ああ、鍛造ってやつだね?」
「鋳造だ。こんなクズ鉄を鍛造したって強度は出せん。玉鋼がないからな……」
言いながら火加減を注意深く見るイグナート。後ろを見守るナサニエルは仕事がなくてそわそわし始めていた。どこのルートで武器を調達してくるのかと思ったら存外に見応えのある見世物が始まったので興奮を隠せないというのもある。
「ナサニエル、悪いがそこの木箱を持ってきてくれないか」
指差した先には細長い木箱があった。上部に二つの穴が空いている変わった木箱だ。言われるがままに木箱に手を掛けるとその異常な重さに驚く。
「ちょっ……重っ……何が入ってるのこれ」
持ち上げるのは無理だ。
ナサニエルは堪忍すると操った紐を括り付け木箱をイグナートの傍まで送り届けた。
「箱の中には粘土が詰まってる。その中の型に溶かした金属を流し込むんだよ」
ヤットコと呼ばれる金属をつかむ工具で窯から液状化した金属を取り出すとその上澄み、硬化してしまっている層を外に捨てる。その下にはより純化し滑らかな液と化した金属がある。それのみを木箱の穴に注ぎ込んでいく。
ナサニエルには随分と粗末な手法に見えたがイグナートのことだから必要な段階は踏んでいるのだろう。燃え盛る木箱の中では今、成形が進んでいるのに違いない。
「この前作ったのはどうした。あの山刀に見えんこともない不細工な板っぺら」
「……折れてしまった」
「はは、そりゃそうだろう。その辺の棒切れを削って剣にしたほうがまだ強度がでらあ」
「気が散るから話しかけないでくれ」
絡まれて気を悪くするイグナートを余所に焼却作業を終えたザビーネは後片付けを始めていた。
どうやら木箱に鉄を注ぐ工程は大詰めらしいとナサニエルにも察することができた。
「固まったかな?」
半刻待って成形が完了したとみなすや、木箱を持ち上げる。
粘土に包み込まれた得物を取り出すべく手で粘土をどかしていく。
赤い土の中に見え隠れする重厚な凶器が顔を覗かせる。
「ほぉ……戦槌か」
思わずザビーネが唸った。
それはイグナートが普段から携帯しているロックピックハンマーをそのまま巨大化させたような、柄の長い戦鎚だった。片側に対象を打ち付ける円筒形の『平』ともう片側に鋭い『嘴』を備えた戦闘用の打撃武器だ。
「刃をつけるのはやめた。脆すぎるしそもそも獣に刃が通らない。それならこっちのほうが頑丈で良いと思ってな」
「ひとつ進歩したな。この間の不細工な山刀で満足してた頃に比べれば上等だ。ありゃ武器というよりも、金属を煮詰めた棒だったからな」
「余計なお世話だ」
ナサニエルは感心しながら観察していたがやがてひとつの違和感に気付いた。先端のサイズに比しておかしな点がある。
「やけに柄が長いね?君の腕力なら片手で十分振るえるだろうに、両手で使うつもりなのかい?」
「いや、これは片手武器だよ。ちょっと仕掛けをな」
そういってイグナートは戦鎚の研磨作業に入った。粘土で型を取ったため形はまだ整いきっていないのだ。イグナートは懐から砥石と黒い筆を取り出した。
「刻むつもりだね」
「見るのは構わんが此処から先は長いぞ」
向こう側の異形と退治する上でもっとも重要な要素は優れた武器ではない。
泉術に対応した武器がなければ何の役にも立たない。
故に刻む。戦鎚にイグナートの勁を通すための刻印を施すのだ。
「買い出しに行ってくるよ。今日は僕が食事当番だからね」
仕上げを見届けたい気持ちはあったが楽しみはとっておこう。武器にどんな仕掛けがあるのかネタばらしを見てしまっては勿体ない。続きは向こう側で拝見すれば良い。
ナサニエルは一度だけ様子を窺うように振り返る。深い集中状態に入っているイグナートは瞳を揺らすことなく、金属に印を刻んでいる。
その真剣な表情が好ましく、思わずはにかんだ。
だが、いつまでも見ていられない。最後にザビーネへ向けて手を振ってからその場をあとにした。




