第三十話
『スペイン風邪』
一説によればこのスペイン風邪の大流行により第一次世界大戦の集結が早まったと言われる。そして今、スペイン風邪は猛威を奮っていた。日本でも前回と同じく伊藤達がスペイン風邪の対処に追われていた。
「日本での感染者は?」
「増え続ける一方です。十日後には残りの遣欧軍が帰還しますが既に遣欧軍の中でも感染者がおり、隔離されている状態です」
「公共機関や一般にも手洗いやうがいを徹底だな」
「マスクの配布は?」
「三好大佐の助言で医療機関には配布しています。ですが……」
「何だ?」
「今回も三好大佐はスペイン風邪に感染して隔離されています」
『な、何ィッ!?』
加藤海軍大臣の報告に事情を知る者達が絶句するのであった。あれだけ将和も警戒していたのにも関わらずである。
「……仕方あるまい。三好大佐は休養だな」
「……はぁ…」
戦艦『河内』の隔離された病室に将和は寝込んでいた。ベッドの隣には飲料水が入ったヤカンが置かれており将和の額には濡れたタオルが添えられている。
(まさか前回と同じくスペイン風邪に感染するとか考えてなかったなぁ……抗体はあると思ってたんだけどなぁ。いやでも今回はこの世界で生まれているから抗体は無いのか……)
将和はそう思いながら欧州を出る時に配布されたマスクを外して水を飲む。なお、グレイス達とは欧州を出る時、そこで一旦別れていた。
「待っていてくれ。直ぐに受け入れる準備をするから」
「ウム。待っているぞ」
将和の言葉にグレイス達四人は頷き思い思いのキスで一旦の別れを告げるのである。
(確かスペイン風邪はA型インフルエンザで2009年の新型インフルエンザの同種だったよなぁ……他にもアジア風邪や香港風邪とかあるけど派生だったけ? んなもん分かるかいな……とりあえずはインフルエンザなんだ、寝るしかないわな)
再びマスクを付けて布団を被る将和だった。そして遣欧軍は日本に帰還するが暫くはスペイン風邪対策で隔離されるが彼等は日本に帰ってきたので一先ずの安心感はあった。その安心感で身体の緊張が途切れてしまい、結果的に遣欧軍は1500名近くがスペイン風邪で病死してしまうのであった。
「お久しぶりです総理」
「御苦労だった三好大佐。身体の具合はどうかね?」
「とりあえずは大丈夫です。他の人よりも免疫力はあったのかもしれません。あぁ、マスク姿は御勘弁を」
「マスク姿は我々も同じだから構わない」
スペイン風邪から完治した将和は首相官邸で伊藤らと会っていた。
「山縣さんからある程度は聞いた。まさかニコライ二世の家族を救出するなんてな……」
「敵を騙すにはまず味方からと言います。……まぁ全員生きてる……とはいきませんでしたが……それでタチアナ……一家は?」
「今は北樺太にいてる。何れは東京に来てもらい今後の処遇だろう」
「案としてはシベリアでしょう。シベリアで国を建国してもらいソ連と日本の緩衝地帯の役目をしてもらう事です(だが、問題は後継者がいなくなるかもしれない事か……)」
「ふむ……それが妥当な線だな。イギリスに頼んでアメリカとの共同歩調をせねばな。ウラジオストクに二個歩兵連隊を出しているがドイツの休戦もあるからな」
「イギリスもシベリアでの建国は承認してくれるでしょう」
そう会議する将和達だった。その後、将和は本所区の小さな町工場の隣にある二階建ての家を訪れた。
「貴方!?」
「あ、夕夏……」
「スペイン風邪に掛かったと海軍の方から……」
「そうか、済まないな。もうとりあえずの完治はしているよ」
「そう……それなら良かったわ……」
涙を流す夕夏に将和は頭を撫でる。
「まぁ仲が宜しい事で」
そこへ夕夏の母であるしのが割烹着姿で現れる。久方ぶりーー関東大震災以来に出会うしのに将和は一瞬目が潤んだが直ぐに気を取り直す。
「あ……失礼致しました。三好将和です」
「夕夏の母、しのです。さぁどうぞ」
将和はしのに促されて奥に進む。案内された客間には夕夏の父、権蔵がいた。
「……初めまして、三好将和です」
「……二人で話がしたい」
「……分かりました」
権蔵の言葉に将和にお茶を差し出したしのと夕夏は席を外す。数分間、両者は口を開かないが先に開いたのは権蔵だった。
「……夕夏は近所の道場の師匠に幼き頃から鍛えられていてな。男勝りなところもあり嫁の貰い手もなかった」
「はっ……」
「ワシに似たのかは分からんが落ち着かない性格でな、戦争が始まると看護婦に志願して欧州に行くと言う事を聞かない子だ。そんな馬鹿娘が海軍の佐官の子を孕んだと手紙を寄越しおった」
権蔵の言葉に将和は内心、冷や汗を流す。恋愛らしい恋愛もせず吊り橋効果じゃないかと疑う程だが夕夏は「恋愛はあった」と否定している。
「……儂にも息子はいた」
「はっ、旅順で戦死したと伺っております」
「203高地で息を引き取ったと聞いた」
「………」
「御主、軍だから詳しい事は聞かん。撃墜王という事も聞いている。だからこそ言う、早死にするな、生きて帰れ。夕夏を泣かす事は許さん」
「……約束致します。捕虜になろうとも必ず生きて帰ります」
「……分かった。そう言えば出身は何処かね?」
「は、大阪です」
「両親は?」
「母が……」
「そうか……」
将和は権蔵の言葉に何か引っ掛かるのであった。
「前回は父母はいなかったものだな?」
「ッ………」
権蔵の言葉に将和は息を飲んだ。まさか二人は……。
「世界大戦前かの……ワシに前世という記憶が甦った」
「……………」
「しのは分からぬようだったが勘の良い妻だ。何となく気づいてるだろう」
「………………」
「だから今度は震災で死ぬような事はせん。そのために投資を大量にして行き着いたのがお主の祖父と坂本翁だった」
「じいちゃんと坂本翁が……」
「震災の事があるから家と工場は大阪に移らせる予定だ。今度は造船所を作る予定なのでな」
そう言ってニヤリと笑う権蔵である。その様子に将和は苦笑する。
「……敵いませんな……」
「なに、お主の今後を考えたらまだマシだ」
そう言って権蔵は将和の両肩をポンポンと叩く。
「今度も夕夏を……いや、夕夏達を幸せにしてやってくれ」
「はい、必ず。幸せにすると御約束します」
権蔵の言葉に将和は力強く頷くのである。ともあれ将和は夕夏との結婚を許されたのであった。
「ところでヨーロッパでも女を引っ掻けたと聞いたが?」
「何処情報ですかそれ!?」
その後、五人(将弘も含む)で夕食を共にするのであった。
「ふむ、御主は中々飲める口だな」
「は、軍は酒豪が多いもので」
「ウム、土産物のブランデーやスコッチは美味い。ガハハハッ」
とりあえずの最初の第一印象は成功するのである。
その後、将和は麹町区の貸家を借りて夕夏と将弘の三人で暮らす事になる。ちなみに結婚式も1919年の12月にしており陸海の大臣や伊藤ら、更には坂本翁や和盛もこっそりと来ており権蔵らを驚かす一因となる。なお、旧第一航空隊(帰還後に一時解散)のパイロット達も集まり将和と夕夏を祝福するのであった。
「ほ〜ら将弘〜」
「キャッキャ」
それから数日後、麹町区の貸家で将和は疲れを癒していた。今は晩飯前であり夕夏は台所で夕食を作っている。なお将和は将弘と遊んでいる。
「貴方、夕食が出来たわよ」
「おぅ、今行く」
将和は将弘を抱っこして茶の間に向かう。既に夕夏が卓袱台に夕食を並べていた。夕食は麦飯に豆腐の味噌汁、塩しゃけに白菜漬けである。
「白菜漬けは隣の片原さんから貰ったの」
「ほぅそうか」
そして二人は食べ始める。ちなみに将弘は母乳である。
「……うん、味噌汁は大丈夫だな」
「もう、だからそれはやめてよぉ」
将和の言葉に夕夏は恥ずかしがる。実は二人が住み始めた最初の夕食時、味噌汁が出たのであるが味噌汁を飲んだ将和は少し気になる事があった。
「……おい、何を入れた?」
「え、勿論味噌よ」
「……鰹節とかは?」
「………あっ」
「え?」
このような事があり、しのに味噌汁は勿論食事の作り方を教わりに行く夕夏であった。ちなみに、将和はカレーやコロッケくらいは作れるのである。
「しかし……また忘れているとは思わなかったな」
「もう、そんな事言うとご飯取り上げるわよ?」
「それは勘弁してくれ……」
「キャッキャ」
怒る夕夏に謝る将和を将弘は面白そうに笑うのであった。
「それで、また明日から展示飛行に行かなくちゃならないんだ」
「それはそうねぇ。今回はどの地方なの?」
「……北海道だ」
「あら……そう……今回は遠いわねぇ」
「仕方ない。敵機を落としまくって気付いたら撃墜王だからな」
そう話す将和である。なお、意味ありげな言葉に夕夏はにこやかに笑っていたが夕夏の笑みに母乳を吸っていた将弘は固まっていたのである。
そして翌日、夕夏に熱いキスをして北海道に旅立つのであった。
帰国してからの将和の仕事は各地で編隊アクロバット飛行等を行うサーカス等をしていた。全国で世界の撃墜王を一目見たいという声が海軍に届けられた結果である。今回は北海道の札幌、函館、旭川、釧路、根室の五ヶ所を回る予定である。
展示飛行は大体一時間程度だが五ヶ所には多くの北海道民が駆けつけて将和に記念写真をねだってくる。また、海軍航空隊も欧州での戦果を受けて五個航空隊が開隊していた。
無論、それまで砲術や水雷等に従事していた人間が回されるのだがその中にはかつて日本海海戦で将和と三笠艦橋にいた長谷川清も含まれていた。史実だと在アメリカ日本大使館附海軍駐在武官補佐官になる予定だが東郷に「そういやあの時、『三笠』艦橋に長谷川がいたでごわすな」と思い出して航空隊に回されるのであった。
「まぁ……そうなると思っていたよ……」
と長谷川は納得して将和の元にいる。ちなみに将和は戦時昇進で大佐となっている。最初は大戦も終わり戻そうとしたが、「戻したら海軍批判が来そうではないか?」という声があったのでそのままとなる。その代わり大佐の時代が前回と同じく長くなるのである。
「さぁて、今日も頑張るか」
将和は飛行服に着替えて六式戦闘機に乗り込み、市民の歓声を受けながら離陸するのであった。そして五ヶ所目の最後は旭川へ赴く。
いつもの通りに編隊アクロバット飛行をしている将和だったがふと、臨時飛行場に集まった市民の少し離れたところに十数人の人間が市民から避けるように将和らの編隊アクロバット飛行を見ていた。
「………」
少し気になった将和は列機に合図をして浅目の降下をして十数人の人間に近づくと、日本人と外国人がいた。
「そうか……アイツらか……」
そう呟く将和だったがその十数人の人間はというと……。
「……今のがミヨシマサカズ大佐ですか」
「はい、海軍航空隊の撃墜王であります」
「成る程……お話は出来ますか?」
「話……ですか?」
「欧州の戦争がどのような事だったか、当事者に聞いてみたいのです。出来ますか?」
「は、出来ると思います」
「申し訳ありませんがよろしくお願いします」
展示飛行が終わり機体を整備していると将和はとある場所に呼ばれた。
「会食ですか?」
「まぁそのような感じだが……驚くなよ?」
新司令官の言葉に将和は首を傾げつつも旭川近郊にあるロシア風の家へ赴いた。部屋を開けるとそこにはかつて、将和が愛した一人の女性が椅子に座っていた。
「……ミヨシ大佐ですね」
「……はっ」
「久しぶりね……貴方?」
「ッ」
ニコッと笑う女性ーータチアナに将和は苦笑する。
「そうだな、君を最期に看取った時以来……だな」
「そうね」
「いつ気付いた?」
「日露戦争中に……ね。ロシヤが変な譲歩したの覚えている? ……あれ、私も噛んでいたのよ」
「おいおい……ロシヤの国益にはならないぞ?」
「でも日本の国益にはなるでしょう? 私は貴方に嫁ぐわけだから」
ニヤリと笑うタチアナである。タチアナはツカツカと将和に歩み寄ると、両頬をつねる。
「んがッ!?」
「全く……貴方のたらしのせいで今度は此方も一人増えるわよ」
「……マジで?」
「マジもマジよ。この女たらしめ……」
「あたたたたた!?」
更につねる力を入れるタチアナ。だが不意に将和はタチアナを抱き締める。
「ちょっと……」
「ニコライ二世や皇后は……残念だったな……」
「……仕方ないわ。本来だったらあの時に皆は死んでいた。けど、前回は貴方は助けてくれた。今回もだろうけどその時が早かった。準備をしていた私達だけでも生きているのが不思議なくらいよ」
「……泣いてもいいんだぞ?」
「馬鹿。今はまだ泣けないわ」
顔をそらすタチアナであった。それから夕食も交えてニコライ一家と将和達の会食が始まるのであった。




