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ACT3/夢じゃなかった?

『誤算だ。やはりこの人間を選んだのは間違いだった』


 ハッと目が覚めた。

 気づけば、俺は布団の中だった。


 なんだよ一体。

 アレは全部夢だったのか?


 ぼんやり目を開くと、黄ばんだ白の天井が視界に入る。

 見飽きたはずなのに、たばこの煙が染みた壁紙がどこか懐かしかった。

 乾いた口元に、思わず奇妙な笑いが浮かぶ。


 うん、夢にしては随分リアルだった。

 六月とは思えない猛暑に、ダラダラと汗をながしたし、久々に全力で走って……


 電車に撥ねられた。


 しかし何より記憶に新しいのは、あの時の痛みだけではなく、"ホームの下に居たナニカ"、だ。

 暗くてよく見えなかったが、青色だったことだけは覚えている。どす黒いオーラの中心にヤツがいた。

 そいつは身動きの取れない俺にのしかかって来て……首を噛み千切った。

「ひぃー----気持ちわりぃー-----」


 ガバッと身体を起こして、首に手を当てる。

 "夢の中では"身体中の血が抜けていって、スライムみたいにソイツが入り込んできた。

 全く……勘弁してくれよ。

 最悪の悪夢だった。


 しかし、この後どうしたものだろう。

 日の差し込みようからして、学校はどうせ遅刻だろうし、ひとまずタバコでも買いに行こうか。


「……って、うおおお、っなんじゃこりゃああ!?」

 布団を捲った、腕が傷だらけだった。

 見事にズッタズタ。例え包丁で切り付けたとしても、こんな傷はつくまい。

 恐る恐る立ち上がると、パンツ一丁の俺が姿見に映る。


「おいおいおい……」

 傷跡は腕だけでなく、全身に渡っていた。

 まるでボロボロの人形を無理やり縫い合わせたかの様な、ミミズ腫れが全身を走っている。

 おずおずと後ずさると、壁に掛かった白シャツが鏡に写る。

 これまた傷跡と重なるようにボロボロに千切れており、襟首も敷石に削られたように傷だらけだった。

 頬にぺチリと手のひらを当てる。

 うん、しっかり触れる。


 つまりこれは、、

「……ゆ、夢じゃなかった」

 息苦しさを感じて、思い出したかのように大きく空気を吸い込んだ。

 ああ、おかしな話だが、呼吸の仕方すら忘れていた。こんなことは電車に跳ねられた時以来である。

 いや、しかしこれも最近の話なのだろうか。

 瞬きにすら足りない、ものの数秒未満の間に頭の中はグルグルと駆け回る。


「一体何がどうなってんだか……」

 しかし何より不思議なのは、頭はこれほど混乱してるにも拘わらず、身体はまるで死体の様に冷静なのだ。

 呼吸が止まっていたのに、鼓動はピクリとも早くならないし、むしろリラックスしているくらいだ。

 なんと言うか、この感覚は多重人格と言い表すのもまた違う。

 まるで人間ではない、それこそ幽霊や宇宙人の血でも輸血されたかの様な、ちぐはぐで非常に奇妙な感覚だ。


『ドクン』


「おわ、マジか……」

 棚のケータイを手に取ると、カレンダーの日付は6月6日を指していた。

 時刻も午後を回っているので、アレ、が夢でなかったなら、少なくとも丸々5日も眠っていた事になる。


 その時、カタリと小さく本棚が揺れる。

 俺の部屋は戸建ての2階、ちょうど玄関の真上である。

 その為誰かが帰宅すると直ぐに分かる。どうやら仕事から母親が帰ってきたらしい。


 まずいな、裸だと"傷を見られてしまう"。

 慌てて制服のシャツとズボンを着込んで、自分から部屋のドアを開けた。

 母が何をどこまで知っているかは知らないが、"とにかく今はすべてを話すべきではない"気がする。


「あら、やっと起きてきたわね。この寝坊助が」

 階下では買い物袋を抱えた母が、こちらを見上げていた。

 ちょっと聞きたいことがあるから降りてきなさい、と彼女は続ける。

「あ、ああ」


 本音では、もう少しは考える時間が欲しかったのだが、仕方あるまい。

 こちらは学費を5日分無駄にしたのだ。

 これ以上スポンサーの機嫌を損ねるわけにはいかないだろう。

 言い訳も思いつかなかったので、大人しく階段を降りて母の後に続くことにする。



「アタシもあんまウルサク言いたくないけどさ」

 母はビニール袋から冷蔵庫へ、乱暴にお酒をしまっていく。

 収納物は日本酒、ウイスキー、エナジードリンク。あと、"チューブのからし"、まるで大学生の一人暮らしの様なラインナップだ。

 追加でビールが仕舞われて、バタンと扉が閉じられる。


「葵、アンタ連絡も入れずに、何日も何処ほっつき歩いてたのさ」

 母はビールを机にガン、と乱暴においてプルタブを起こした。


 さて、困った。何と答えたものだろう。顎に手を当てて首をかしげる。

 彼女の乱暴な動作はいつも通りなので機嫌が悪い訳ではない。

 そう、問題点はそこではない。


 俺は5日前、確かに死んだはずなのだ。


 パチンコで勝ったから、小銭を拾ったから、いつもより少しだけ機嫌の良かった俺は、柄にもなく自殺未遂を止めようなんて気をおこしてしまった。

 結果、電車に突き飛ばされて線路の肥やしになったはずなのに、俺はなぜか生きている。

 アレは夢なんかじゃない。

 眼球が飛び出すときの、目玉をアイスピックで刺された様な痛みなど、一体誰が味わったことがあるだろう。

 思い出すだけでゾッとする。

 それにこの傷が何よりの証拠だ。腹を撫でると、ザラリと指が傷に触れる。


『ドクン』


 ごくごくごく、と母は上を向いたままビールを喉に流し込んだ。

 机にたたきつけられたビールは先程とは異なり、カンッと高い音を鳴らす。相変わらずペースが早い。

「もう高校生とは言えね、アタシも心配の1つくらいはするんだよ」

「実は昨日までダチの家で……」

 ベコッッッと音を立ててアサヒの文字が潰れた。

 小さく青筋が浮かんだ彼女の右拳が開かれると、メキメキメキと悲鳴を上げて林檎の芯の様な無残な姿に変わり果てたスーパードライが姿を現す。缶と母を交互に見ると、まるで、にっこり、と効果音すら付きそうな満面の笑みで彼女はこちらを眺めてきた。おいおい、これスチール缶だぞ……

「……ごめん」

「……なーんだ引っ張った挙句、つまんない答えよね。アンタも『女の家』って即答出来るくらいの甲斐性になんなさいよ」

 彼女は全てわかったような顔で、ふふっと頬を緩める。

 そう、彼女は初めから怒ってなどいないし、行方不明の理由を知りたかったわけでもない。

 ただ俺と話をしたかっただけなのだ。

「無事で帰ってくれば、過程はどうだっていい」

 そう言って、彼女は初めて本当に笑った。


「もう葵も殆ど大人だしさ。別にアタシもいちいち口出したりはしないわよ。ふふ、アタシがアンタくらいの年にはもう葵が生まれてたしね」

 アルコールにほんのり頬を赤らめて、過去を懐かしがる様に母は遠くを見ている。艶のある黒い髪が小さく揺れた。

 31歳、と言う年齢を除外しても、彼女は相当に若い容姿だ。実際、小学生の頃の授業参観では、姉だとよく勘違いされたくらいだ。今でもナンパ程度ならよく受けるのだろう。


「でも、何か悩みがあるなら話してくれても良いのよ」

 ビール一本で1件相談に乗るわ、と言って母は人差し指を立てた。


「なるほど」

 九十九川葵(オレ)と言う人間は、昔から大人と言う生き物が嫌いだったが、母だけは例外だったのは、彼女が若いからではなく、こんな性格だったからなのかも知れない。

 俺は冷蔵庫の扉に手を掛けて、ビールを彼女に放り投げる。彼女は器用に広げたシャツで受け止めた。

 よし、母にだけは全てを話してしまおう。

「お、気が利くな。悩める少年よ、なんでも母に話したまえ」


 俺は黙って、胸のボタンを外してゆく。

 しかし、『電車に轢かれた筈なのに、気づけば家で眠っていた』とでも言うのだろうか。

 後から思い返すと、信じてもらえるかは別として、とにかく話すだけ話しておきたかったのだと思う。


『ドクンッ』


 ボタンを全て外したところで、母をチラリと見る。

「お、いいね。ストリップかい?」とおおよそ母親らしからぬセリフを投げかけてくるのも、彼女なりの照れ隠しだろう。


 全く、こちらの気も知らないで、小さく苦笑した後。

 俺はシャツを捲った。


 しばらく無言の沈黙の後、母が重い口を開いた。

「……小遣いでも欲しいのか知らないけど、アンタ胸ないしチップを挟む場所もないからねぇ」

「は、?」

 流石にこの母とは言え、

 身体中のミミズ腫れや、赤い傷跡を目にすれば、ある程度しつこく問いただされると思っていたのだが、母親のリアクションは何処か冷めていた。


 恐る恐る視線を下にやると、"傷跡がなかった"。

 縫い合わせたような跡も、赤く腫れあがったミミズ腫れも、抉れた皮膚がせりあがった肉の跡も、全て綺麗さっぱり消え去っていた。

「あ、あれ!? 傷がない」

 先ほどまでは確かにあったのに。



 大慌てする俺を横目に、母はふぅ、とため息をついて人差し指をピンと立てる。

「おかわり、もう一本」

21時半頃にもう一話あがります

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