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名のない少女

名のない少女の魔法

作者: 白湯

誤字・脱字、設定のミスはご了承下さい。

「わぁ。本当にいつ見ても海は綺麗だねぇ」


鮮やかな海を見下ろせる山の中腹から、一人の少女が琥珀色の瞳いっぱいに海を映しながら、声を上げる。

そんな少女に応えるように、柔らかな風が、少女の銀色の髪を揺らした。






穏やかな海と、比較的標高の低い山々に囲まれた町。

それが、この南国諸国に位置する都市コレットである。


今日もコレットの気候は丁度いい日差しと柔らかい風が吹いている。

そんなそよ風に吹かれながら、コレットに住む茶色の髪と瞳の少女、ラメアは通りを歩いていた。


もうすぐ16になるラメアは、早くに両親を亡くしていたが、親切な街の人々によって何の問題もなく過ごせていた。

働き手を失い、経済的にも危機に陥っているところを、ラメアでも働ける仕事を紹介してくれもした。

はじめは、慣れない仕事に四苦八苦し、ミスも多かったが、今ではほとんど手慣れた様子だ。


そんな、仕事が早くに切り上がった午後だった。

普段働いている通りに面するパン屋を出ていつも通りの帰路につこうとしたとき、通りに並ぶ宿屋の前で、二人の人影が目に映った。


「お願いだよ~。せっかくここまで来たのにまた野宿なんて」

「俺としても、できるなら嬢ちゃんを泊めてやりたい気持ちは山々なんだが、金のないなら、特別扱いはできないからな」

「ひどい。冷たい。こんなか弱い女の子を閉め出すなんて。人の心がない」

「人聞きの悪いことを言うんじゃない。金がないなら、働けば良いだろう」


一人は見知った宿屋の店主で、もう一人はマントにフードをかぶっていてよく分からないが、ラメアと同じ年頃の少女だろうか。

見たところ、少女がお金がなくて、宿屋から追い出されたところらしい。


「じゃあ、仕事紹介してよ。できれば、冒険者の仕事で。即日払いだし」

「悪いが、この街には何十年か前に魔物やら魔中やらをはじく結界が張られてな。冒険者もそのときに軒並み出てって、残念ながら、冒険者の仕事はここにはねぇよ。何かの原料とかも昔と違って今は輸入ばっかだからな」

「え、嘘、待って。誰、ソイツ。結界を張るなんて、そんな非人道的なことを。私の稼ぎを奪いやがって」

「はいはい、お前には憎き相手かもしれんが、俺たちにとっては恩人なんでね。まぁ、頑張って仕事でも探せよ」

「えぇぇぇ~~」


ラメアがぽかんと見ていると、店主に閉め出された少女が、がっくりと肩を落とした。

本当に泣いているのかは怪しいが、目元に手をあて情けない声を出す。


「うっ、うっ。やっと街について、魔獣とかに注意して気を張らずに、屋根のある温かい布団で寝られると思ったのに…」


その背中からはずんとした哀愁が漂っている。

少女の居る周りからは、じめじめしたキノコでも生えてきそうな勢いだ。


そんな少女の一部始終を見ていたラメアだが、暗い雰囲気を醸し出す少女に近づくと、そのまま声をかける。


「ねぇ、そこのあなた。私の依頼を受けてくれるのなら、私のうちに泊めてあげてもいいわよ」

「へ?」


振り向いた少女と合ったその目は、灰色かかった琥珀色をしていた。





いつまでも宿屋の前で居候していては、宿屋の店主の迷惑になってしまうので、場所を変えるため少女を引き連れて我が家へと帰る。

着いた先は、表通りからずいぶんと離れた、レンガ造りの大きな家々に囲まれた小さな家だ。


「ただいま」

「おかえり、姉さん」


音を立てないようにドアを開けると、丁度上から降りてきた一人の少年が返事を返す。

ラメアの弟のミケルだ。


「起きてて大丈夫なの?」

「うん。今は多少。そっちの人は?」


ミケルの視線の先には、フードをかぶった少女がいる。

いきなり注目の集まった少女は、それに動じることもなく、どうもとミケルに向かって手を振る。


「はじめまして。旅人兼魔法使いです。よろしくね、弟くん?」

「こちらこそ、はじめまして、旅人さん。弟のミケルです」


傍目から見れば、名前も名乗らず、また少女のその出で立ちは不審者のそれだが、姉が連れてきたからそれとも元からの彼の気質なのか、穏やかに迎え入れる。


「ミケル、もう寝てなさい。私はこの人と少し話があるから」

「わかった。どうもすみません。お客様が来ていながら、ろくな対応も出来なくて」

「いや、大丈夫だよ。お気になさらず」


ラメアが促すと、素直にミケルは上へ上がっていった。

それを見届けた後、少女をダイニングに案内する。


「ここら辺に座っといて。今、お茶を入れるから」

「あ、どうも」


あまり広くないダイニングの、二つしかない椅子のうちの一つに少女を座らせ、自分はお茶の準備をする。

コポコポとお湯を沸かし、安物だがこの家では一番高い茶葉でお茶を作ると、お盆にのせて自分と向かい側に座る少女の前にお茶を置く。


「ごめん。好みとか聞いてなかったけど、うちにはこれしかないの。悪いわね」

「全然、お構いなくー。つい昨日までは超冷たい川の水にしかありつけてなかったから、これでも十分だよ」


そう言って、少女はずずずー、とお茶をすすると、まるで老人が余生を堪能するようにはぁ、と息を吐いた。

先程宿屋の前で嘆いていたように、本当にお金がなく何も買えていなかったらしい。

ラメア自身もそこまでお金に余裕があるわけではないが、あまりの少女の様子に少々哀れみが湧いた。


「それで、お願い事って何?私、お金もないし、できることあんまないよ。魔法ぐらいしか取り柄ないし」


フードの奥に、ぼんやり見える表情が、少し不安そうになっている。

しかし、ここに来たからには元を取ろうとしているのか、勝手に自分でお茶をついでいる。

なんだか見ているこっちが悲しくなってくる光景だ。

 

「ねぇ、あなた。アリオス湖に住む精霊のことは知っている?」

「ううん、知らないなぁ」


彼女の先程の言葉通り、彼女は旅人だと言っていたし、この街でもほとんどおとぎ話扱いのこの話を知るわけがないだろう。


「この街が出来る前からある話なんだけど、ある森の奥に一つの小さな湖があるの。その湖は、不思議な魔力を含んでいて、それに触れるだけで、どんな傷だってすぐさま治る」


ここで、ラメアはまるで夜中に怪談でも語るように、少し声を潜める。


「でも、一番すごいところはここから。その湖には、何千年も前から住んでいる大きな力を持った精霊が住んでいて、そこにたどり着いた人間の、本当に叶えて欲しい願いを叶えてくれるの。そういう、おとぎ話みたいなもの」

「へぇ~、それはすごいね。本当だったらだけど」

「そうでしょう?まぁ、この街の子供たちが夜のお供に聞かされるお話なんだけどね」


本当に馬鹿げた話だ。

自分で話していながらも、こんなのは絶対に作り話だと思う。

でも、もう自分には、これくらいしか頼るものがないのだ。


「本当に、こんなの嘘だと思う。でも、もうこれしかないの」

「どういうこと?」


震える声を、一度だけ深呼吸をして落ち着かせる。


「…さっきの弟のミケル見たでしょう。あの子、もともと肺を患っていて、医者にはもう長くないだろうって言われている。この通り、うちはお金に余裕がないから、薬も十分に買えない。でも、私にとっては、ただ一人の大切な家族なの。こんな真偽の疑わしい話でもいいから、弟を救いたい」


お願い、と少女に向かって頭を下げる。

この少女が最後の頼みの綱なのだ。

あの宿屋の言っていた通り、この街には冒険者がいない。

いたとしても、ラメアには依頼するお金すらないのだが、こんなおとぎ話に縋ろうにも魔獣の棲家である森に入るにはラメア一人では無理だ。


否定の声が怖くて、ぎゅっと目をつむる。

しかし、返ってきた声は、ラメアの予想とは違ったものだった。


「わかった。それくらいだったら、お安い御用だよ。契約成立だね」


少女はお茶をすすりながら、平然とした顔で言った。


「え…。いいの?」


無理だろうと思っていたから、ポカンと間抜けな表情になってしまう。


「いいのも何も、当たり前だよ。正直、今の私は、屋根のある建物に泊まれるのであれば、多少の無茶な頼みくらい引き受けるね」

「…でも、ほとんどおとぎ話みたいなものよ?精霊なんて、何百年も昔の伝承に出てくるような、伝説でしかないのに?」


引き受けてもらえたのが信じられなくて、何度も念押しをする。

しかし、当の少女はそんなラメアの様子がおかしかったのか、コロコロと笑う。


「確かに今では、精霊は物語の向こうの存在だね。でも、それこそさっき言ったような伝承の頃には、精霊なんてごろごろいたんだよ。今は人が森や山を開拓していったせいで、人々の前から姿こそけしているけど、いなくなったわけじゃない。そのアリオス湖とらやに、その精霊がいてもおかしくないよ」

「…よく知ってるのね」


今のご時世精霊なんて、空想上のものだと思われてるのに、少女はまるで自分が見たかのように話すものだから、感嘆と呆れの混じった声がラメアからこぼれた。

ラメアとしては、そこまで他意はなかったのだが、少女はそれを皮肉か何かと受け取ったのか、慌てて手を顔の前で振る。


「いやいや、旅をしてるとね?その、色々聞くんだよ。それで、昔は本当にいただのいう話を聞いたんだ。別に、そんなやましいことは…」

「わかってるわよ」


必死で弁明する少女がおかしくて、ついつい笑みがこぼれてしまう。

さっきまで緊張していたのが嘘みたいだった。


「ごほん。で、話を元に戻すけど、私は具体的にどうすればいいの?」


これ以上色々と言うのは不毛だと思ったのか、わざとらしい咳払いをする。


「…えっと、この精霊の話なんだけど、これが本当だったとしても、お願いは私がすべきだと思うの。何かルールとかがあるのか分からないけど、本人が行った方が良いと思うし」

「おっけー。君も同行で。依頼人(クライアント)守りながらは、難易度は上がるけど無理なわけではないし」


戦力外で、実質足手まといのラメアを連れて行くのは、最悪自身の命取りにもなる。

しかし、少女はそうしたリスクを知って知らずか、容易く許可を出した。

連れて行ってくれるのはありがたいし、自分が言い出しておいて何なのだが、それでもあまりの気軽さに心配になって思わず聞き返す。


「ありがとう。でも、大丈夫なの?危なくない?」

「問題ないよ。私、こう見えて結構強いからさ。そこら辺は安心して」


そんなラメアの不安を、少女は胸を張って蹴散らした。





「ところでさ、一つ聞いてもいい?」


そんな少女が、神妙な顔をしてラメアを見つめる。


「そのアリオス湖とやら、君はどこにあるか知ってるの?」

「……」

「…探すとこからはじめるから、その間はここに泊めてね」





それから、一ヶ月が過ぎた。

少女は、この家で寝泊まりをしながら、昼は森へ入り、探索を進めている。

なんだか、少女ばかりに頼りっきりで悪いが、少女曰く基本一度通った場所や街へ帰ってくるときは飛行魔法で飛んでくるため、一人の方が楽らしい。


「近いところはあらかた探したし、今日からはもうちょっと奥まで行ってくるよ。だから、少し遅くなるかも」

「そう。気をつけてね」

「もちろん」


朝起きて朝食を食べ、ラメアは仕事に、少女は探索へ行き、夜はまた家で過ごす。

最初は少したどたどしかったが、それでも一月経った今では、まるで家族の一員のようになった。




そんな、ある日のこと。

その日はいつもより少し体に土や葉っぱを付けてきて。


「見つけた」


日がもうすぐ落ちる頃に帰ってきた少女が、そう言った。





「じゃあ、ミケル。私たち、少し出かけてくるから大人しく寝ていてね」

「わかったけど…二人してどこ行くの?

「うーん、秘密。帰ってきたら、教えてあげても良いわよ」

「そっか。なら、楽しみにしてる。いってらっしゃい」


次の日、善は急げと早々準備し、ミケルに見送られながら家を出た。

ミケルにはこのことを言えば、反対するに決まっているので、何も知らせていない。


「それで、どうやっていくの?」

「うん、途中までは私が君を飛行魔法で運ぶよ。でも、そっからは歩くことになるかな。空から見えにくい場所にあるし、飛行魔法は魔力も体力も使うからね。色々温存しときたい」


ラメアは飛行魔法を使う魔法使いと出会ったことがないから、空を飛ぶというのは新体験だ。

どうやって飛ぶのだろうかと思っていると…


街を出て、森の手前までやって来ると、少女は、


「はい」


そう言って、しゃがんでおんぶをするポーズを作った。


「…ごめんなさい。これ、どういう状況?」

「どういう状況も何も、おんぶだよ。知らない?」


困惑するラメアに、どういうわけかこちらがおかしなことを言っているふうに言われる。

解せない。


「飛行魔法を使うんでしょう?それとおんぶが繋がらないのだけど…」

「空を飛ぶときは一つにまとまった方が飛びやすいでしょ?効率重視、効率重視」


そう言われるとそうなのかもしれないが、ラメアと少女を比べると、ラメアの方が頭半分ぐらい身長が高い。

それに、少女はどちらかというと小柄なので、そんな相手におんぶなど、なんだか色々と素直に頷きたくない気分だ。

しかし、少女に無茶を頼んだのはこちらだし、少女が飛びやすいと言うなら、飛びやすいのだろう。


「…じゃあ、失礼します」

「うぐっ」


一応一言断りを入れながら、少女に体を預ける。

だが、案の定自分より大きいものを背負った少女はヨロリとふらつき、うめく。


「…ねぇ、本当に大丈夫なの?」

「ダイジョブダイジョブ。飛行魔法に体重は関係ないもん」


減らず口を叩くが、あまり大丈夫そうな顔ではない。

ヨロヨロと立ち上がる。


「じゃ、行きまーす」


しかし、そんな表情も一瞬、とんっと地面を蹴れば、ラメアの体がふわりと浮く。

重力に逆らい、けれど体が不快感を一切感じない。

まるで、空気と一体化したようだ。


「っ、すごい、本当にすごい!」


一気に視界が広がり、振り向けば街の向こう側、海まで見える。

もはや語彙を失い、単にすごいとしか言いようがなかった。


「ふふん、でしょ。私はホントにすごい魔法使いなんだよ」


いつも通りの、少女の得意そうな顔。

いつもだったら、呆れ半分で返すが、今日ばかりはそうは言ってられない。

少女の使う飛行魔法は、それだけ見事なものだった。


「それじゃあ、レッツゴー。ちゃんと捕まっててね」





「よっと」


木がまばらで、少し開けた場所にストリと着地する。

空の旅はあっという間で、どんどん変わりゆく景色を見ているうちに過ぎ去ってしまった。

しかし、その興奮はいまだ冷めない。


「本当にすごかった…」

「飛行魔法は帰るときも使うし。驚くのはまだ早いよ。なんせ、私たちは精霊のいる湖に向かうんだから」


少女がイタズラっぽく笑う。


「それもそうね。そういえば、まだ全然詳細聞いてなかったわ」


昨日少女が帰ってきたかと思うと、ご飯を食べるなり寝てしまって、まだ何も聞いてないのだ。


「そうだった。じゃあ、歩きながら話すね」


そう言いながら、少女が歩き出す。


「えっとね、まぁ見つけたのはある意味偶然というか。その近くで大きな魔力反応があったんだよね。で、気になって行ってみたら、そこが精霊の住む湖だったの。運がよかったんだね。普段は認識阻害魔法や幻影魔法で隠してあったみたいだけど、その時たまたまそれが綻びかかってて」

「もう、あなたはその精霊にあったの?」


少し気になって聞く。

そこで、少女はあっさり頷きながら、細かい説明を口にする。


「うん、一応ね。そこで、精霊から色々聞けたよ。願いを叶えてくれるのも、本当みたい。だから、君の願いについても聞いてきたよ」


その言葉に、思わず体が反応して、少女をつめよる。


「どうだったの?」

「そう焦らなくても…」


少女は、ラメアを押し返しながら、苦笑した。


「結果としては、治せることには治せるみたい」

「よかった…」


その言葉に、ラメアは胸をなで下ろす。

しかし、よくよく考えれば、精霊に会ってきたという少女が、今ここでこうしているのだから、治るというのはもはや確定事項だ。

一人焦ってしまって恥ずかしい。


「まぁ、でも、治そうにもその人が特定できないと治せないわけで。病人を連れてくるのは無理でも、その血縁者を連れてきて欲しいって言われて。それが、君を連れてきた理由だよ」


その後に、少女が軽く補足してくれる。

これで、一安心だ。


「さぁ、少し急ぎがてら行こうか」





そこから、歩いて数時間。

少し歩いては休憩し、襲いかかる魔物を少女が倒して着いた先は―――。


目を疑ってしまうほど美しい湖だった。


「…ここが、アリオス湖?」

「いかにも。本当に綺麗な場所でしょう」


澄んだ水。

生き生きと咲き誇る水辺の花々。

穏やかな風が、湖にわずかな波紋を作っている。

そこには、美しいとしか言いようのない幻想的な景色が広がっていた。


そのとき、不思議な声が聞こえた。


『昨日の者か』


その声の主は、湖の奥にいた。

いたと言っても、その姿形は見えず、そこには自分よりも上のものがいるということを本能的に悟っただけだった。


「はい。先日申しました通り、願いの主を連れて参りました」

「は、はじめましてっ!ラメアといいます!」


精霊と会話をするなんて、どうしていいのかわからず、声がうわずってしまう。


『いらぬ緊張をせずともよい、人の子よ』


その声は、まるで脳に直接響くようだった。

しかし、それすらも心地よいと感じさせるのは、精霊が精霊たる所以だろう。


「ラメア。ほら、お願い事」

「あっ、ええ」


ぼけっとしてると、少女に肩をつつかれる。

完全に放心していた。


「あの、お願い事、なんですけど…」

『もちろん、我の叶えられる範囲でなら、叶えよう。それが、我の使命でもあるからな。遠慮せずとも言うが良い』


おずおずと切り出せば、精霊は柔らかく受け止める。

それは、かつての母の温もりを連想させた。


「弟の、身体を治してほしいんです」

『よかろう。昨日隣の者から聞いていた通りだな』


ラメアの願いに、精霊はあっさりと承諾した。

そして、善は急げとなのか、湖の中央で大きな力が動く。



そして、次の瞬間、視界が白く光り―――


自分の中に、温かい何かが通るような気がした。



しかし、その出来事も一瞬で、目を焼くほどの光もすぐに収まる。


『これで、そなたの願いは叶えられただろう』

「っ、あ、ありがとうございます」


勢いよく頭を下げる。

何が起こったのか、ラメアには理解の範疇を超えていたが、それでももう大丈夫だという根拠の持たない、しかし確信に満ちた思いが胸の中にあった。


「ね、ねぇ」

「うん、わかってる。早く帰って、弟くんの無事な姿を見ようか」


それでも、弟の無事はこの目で早く確かめたい。

少女はそんなラメアの気持ちを汲み取って、精霊に向かって一礼をして背を向けた。





そして、また絶景を眺めている時、ふと思ったことを少女に投げかけてみる。


「ねぇ、結局精霊って何なの?」

「どうしたの、いきなり」

「特に理由はないけど、人間(わたし)の願いを叶えて、精霊は何の得があるんだろうって思って」


人間が人間を助けるのに、明確な理由がなくともそれはなんとなく分かる。

だが、人間でないものが人間を助けるのに、理由などいらないというのはなんだかおかしい。


例えば、人を食する魔族が人を助けるのは自分の食事のため。

当たり前だ。

自分と同じ種族でもないのに、助ける理由などない。


ましてや、精霊とは人よりもずっと格上の存在なのだ。

何の見返りもなく、自分の種族の繁栄でもないために人の願いを叶えることがあるのだろうか。


「まぁ、確かに願いを叶えて、精霊が得することはないよ」

「だったら…」

「ただ、願いを叶えることの根本が違うんだよ」

「どういうこと?」


少女の顔を見ようとするが、正面を向いたままの少女の顔に何が映っているのかを見ることは出来ない。


「元々、精霊ってのは魔力の集まりであり、概念的なものなんだ。普通、精霊ってのは空気中に漂うものや、草木の魔力が集まって生まれる」


それは、知らなかった。

そもそも、精霊自体がおとぎ話の今では、はじめて聞くことだ。


「でも、中には人や魔族、魔獣の魔力が混じることもある。そして、そういう意思を持つ者の魔力には、その者自身の意思が含まれるんだ」

「意思…」

「そう。例えば、先の精霊の場合は、きっと人々の願いを叶えて欲しいという願いが、多く含まれてたんじゃないかな。だから、人の願いを叶えることが、あの精霊の元になった。だから、損得以前に、人の願いを叶えることが、精霊が生きる上でして当たり前のことなんだよ。私たちが、眠ったり食べたりするのと一緒」


そういえば、かの精霊も使命だとか言っていた。

つまりはこういうことだったのだ。


「…でも、今では人々はそれを忘れて、使命を果たせなくなったのね」

「そうだね。でも、精霊自身の魔力が尽きない限り、あの精霊は消えないし、また君みたいな子がやって来るかもしれないよ。あの精霊も、それを待ち続けるだろう」

「あなたは、叶えて欲しい願いはないの?」

「…私はいいかな。自分のあり方すらも揺らいでいる小娘に、本当に叶えて欲しい願いはないから。―――ほら、街が見えてきた」



朝とは打って変わって、元気な様子のミケルに抱きつくラメア。

その様子を、少女は淡い微笑と共に見つめていた。


「…よかったね」





その日は、喜びに溢れ、皆終始笑顔だった。

ドンチャン騒ぎとはいかないが、それでも三人でお祝いし、まだ明るいうちに店に走って夕食はいつもより豪勢になった。

美味しいご飯を口に運びながら、今日あった出来事を話した。

ミケルがそれを聞きながら、姉の無茶に小言の一つ二つを言った後、「ありがとう」と口にした。


そうして、元気になったとは言え、いつも以上にはしゃいだのか、ミケルが寝てしまった後―――


「…本当に、ありがとね。全部、あなたのおかげよ」

「そんな、おおげさな」


改めて、お礼を言うと、少女は照れ隠しのように笑う。

暖炉の火が、二人を照らす。


「でも、感謝しかないの。今回のような依頼、誰かが受けてくれたとしても、かなりの額になるでしょう?それを、たったこれだけでやってくれて」

「まぁ、確かにそうかもね。特に依頼人(クライアント)同伴ってのが。私もあんまそういったの受けたことないから相場はわかんないけど、ラメアじゃあ払えなかったかも。あっ、でもこれで私的には満足だから。もうこれで十分だよ」

「そうかもしれないわね。でも、それじゃあ私が満足しなからってことで―――」


じゃじゃーんと今日の夕方買い物がてらに買ってきたものを取り出す。


「え?これって…」

「そう、とんがり帽」


それは、まさしく魔女のかぶるようなとんがり帽子だ。

黒基調で、淡い色の装飾が過度でないぐらいについている。


「まぁ、センス云々は言わないってことで。半ば衝動買いだし。帰りに見つけて、あなたにピッタリだと思ったの。あなたの魔法、すごかったし」

「……」


今時、こんな古風な帽子をかぶっている人は見たこともない。

しかし、それを見た時、なんとなく少女を思い出したのだ。


「…べ、別に無理に受け取ってもらわなくてもいいんだけど…」


じっと見つめる少女に、ラメアの声も尻すぼみになるが―――


「―――嬉しい!」


少女は、パッと破顔した。


「ありがとう。長らく誰かから、何かを貰ってなかったから、本当に嬉しいよ」


そう言って、とんがり帽を自身の頭の上にのせる。

飾り気のないその帽子も、想像を絶する美貌を持つ少女にはよく似合っていた。


「本当にありがとう。大切にするよ」


あまりに少女が嬉しそうなものだから、思わずラメアも笑みが溢れる。


「どういたしまして。こっちこそそんなに喜んでもらえて嬉しいわ」





それから、数日後。

最初の滞在計画では、依頼が終わり次第、この街を去る予定だったが、ラメアとミケルの懇願により、少しの間ここに留まることとなった。

少女にしても、ここでの生活がかけがえのないものになっていたのだろう。


そして、その選択が、物語の結末へと導くこととなる。




ある日。

ラメアが前まで寝ていた部屋にいると、ドアからひょっこりと少女が顔を覗かした。


「何やっているの?」

「片付けよ。ちょうどミケルも元気になったことだし、せっかくの機会だから、整理しようと思って」 


答えながらも、いつの頃からあるのかも定かではない品々をいるものいらないものに、分けていく。

一応代々住んできた家なので、古いものは何百年前とでも言うような貫禄がある。


「私も手伝うよ。このままじゃタダ飯食らいだし」

「ありがとう。なら、こっちの紙の束を結んでくれない?」

「ラジャー」


少女は、一度別の部屋から縛るための紐を持ってくると、いそいそと作業を始める。

ずっと旅をしてきたせいか、あまり慣れた様子ではないが、それでも頑張って紙を整えている。

詳しい年齢を聞いたことはないが、見た感じラメアと同じくらいだ。

あの博識ぶりを考えると、ラメアより年上かもしれない。

にも関わらず、少女のそれを見ていると、なんだか妹を見守っているようだ。


「?私になんかついてる?」


じっと見つめすぎたせいで、少女が不思議そうな顔をする。

これはいけない。

せっかく少女が手伝ってくれているのだ。

自分もやらなくては。


そうして、中でも奥の方にあった木箱を整理しようと蓋を開けたとき―――



一枚の写真が目に入った。



「…え?」


思わず、声が漏れる。

目にした物が信じられず、何度も瞬きをする。

しかし、見えるものは何も変わらない。


なんで、どうして、何故―――


そんな言葉ばかりが頭の中をぐるぐるとまわる。


こんなの、おかしい。だって、これは、なら、あれは、どういうこと―――


わからない。わからない。わからない。


「ラメア?」


突然固まってしまったラメアを不審に思ったのか、少女がこちらにやってくる。


「っ、ううん、なんでもない。懐かしいものに、ちょっとびっくりしちゃって」


咄嗟に嘘をつく。

こう言えば、少女が追及してこないという嘘を。


その通り、少女はそれ以上は何も言ってこない。

ただ、怪訝そうな顔をしながらも、作業に戻る。


少しギクシャクしながらとも、いつも通りの日常の一部。



しかし、一度刺さった小さな棘は、抜けることなく静かに波紋を広げていった。







夜。

ミケルがいないところを見計らって、少女に声をかける。


「…ねぇ、一緒に来てほしいところがあるんだけど」

「もう夜だよ?明日じゃいけない?」

「どうしても、今がいいの。だめ?」

「まあ、どうしてもって言うなら…」


最初は渋っていた少女だが、少し押せば、渋々とはいえ了承する。

頼まれれば、よほどのことでない限り断らない。

それは、少女の今までの言動から学んだことだ。

短くとも、一緒に笑いあった日々で。







そうして、やってきたところは先日来たばかりの森の手前だ。

街から離れているせいか、辺りは静まりかえり、時折不気味な鳥の声が聞こえる。


しかし、ラメアが何故ここに連れて来たのか。

少女は不思議そうな顔で尋ねる。


「ラメア?どうしてここに?」


しかし、いつもなら返ってくるはずの声が、いつまで経っても聞こえない。

微かな風で揺れる木々の音だけが、鬱陶しくも耳に届く。


「ラメア?」


再度呼びかける。


その声に、振り返ったラメアは―――



―――グサッ



「え?」


少女の口から、何が起きたのかわからないというような声が漏れる。


身体の中にある、異物の感触。

遅れてやって来る、熱い痛み。


少女の視線の先には、腹部に食い込んだ刃物があった。


「ラメ、ア?」


口にした名前は、その意思に反して掠れる。


「な、…んで」


しかし、返ってきた言葉は、以前のような親しみは込められていなかった。


「…なんで?」


低く、同じ人間に対する敬意の欠片も無い声。

それは、まるで人外の何かに対するようで―――


「そんなの、お前がわかってるはずよ!薄汚い()()が!」


叫び。

何かに恐怖し、恐れながらも塗りつぶすような暗いもの。


「この前、片付けているときに見つけた木箱に入っていた写真。あれは、今から三百年前の私の祖先のものだった。その写真に写っていたのは、祖先と、()()()だった!見間違いなんかじゃない。写真の中の人とあなた、寸分だって違わなかったもの!」


この世界で人に近しい形をしている種族は主に三つ。

人族。

エルフ族。

そして、魔族。


百年にも満たない寿命の人族に比べて、他二つの種族は永遠とも呼べる命を持つ。

一見、その二つの種族を見分ける方法はないように見える。

しかし、エルフ族は、その特徴的な耳を持つ。

それは、人族とも魔族とも違う。


少女の姿は、見た目本当にただの人間だ。

異様な美貌の持ち主ではあるものの、身体のどのパーツをとってもそれは人族そのもの。


だが、人族と同じ見た目というなら魔族も一緒だ。

魔族は、人を捕食の対象とし、また高度な魔法の使い手でもある。

長い寿命を持ち、人族ともエルフ族とも違う形態だ。


しかし、魔族を見分ける明確な方法など無い。

中身が違えど、外は人と同じ。

人を捕食しているところなど、わざわざ見せるものでもない。

魔法にしたって、人族にも優秀な者はごまんといるのだ。


だが、寿命だけは誤魔化せない。


「私たちに近づいて、なんのつもり?警戒を解かしてから、食べるつもりだった?」


思い当たる節は、いくらでもあるのだ。


今では忘れ去られたはずの精霊について、とても詳しく知っていた。

まるで、見たことがあるみたいに。

魔法も見た目の年ににしては、熟しすぎていた。

まるで、老練の魔法使いのように。


それらすべてが、長い間生きる魔族だと言うのなら、すべて辻褄があう。


ラメアが少女にかなうとは思っていない。

でも、ミケルにだけは手出しはさせない。


とにかく、早くとどめをと思ったとき―――


「…そっか。そっかぁ」


少女が呟く。

何かを諦めたように。

何かを悟ったように。

それは、あまりにも寂しげで、悲しかった。


だからだろうか。

その姿に、一瞬ラメアの手が止まってしまった。

そして、次の瞬間。


「ごめん。でも、ちょっと眠ってて」


身体を何かが覆ってくる。

あらがおうにもあらがえない。


必死にもがこうとするが、圧倒的な力によって拒まれる。

ヤバい、と思うが。


ラメアの暗転する視界には、少女の顔が月の逆光で映らなかった。









とさり、と倒れるラメアの体。

しっかり眠ったのを確認すると、自らに身体強化をかけて、ラメアを持ち上げる。


そうして、いつかのようにとんっと地面を蹴った。


ふわりと浮く体。

重力に逆らい、浮かび上がる。

しかし、その超常現象になんの反応もせず、少女がひとつの方向に向かって飛ぶ。


その先には―――







『随分と早い再会だな。もうそうそう会わないものだと思っておったよ』


月明かりの中、より一層神秘的な雰囲気を出しながら、かの精霊が言う。


『そなたの願いは、ないと聞いておったのだが』


少女は俯いたまま、何も言わない。


『哀れな()()()()()()()よ』


その言葉にようやく少女が顔を上げる。

そこにはただただ何もない無表情。


少女は、人とエルフのハーフだった。

もちろん普通であれば、このような二つの種族の血を受け継ぐ者は、エルフか人かのどちらかに偏る。


人の血が濃ければ、人の姿と短い寿命を。

エルフの血が濃ければ、耳の長いエルフと長い寿命を。

といった風に。


―――しかし、彼女は違った。

彼女は人の見た目でありながら、永遠とも言えるほどの命を有していた。

それが、幸か不幸かはいざ知らず。


少女の閉ざされていた口が開く。


「精霊様、私の願いを叶えてください」

『言ってみよ』


その声は平坦で、いつものような明るいものではない。

風よりも静かで、とても無機質なものだった。


「教えてください」


しかし、何かを押し殺したようで。


「人から、私に関する記憶を忘れさせる魔法を」


今にも泣きそうな声だった。


『…よいのか?』

「はい。それが、私の一番の望みです」


全てを諦めたような表情。

でも、これが一番なのだから、仕方ない。

こうするのが、お互いの為だ。

だから、胸の奥に、すべてを仕舞う。


『そうか。なら、何も言うまい』










「姉さん、おはよう」

「おはよう、ミケル」


朝、起きれば香ばしい匂いがする。


「姉さんは、目玉焼きでいい?」

「うん、お願い」


我が弟ながら、できる弟だ。

姉より早く起きて、朝の準備をしてくれるなんて。


ラメアも、台所へ入ってミケルの手伝いをする。

そして、丁度二人分の皿を出していたとき、思い出したようにミケルが口を開いた。


「そういえば、姉さん、昨日の夜どこ行ってたの?僕、心配したんだよ」

「え、昨日の夜?」


思い当たる節がなくて、思わず首を傾げる。

昨日の夜、どこかへ行った?

自分が?


「覚えてないの?いきなりいなくなっていて、びっくりしたんだよ」

「うそ」

「本当。いつの間にか、ベッドで寝てたけど」

「それ、ミケルが見落としてしたんじゃない?」

「そうかなぁ」


昨日の夜は、精霊様に願いを叶えてもらって、ささやかなお祝いをして。

その後は本当に、そのまま寝た記憶しかない。


その時、ふと疑問に思う。


あれ?どうやって自分一人であの危険な森を切り抜けられたのだろう。

浅い部分ならまだしも、あんな深くまで。

魔獣一匹にも会わず、精霊様のところまで行けたのか。


しかし、その疑問もすぐに消えて無くなる。


そうだ。

あの時は、ただミケルを助けたい一心で、無茶振りをかましたんだった。

精霊様に出会えたのは、偶然で、帰って来た後、ミケルに怒られたっけ。



そうして、ほんの少しの違和感を覚えることなく、()()()()()()()()に、戻っていった。












街を見下ろせる山の中腹に、一人の少女がいた。


初めてこの街に来たときと同じように、その瞳には、鮮やかな海と、綺麗に並んだ街が映っている。

しかし、以前のような期待は、一欠片も感じられない。



やがて、少女は街に背を向けて歩き出す。

その足取りに、迷いは無い。




柔らかい風が吹いて、少女の銀色の髪とともに、黒いとんがり帽子を揺らした。















一応、読んでない人にもわかるように書いたつもりですが、意味わかんないという人は、「名前をなくした少女」を読んでいただければと思います。


ちなみに、途中で出てきたラメアの祖先は、前作「名前をなくした少女」の最初の方に出てくる、魔法を褒めてくれた、外の世界に出てみたいと言った女の子です。

写真の技術云々は、魔法で撮ったなり、たまたまカメラっぽいのを持っていた人が村に寄ったなりだと思って下さい。


読んでいただき、ありがとうございました。

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