第3話 好きになったきっかけ
17才、高校3年生春。
桜が散り始め、はらはらと道がピンク色に染まっていた今年の春。
先生との進路相談の話が長引いて、帰りが遅くなった日のこと。
夕日が沈み、空がグレーに染まっている。
うっすらと雲が流れていているのが見えて、街灯がピカピカ光り始めた。
遅くなっちゃった。
早く帰らなきゃ。
わたしは足早に校舎を出て、校庭に出る。
部活も終わってみんな帰ってしまったのか、校庭は静まり返っていた。
もうみんな帰っちゃったんだ…
昼間の賑やかさが幻のようで、一人取り残されたような気分。
教科書が入ったカバンが急にずしっと重くなる。
先生と話した進路相談が頭を駆け巡る。
―――「木下は文学部志望かー」
担任の森先生。
国語を担当で、まだ30才。
気さくで朗らか、文系のわりに体格はがっちり。
ちょっと伸ばした無精ひげが「男らしい、渋い」ってカナちゃんがいつも騒いでる。
「色々悩んだんですけど、本が好きなので文学部がいいかなって思って…」
先生が持つ進路希望の用紙を見ながら話す。
「そうだなぁー文学部だと就職の時に苦労するかもしれないぞ。教員免許とか司書の資格をとっても募集はほとんどないらしいからなぁ…」
難しそうな表情を浮かべる先生。
「将来、就きたい仕事は何かあるのか?」
「…まだ…漠然としか…」
言葉を濁すわたし。
そんなわたしを見て、先生は深い息を吐く。
「俺も文学部出身で、就職に苦労したクチだから心配でな…まあまあ、人生何とでもなるさって笑えないかっ。ハハハっ」
「もー先生っ」
こういうときに説教じみた事を言わない先生。
こういうところが人気の秘訣。
「ハハハッ、じゃあ文学部が決まったところで、次は大学選びだなっ」
それからどの大学を受験するか1時間ほど話し合った。
結局、安全圏の私学の大学に絞って受験することになった―――
「将来何になりたいか…かぁ」
暗くなっていく空を眺めながらため息が出る。
高校に入学した時は、みんな一緒だった。
将来とか大学とか何も考えないで、毎日おしゃべりして、遊んで。
でも、気づいたらわたしは取り残されていた。
2年生の秋から進路説明会が始まって、近くの進学校に通う同級生は塾三昧だよって笑っていて。
麗ちゃんは将来役に立つからと外大への進学。
カナちゃんは自分が好きなブランドのメーカーに就職したいって決めていた。
わたしは、昔から読書が好きで国語の成績だけが人より良いだけで、文学部を選んだ。
それだけの理由。
先生もきっとわかってる。
将来なりたいものとか
目指したいものとか
情熱とか
全然ないんだって…
みんなと一緒って思っていたのはわたしだけで、みんなはわたしより前を歩いてる。
「へこむ…」
とぼとぼと校門に向かって歩き出す。
ぼんっぼんっ
誰もいないと思っていた校庭からボールの音がする。
あれ?
もう誰もいないと思ってたのに…暗くてわからなかった。
くるっと音の鳴るほうへ顔を向く。
そこにいた一人の男の子。
もう真っ暗になってきたのに、一人でボールを蹴っている。
居残り?
自主練?
首をかしげながら、じっと見つめる。
誰も見ていないのに真剣な顔で、懸命にボールを転がして、汗を流している。
額から全身に汗をかいているのが微かに見て取れた。
それはまるで、ベタなドラマのワンシーンのようで、わたしは釘付けになった。
口がポカンっと開いて、心臓がバクバク動く。
ドキドキドキ…
すごい…
短く切ったツンツン頭。
目元がぐっと上に上がっていて、険しい表情。
砂をかぶったユニフォーム。
ザッザッザッ
スパイクとボールが砂を削って舞っている。
時間が止まったような気がして、ぼうっと立ちすくんでいたら
「アッ!」
大きな声が聞こえて
ポーンとボールが宙高く跳ねた。
「えっ!?」
ハッと正気に返ると
ポンポン…
目の前にボールが転がっていた。
えっえっえっ?
動揺する。
わたしがいることに気づいた彼は
「ごめーん!ミスった!こっちに投げてー!」
両手を口に添えて、大声で叫んだ。
焦ってカバンを持っていた手を離して、コロコロと転がったボールを拾う。
「な…投げたらいいのー?」
「うんっ!なーげーてー!」
わたしに聞こえるように抑揚をつけてもう一度叫んだ彼。
促されるように力いっぱい両手で投げる。
力ないわたしが投げた球は、彼の元まで届かず、手前に落ちてしまった。
「あっ…ごめんっ」
「あははっ」
嬉しそうにボールの元に駆け寄って行く。
「あーりーがーとー!」
満面の笑みで両手を振る。
ドクンっ…
その笑顔があまりに無邪気で胸が深く音を立てた。
さっきまであんなに真剣な顔しかしてなかったのに…
ドキン…ドキン…
ギャップの激しさが胸を打つ。
「はーやーくーかーえーれーよーっ!」
そう言って、バイバイって手を振って、彼はまたボールを蹴りだした。
夕日に照らされて、2人の影が長く伸びている。
これが、わたしと彼との出会い。
恋の始まりだった。