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★37★ 優しい別れと破滅の足音。


 別れを前に湿っぽいのは嫌だと言うクリストフ神父の提案で、屋敷にある食べ物と酒を一夜で使い果たした翌日の早朝。表門から出るのは人目につくかもしれないということで、警戒の意味も込めて裏門での侘しい見送りになった。


「それではまたね、トリスタン。再び君たちと再会できることを祈るよ」


「貴男に言うまでもないとは思うけれど、ルネをよろしくね。ルネも、トリスタンが無理をしないようにしっかり支えてあげて」


「了解した。クリストフ神父も、マリオンもどうか元気で。子供達とシスター達にもそう伝えてくれ」


「わかったわ、マリオン。みんなにも、げんきでねって、つたえて」


 お互いに思い思いの別れの言葉と軽い抱擁を交わす。他人を相手にこんな関係を築けるなど、三年前までは想像もしていなかった。クリストフ神父からは昨夜一緒に嗜んだ(・・・)ウイスキーと煙草の香りが。マリオンからは仄かな石鹸の香りがした。


 私の首にはクリストフ神父から贈られたトネリコの枝葉が輝き、マリオンの鞄にはルネが彼女に貸した(・・・)植物図鑑が数冊入っている。普段は私との距離感が近いルネも、人懐っこく見えて実際は私と同じくらい他人との抱擁には慣れていないせいか、その表情はやや固い。


 三年近く結婚生活を送っているにもかかわらず、そんな思わぬ共通点を見つけられたことも何だか新鮮な気がした。


 一番早い乗り合い馬車に乗るために裏門を出た二人が、名残惜しそうに時折朝靄の中で立ち止まってこちらを振り返る。それに並んで手を振りながら、街角に消えていく二人の背中を見送った。


「……いっちゃったね」


「そうだな……寂しいか?」


「ううん、トリスがいるもの」


 きっと親しい人達との初めての別れを前にした、ルネなりの強がりだろう。けれど出逢った頃から変わらない不器用な手の繋ぎ方が愛おしくて。だから普段は絶対に言わないようなことを伝えてみたくなった。


「私達は何があってもずっと一緒だ。ルネがいれば、他には何もいらない」


 ――が、言ってからものの数十秒で後悔する。慣れない発言が気恥ずかしすぎたせいか、体温が急激に上がったように感じたからだ。それにルネが無言なのも気にかかる。


 隣に佇むルネの表情を盗み見ようと視線を斜め下に下げれば、そこには声もなく涙を零す彼女がいた。


 咄嗟に腕を引いて抱きしめた私の背に、彼女の腕が回される。耳許で囁かれた涙に曇った「だいすきよ」の言葉に「私もだ」と答えると、負けず嫌いなルネは悪戯っぽく「わたしのほうが、まえからすきよ」と笑う。


 数時間後にはまたあの広場で命を刈り取るこの手も今は、彼女の髪を梳くだけの道具であれば良いと思った。


***


 ――日々淡々と繰り返すだけの時間の進みとは早いもので、クリストフ神父とマリオンと別れた日から三ヶ月。それを“すでに”と捉えるか“たったの”と捉えるかは微妙なところだ。


 連絡を取る術もなく教会を訪ねる暇もないまま、どうにか彼等が無事に国外に逃げ延びていると良いとだけ、毎日就寝前にルネと話す。


 身体に染み付いた臭いを気にしていた私をルネが嫌うことはなく、私もあの日から彼女とベッドを別々に使う気はなくなっていた。ルネと額を合わせて抱き合って眠る。それだけでまだ“人間”でいられる気がした。


 クリストフ神父から譲り受けたトネリコの枝葉は私の持ち物になったものの、祈るという行為に使ったことはない。死神が祈りを捧げたところで、神とやらが聞き届けるとは思えないからだ。


 そんな私にとっての日常と非日常は、屋敷の玄関ドアを一枚隔てた外にある。ルネからかけられる『いってらっしゃい』の言葉に応じた後は、個を捨てた一つの歯車へと意識を切り替えた。


 あの日から三週間目を境に、王都に連行されてくる魔女の数はさらに増え続け、今では一日に処刑する人数は八人から十人ほどまで膨れ上がっている。老若関係のない魔女の誰もが私を罵り、憎しみと恐怖に塗り潰された死顔を見せた。


 当初は広場だけに漂っていた死臭は今や街にまで流れ出し、家々の窓はまだ日の高い時間から締め切られているところも目立つ有り様だ。最近では政治から隔絶された私の耳にも王家の者達の放蕩ぶりと、私腹を肥やす中枢の貴族達の噂が届いていた。


 日用品にかけられていた税率はさらに上がり、関所の通行料も上がったせいで商人達の数が減り、一部の市民の生活は農奴のそれと変わらないほどまでに困窮し、噂では王都への出入りが禁じられている奴隷商人が暗躍しているとも聞く。

 

 当然のように王都からの人口流出は凄まじく、最近では王都を出る際の転居税も法外な金額になっているらしい。不名誉な真実を他国に持ち出させまいとする中枢部の悪手だ。


 しかしそれでも依然として公開処刑の人気は高く、悲劇のただ中にいる“罪人”を見物することで、自らの立場を少しでもマシなものだと思い込ませているようにも見えた。人々が目を背け続けていた何もかもが一斉に牙を剥いている。


 そんな中で最近一部の者達の間では“聖女”の存在を求める動きもあるという。情報は人から人へと高所から低所へ水が流れるように広がりを見せ、役人達が必死で噂の出所を探り捕らえても、最早止めることはできていない。


 “聖女”を捕らえて首を討てばこの騒ぎが収束すると信じている者。

 “聖女”を奉り上げればこの国が生まれ変わるという熱病にかかる者。

 “聖女”と共に武器を手に王家打倒を叫び世直しをしようと扇動する者。


 どれが間違いでどれが真実なのか。

 どれも間違いで真実など端からないのか。


 もしもこの国中の罪人の首を斬れと王家に命じられたとしたら、私はこの右手の証と家名にかけて、処刑の道具として大斧を振るうつもりだ。



 ――『良い出来だ』――



 何も求めず与えられない我等(・・)が唯一、子供にかけることの赦された言葉のままに。あの言葉を口にする時の父の声以外、私は父の肉声を思い出せない。


 そんなことを考えながら今日も城への報告を終えて乗ってきた馬車を降り、逃げるように走り去る車輪と馬蹄を耳にしながら門を開け、玄関ホールに続くドアを開ければ――。


「おかえりなさい、トリス!」


「ああ、ただいま、ルネ」


 私の持ち帰った灰色の“日常”が吹き飛ばされ、瑠璃色の瞳をした“非日常”が胸に飛び込んで「まっていたのよ」と優しく囀ずってくれるから。私は悲運の一族で唯一幸せな死神なのだろう。

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