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◆死神に、愛を囀る青い鳥◆  作者: ナユタ


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37/53

★34★ 日が沈んでしまうまで。


 七月の太陽は傾くのが遅く、時間はすでに夕方の六時を回っているのに、空はまだ抜けるように青く、オレンジ色にすらなっていない。


 窓から差し込む光に照らされて目を眇めるのは、この三年間ですっかり通いなれた教会。その中でも特によく世話になった一室であるクリストフ神父の自室で、私達はいつもの如くウイスキーと煙草を手に向かい合っていた。


 ただ少しだけいつもと異なるのは、窓の外から聞こえてくる子供達の声がかなり小さいことだろう。


「……こちらを半月訪ねなかったうちに、子供達の声がまた減ったようだ」


「ああ。だけどそのおかげでこうして明るい中でも君と飲んでいられる。急に子供たちに部屋のドアを開けられて、シスター達に告げ口される心配もないからね」


「子供達の目がなくなって貴男は不良ぶりを隠さなくなったな。そんなことでは首にかけたトネリコの枝葉が泣くのではないか?」


「それを言うなら君も随分と明け透けに話してくれるようになった。子供が憎まれ口を叩くようになるのは、大人を認めてくれたときだからね」


 私との軽口の応酬を制した彼はそう悪戯っぽく薄い水色の目を細め、グラスに持ちかえるのが面倒なのか、横着をして紅茶を飲み終えたティーカップに注いだウイスキーを舐めるように口にした。


『王都にいるトリスタンとルネさんには申し訳ないのだけれど……この国の情勢が完全に傾ききってしまう前に、わたしたちは知り合いの商人達の手を借りて教会(ここ)を出て行こうと思っているんだ』


 クリストフ神父が煙草の煙を燻らせながらそう言って眉を下げたのは、ルネが二十二歳になる前日に最初の魔女を処刑した日から、約一ヶ月後にここを訪ねたときだった。


 言われた直後は一瞬理解が追い付かずに呆然としてしまったが、言われてみれば魔女狩りが流行り始めた中で、ここに残るのはむしろ危険だと考えたクリストフ神父の発言は当然のことだ。


 現在はそのためにガーダルシアに入ってくる商人達に幾らか握らせたり、私の手慰みで大量に作って使いきれない薬を渡す代わりに、子供とシスター達を辺境領や隣国の教会まで運んでもらっているそうだ。


 事実あの日を皮切りに、今では一ヶ月に五、六人の“魔女”が各領地から送り込まれて来るようになっていた。この数字が多いか少ないかは、前年に火刑に処された人間の数と照らし合わせれば一目瞭然の数字になる。


 しかし過去に行われた魔女狩りの記載を辿るに、今のままの人数ですら生温い。一族の記録では、むしろ王都に送られてくる前の段階で処刑人を介さない拷問を受け、命を落とす者も多いと書かれていた。暴力と正義をはき違えた人間ほど恐ろしいものはない。


 そもそも、正義などという不確かな定義がこの世に何故あるのだろうか。仮に絶対的な悪があったとしても、絶対的な正義はもはや正義とは呼べないのではないか。誰もがそれを声高に叫べば争うことにしかならないのに不思議なものだ。


 何にせよそのうち一ヶ月の間に王都に送られてくる魔女は十人を余裕で越えるだろう。そうなってくると、もうほとんどここには来られなくなる。


 ルネはこのことについて初日にたった一言『しかたないわ』と言っただけで、それ以降は何事もなかったように、マリオンと一緒にすっかり少なくなってしまった子供達と料理や刺繍に励んでいた。


 私が彼女しかいらないと思ったところで、彼女には私以外の人間が必要だろうに。それでもルネはマリオン達と一緒に行きたいとは言わなかった。それが嬉しいと少しでも感じてしまった醜い心根が恨めしい。


 義父はあの一件から手紙を寄越すことはなくなったが、あの男が諦めたとはまだ到底思えなかった。ぼんやりとしていたら、いつの間にか指に挟んでいたはずの煙草が抜き去られ、灰皿の上で燃え尽きている。


「君のことだから先のことが不安になっているのだろうけれどね、トリスタン。今年一杯はわたしもマリオンもここに残るつもりだから、安心しなさい」


「え……」


「おや、違ったかい?」


「いや、たぶん違わない、が……」


「ははは、そうだろうね。ここにルネさんがいたら、きっと君を甘やかそうと抱きしめて離さないだろうな」


 内心の不安を言い当てられたこともそうだが、ルネの行動が目に見えるようでそちらの方が恥ずかしい。彼女は人目を憚るということを思い付かない性格なので、ここでも色々と子供達に囃し立てられたことがある。


 ――結婚式のときもそうだった。あのときも結局あとで散々唇に口付けられて、彼女の口紅が私の唇に移ったことをからかわれた。そのときのことを思い出していた私の表情に微妙な変化でもあったのか、トリスタン神父は喉の奥で小さく笑う。


「そうそう、来月は君の誕生日だったね。何か欲しいものはあるかい? 大したものは用意できないけれど、最大限希望に添えるように努力をしよう」


 しかしそれ以上こちらをからかう気はないのか、不意に思ってもいない方向に話の舵を切られてしまった。


 ルネは常に私に何が足りないのかを知っているし、彼女からもらうものは何でも嬉しいので、こうしてここでクリストフ神父やマリオン達に何が欲しいと訊ねられると毎回困る。


 前回の誕生日には確か、この部屋に隠されていたブランデーを一瓶もらった。今回も急なことだったのでしばらく無言で考えていると、視界に揺れた銀色のものを反射的に追ってしまう。


 けれど物が物なので断られるだろうと思いつつ、他に思い付くものもなかったので、冗談めかして「だったらそれを」と、クリストフ神父の胸元で揺れるトネリコの枝葉を模したそれを指した。だがそれを聞いた彼は自身の胸元に視線を落として薄く微笑んだ。


「これか。別に構わないけれど、銀製品とはいえそこまで高価ではないよ?」


「流石に人からもらったものを換金する気はないが。というよりも、一応それは聖職者の商売道具だろう」


「ふふ、真面目だね君は。こんなものは余程のことがない限り、どこの教会にもあるよ。神父として赴任すればだいたい無償で手に入るし、街に行けば店でも信徒用の粗悪品が購入できる」


 けれどそうさらりと黒いことを言った彼の視線は、私の左手の薬指にあるボタンの指輪を見つめていた。そんな彼の左手の薬指には当然のことながら、普通の指輪がはめられている。


 だからどうだということもないものの、何となく左手でブランデーの入ったグラスを持つ。目敏い彼のことだ。今まで右手で持っていたグラスを、急に左手に持ち替えたことに気付いているだろう。それでも彼は何も言わなかった。


「誕生日の贈り物が決まって良かった。でもまだ今ここでは渡せない。君の誕生日は来月だ。そのときにまた受け取りに来るといい」


 そう言って穏やかな微笑みを浮かべる彼に、私はいつからか父の面影を探すようになっていた。別に彼が老けていると感じているわけではないが、もしも父と普通の親子として話すことがあったのなら……と。


 そんな詮のないことを考えながら、開け放した窓から入る日差しに目を細めていた私に向かい、彼は眠るように穏やかな死顔をちらつかせて微笑むと、手にしていたティーカップを軽く私のグラスにぶつけて。


「これから夏だからね。まだまだ、日が沈むまで時間はある。だからまずは、今を楽しもうトリスタン」


 そんな風に飄々と煙草と酒を楽しむ姿に頷き返して、窓から流れ込んでくる夕食の香りに僅かに混じる焦げ臭さにルネを思って苦笑しながら、ブランデーの揺らめくグラスを傾けた。

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