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★23★ 結婚生活日誌。


 ――三月。


 ルネと初めて喧嘩をして、クリストフ神父達を巻き込み、お互いの心を打ち明けあってから、私達の本当の意味での結婚生活が始まった。あれからも毎日『だいすきよ』と囀ずるルネが愛おしくて堪らない。


 義父からの手紙が鬱陶しいが、ルネがいれば堪えられる。



 ――四月。


 本職の仕事量が前年の同時期に比べて増え始める。処刑内容は相変わらず物盗りが目立つ。血に酔う見物人達の中に、将来処刑台(ここ)で世話をするかもしれない死顔の者も増えた。


 建国記念祭は例年通りの賑わいで、屋敷に籠っている私達の耳にもパレードの楽団の音楽や、国家を歌う民衆の声が届いて。私とティータイムを楽しんでいたルネは『このうた、すきじゃないわ』と唇を尖らせる。


 確かに大きな戦争を繰り返して国を得たことを声高に誇る歌は、優しいルネには合わないだろう。だから『私もだ』と答えれば、彼女は嬉しそうに『やっぱり』と微笑んだ。 


 日々クリストフ神父が気にしていた王都での変化に耳をそばだて、手に入れられる情報は全て書き留め、仕事の合間を縫って教会まで報せに走った。春の陽射しに庭の薬草園が一気に華やぎ、ルネの花畑も色とりどりの花を一斉に咲かせる。


 義父からの手紙が鬱陶しい。



 ――五月。


 気候が良い月は本職が賑わう。軽いものも重いものも、全般的に刑罰が一巡するのもこの季節だ。鞭打ち刑の途中で死んだ罪人が出た時は久々だったこともあり、広場は大盛況だった。


 ギレム家の長女(・・)が結婚したとの風の報せを聞き、殺意が湧く。それでも隣にいる彼女が『わたしにも、あなたがいるもの』と微笑んでくれれば、溜飲も下がった。春の日射しに幸せそうに微睡む彼女には、死の影も形もない。


 ルネは花の蕾がたおやかに開くように艶やかな二十一歳になった。今年の彼女への誕生日の贈り物は散々悩んだ結果、様々な色の小花をあしらった髪飾りと、彼女の望む気持ちが良いことを少々(・・)。もう少し忍耐を鍛えようと切実に思った。


 義父からの手紙が鬱陶しい。



 ――六月。


 死体が傷みやすい時季は疫病の温床になるので、晒したままになる絞首刑や車裂きのような重い処刑は減る。軽い刑だけだと広場は少し静かだ。


 汗ばむ気温になり始めたことで、ルネの装いに露出する部分が多くなる。そうすると彼女の白い肌に未だ残る無数の傷痕が痛ましく、どうにかその痕を消してやりたいと新しい調合の研究に力を入れた。


 ……が、ふとベッドで図鑑を眺めていたルネが『けんかする?』と言い出したので、研究は程々にして妻の機嫌を取ることに専念する。


 最近は王城から毒薬と自白剤と増強剤に加え、避妊薬の注文が新たに増えた。すでに跡取りがいるために打ち止めにするつもりなのか、それとも新たに火種になりそうなものを抱え込んだのか……王族も俗物なものだ。

 

 その点、貴族家からの注文は相変わらず火遊び用の避妊薬が多い。安定した屑性ではあるが、切れない客層であるには違いない。


 与えられたにしろ、自ら手に入れたにしろ、押し付けられたにしろ、どうして【普通】をそこまで捨てて生きられるのだろうか。理解に苦しむ。膝の上で眠るルネの横顔を見ていると、つくづく社交界に縁のない人生で良かったと思う。


 義父からの手紙が鬱陶しい。



 ――七月。


 六月と同様の処刑日程。しかし最近はルネが人目を憚らずに甘えてくるので、以前ほど使用人達を呼ばなくなる。


 薬師としての副業もクリストフ神父経由で、彼と顔馴染みの商人から少しずつ入るようになってきた。王家と貴族達からの注文は相変わらずだが、気になるのは一般からの注文の現象か。


 ……まだ気のせいの域を越えないのでしばらくは捨て置こう。


 それと教会にいた赤ん坊に引き取り手ができた。養い親になる商人の夫婦は、奥方が長く不妊に悩まれていたらしく、赤ん坊を抱いてそれは愛おしそうにあやしていた。クリストフ神父は『喜ばしいことなんだけれどね』と。ここにはいない赤ん坊の母親を思って複雑そうに言った。


 何と声をかければいいか分からず黙っていると、横から『あのこは、しあわせね』とルネが笑ったことで、神父もようやく『ええ』と微笑んだ。祝いの席に誘われたが、処刑人がいては縁起が悪い。


 丁重に断って馬車に乗った帰り道で、ルネは『わたしも、しあわせよ』と。不意打ち気味に微笑みと共に口付けられた。


 義父からの手紙が鬱陶しい。



 ――八月。


 六月、七月と同様の処刑日程。ただ物盗りは一定人数常習犯がいるので、処刑台には今日も片方だけの手が転がる。


 私ももう二十三歳。張り切るルネに今年は去年のような贈り物は困ると言えば、不満そうではあったもののやや大人しいものになった。それでもこちらにとっては苦行なのだが……。


 来年からは間違いが起こった時のことを考えて、一ヶ月前から薬を服用しておいた方がいいかもしれない。ふとこのまま私の寿命が尽きるまで逃げ切れば、この処刑人という職がなくなるのではないかと――……らしくもない甘い期待をしてしまう自分がいた。


  ――『良い出来だ』――


 直後にそう響く幻聴が私を責める。一族で一人だけ伴侶に愛された私を、彼等は赦しはしないだろう。右手の甲にある処刑人一族の証。雷に貫かれる大斧の断罪は、いつかこの身にも届くのだろうか。


 そんなことを考えて私が沈んでいると、すぐにルネが気付いて抱きしめてくれる。絶対にこの腹に命が宿ることがないようにしなければ。


 ……義父からの手紙が鬱陶しい。



 ――九月。


 八月ほどではないにしても血が大量に流れる処刑をするには気温が高い……のだが、今月は放火犯が出てしまったので死体が腐る心配をせずに火刑にできた。火刑は準備に時間がかかるものの、そんな待ち時間も含めて人気がある。


 ただ生きたままの人間を燃やすのは非常に時間と根気と狂気が必要になるので、煙で酸素が足りなくなって昏睡した状態になることが望ましい。


 毎回不完全燃焼を起こして煙が出やすい枝葉を入手しなければならないのだが……。毎度この手間が面倒なので、私の代から毒殺してから普通の木材で焼こうかと悩んでいる。


 仕事を終えて屋敷に帰ると、抱きついてきたルネに『こげくさい! トリスがもえてる!』と言われ、あわや水をかけられるところだった。こんな少し足りない妻に癒される日々も悪くない。


 義父からの手紙が鬱陶しい。



 ――そして、十月。


 あと数日で彼女と結婚してから二度目の記念日がやってくる。私に仕事と家庭を行き来する【普通】の幸せな生活をくれた彼女に、今年は何を贈ろうか。そんなことを考えながら、処刑日程の空きを調べる。

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