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★21★ キナ臭い世間話。


 顔色一つ変えず優雅に一杯目のブランデーを飲み干した神父は、さらに二杯目をカップに注ぎながら「そういえば、君の目から見て最近王都の方はどんな様子かな?」と尋ねてきた。


 意図の読めない質問に一瞬身構えたが、尋ねられた内容自体は世間話の部類かと思い直して……けれどやはり答えられる内容ではないと結論付け、煙草の煙を細く吐き出しながら首を横に振る。


「どんな様子と問われても、特に何かを考えて日々の生活をしているわけではないから、大した情報は持っていないな。そもそも処刑人に余計な思想は必要ない。代々処刑の執行だけを考えて生きろと言われている。だからこちらも深く情報を知ろうとはしない」


 こちらを向いて一瞬だけまるで痛ましいものを見るように目を眇めた神父は、煙を吐き出してゆっくりと頭を振った。


「あー……それはそうか。君も色々と不自由な身の上だな」


 そう言う彼の口許がやや皮肉気に歪む。聖職者らしくないその笑みをぼんやりと眺めていると、再びソファーから立ち上がった彼が本棚を漁り始めた。何となくだが、また良からぬ物が出てきそうな気配がする。あの本棚には悪魔信仰の祭壇でもあるのだろうか。


 ガサゴソと紙が擦れ合う音がして、戻ってきたクリストフ神父が「だったら尚更これを読んでみて、君の感想を聞かせて欲しい」とテーブルに乗せたのは、あまり質の良くない紙の束だった。


「読むのは構わないが、これはいったい何だ?」


「うん、これはこちらにやって来る商人達から聞いた話の断片を纏めたものだ。彼らは情報に敏い。有用なものが手に入るか入らないかはその時の運だけれど、村に立ち寄る時に聞かせてもらうんだよ。ここにいる子供たちが独り立ちできる歳になったとき、どこに仕事があって、どこが安全かを知るためにね」


「成程、理に敵ってはいるな。ただこの量ではすぐに読めるものでもない。ひとまず貴男が気になっている部分だけ教えてくれないだろうか」


 書類整理は苦手ではないものの、質の悪い紙は古いものから新しいものまで結構な枚数がある。非効率的なやり方を好まない質なのでそう言えば、クリストフ神父は咥えたばかりの煙草に火をつけながら頷いて、一枚ずつ彼が気になっているのだろう用紙を開いていく。


 私は開かれたものを流し読みしつつ、関連性のある単語と内容を頭の中で繋ぎ合わせていった。大抵の部分で触れられていたのは、各都市や領地の様々な税の徴収額の微増についてだ。


 商人達からの情報らしく、関所の通行税や市場税についての記述が目立つが、その中でも生活必需品にかかる税の増額が少しだけ他よりも多い。目に見えて大きく変わることはないが、ジリジリと確実に上がっていっている。


 確かに生活の基盤になる必需品に税をかければ一瞬は財政が潤うだろう。しかしその後は先細りする未来しか見えない。それを各土地の領主達が分からないとも思えないが、国の中心から各領地にかかる税額が上がれば、領主達も税率を引き上げるしかないだろう。


 普通に考えて国の中枢の政策が、各地方領主よりも低いということはあり得ない。というよりもあってはならない……はずだ。それにしてはお粗末すぎる数字の数々に少なからず驚いた。


 隣国との国境線付近である辺境領まではまだその手も伸びていないが、それは偏に辺境領が隣国とこの国を上手く利用できているからだ。少しでも中枢があの辺りの土地に手を出せば、辺境領の諸侯は隣国と手を組んでこの国を脅かす存在となるだろう。


 奇妙な話だが、この紙の束に書かれた情報を信じるのであれば、もう隣国か辺境領しか安全でないようにすら見える。ともすれば一番キナ臭いのは、本来なら安全圏であるはずの王都を囲む領地だろう。


 ブランデーのカップに手を伸ばすことも忘れ、煙草の灰を気にしながら、一枚、また一枚と紙をめくる。短くなった煙草を神父が取り上げ、新しく火をつけたものを咥えさせてきたので、軽く会釈してさらに数枚読み進めた。

 

 不思議と自分の世界のこととして見ないこの国(ガーダルシア)は広く、質の悪い紙に書き出された文字達はどこか遠い異国の紀行文のようで、少し面白いと感じてしまう。その一方で最近罪人に物盗りが増えている理由もうっすらと分かったが、そこには心を動かさない。


 処刑は仕事であり、生きるために食事をとるのと同じだ。おかしな同情心を持ったところで、彼や彼女等が自分達よりさらに弱い者達から物を奪ったことに変わりはない。罪は罪であり、罰は罰だ。そこに余計な感傷など必要ない。


 ようやく最後の一枚を読み終えたところで「どうだった?」と再度問われ、私は初めて“自己”の考えを求められたことに多少の居心地の悪さを感じつつ、頭の中で情報を組み立てて口を開く。


「私の立場で政治的な発言をしたところで無意味だ。しかし中枢の金庫番が無能なのか知らんが、王都の経済活動で生じた経費不足の補填を地方領地からしようとしている。それも生活必需品に税を上乗せするという小手先の手だ。普通に考えてあまり良い案だとは思えない」


「うん……うん、そうだね。続けて」


「これが短期的なものであれば、最初の三年くらいは保てる政策だろう。だが、長く続ければ一部の民が篩にかけられて一般的な生活を送れなくなるな。そうなれば盗みが横行し、都市部の治安が下がる。そうさせないように厳罰化を進めれば犯罪は一時的には減るが、数年もすれば今度はもっと大きな犯罪が増える」


 もしもそうなった場合は私の仕事が増えるとは、流石に教会内で続けない分別はあった。その中にここで見た子供の姿があったとしても、手心を加えることはないとも。私は正義を執行するのではなく、与えられた職務をこなすだけだ。


 人殺しの道具が使用する人間を恨むことなどあり得ない。その逆は起こり得ることは少々理不尽ではあるが、そんなものだと割り切れば何とでもなった。全て語り終えた私を見て不思議な笑みを浮かべると、いつの間にかまた空になっていたティーカップにブランデーを注いだ。


「――クリストフ神父、そろそろ止めておかないと翌日に響く。酒臭い聖職者の説法など誰も真面目に聞かないぞ?」


「ははは、心配とご忠告をありがとう。でもね、聖職者からの説法よりもお酒の酩酊状態の方が救いになる日もある。今の君がまさにそうだし、わたしも時には神の言葉を無視する日があるのだよ」


「それは……たとえばどんな時に?」


「教会から独り立ちした子供達が不幸な目にあった日、かな。さっきの赤ん坊だがね、本当は昔ここを出ていった子に似ている。髪の色も瞳の色もだけれど……くるまれていた毛布が、あの子が気に入って餞別に持っていったものと同じ(・・)だ」


 そう言って、クリストフ神父はブランデーの入ったカップに口をつける。水色の瞳にはあの部屋で見た時とは違う感情が揺らいで見えた。どう言葉をかけるべきか悩んでいると、彼はこちらのそんな内心を見透かすように笑う。


「君はとても良い子だ。それにとても聡いね。情報はね、君たちやわたしたちのように、立場の弱い人間こそできるだけ多く知っている方が望ましい。情報を持たない間にここから見送った子らは、わたしを恨んでいるだろうなぁ」


「……何故こんな話を私に?」


「何故、か。そうだねぇ……君は口が堅そうだし、ここにずっといる人間ではないからだろうね。わたしはここで唯一の“大人”だから、格好をつけなければならない。それにわたしは君が不幸せな顔をしているのが嫌だ」


 そうあっけらかんと言い、ティーカップの中身を煽る神父を奇妙な生き物を見る気分で眺めていたら、煙草の灰がテーブルの上に落ちて。慌てて紙の束を退けて灰皿へとまだ熱い灰を追いやっていると、クリストフ神父はいつもの調子で穏やかに微笑んだ。


「明日は二人でしっかり話し合って、それから誠心誠意謝りなさい。君のことを心配して怒ってくれるくらいだ。きっと許してくれる」


 そんな不良聖職者の滅茶苦茶な言い分に半ば押し切られるように頷いたものの、何故か心が話す前よりも楽になっているのが若干悔しく、複雑な心地がした。

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