*幕間*残酷で滑稽な。
ランプの火が揺らめく自室でもある書斎で寄付の礼文を考えていると、廊下から子供達の足音とそれを嗜めるシスター·マリオンの声が響いてきたので、苦笑しながら一度ペンを置いて部屋のドアへと視線を固定する。
するとすぐに元気すぎるノック音がして、こちらが許可する前にドアが開いた。ドアの隙間から身長順に子供達が顔を覗かせる。わたしが仕事中だということに気付いた年長者が“しまった”という表情を浮かべたけれど、首をゆっくりと振って気にしないで良いと伝えた。
頷いた彼は「せーの」と小さく年少者組に合図を送り、直後に「「「おやすみなさい、神父様!」」」と、どちらかと言えば“おはよう”の大きさで叫ばれる。たぶん直前まで何かしら遊んでいたのだろうが……こんなに興奮した状態で眠れるのだろうか、この子達は。
「はは、元気が良いね皆。その調子で明日も挨拶してくれると嬉しいよ。ちゃんと暖かくしてお休み」
そんなことを思って苦笑しつつも、毎夜そう答えるのと同じ台詞で就寝の挨拶をすると、子供達は「「「はーい!」」」と元気よく返事をして、きた時と同じようにバタバタと孤児院に続く廊下を駆けていった。
その足音にまたシスター·マリオンの、女性にしては少々低い温もりのある声がかけられ、子供達の返事がそれに続く。その声と足音が遠退きすっかり消えた頃、再びペンを取って礼文を考えていたら、今度は控えめに部屋のドアがノックされた。
ドアへと視線を向けると、向こう側から『神父様、珈琲をお持ちしました』という少々低い温もりのあるあの声。彼女もこの時間帯に毎日珈琲を淹れて持ってきてくれる。
席を立ってドアを開ければ、そこに赤い髪のシスターがトレイを持って立っていた。しかしいつもは一つのカップが今夜は二つ載っている。しっかり者の彼女には珍しい相談事か、昼間の二人と距離を取るようにとのお小言か……。
ふと動きを止めてしまったわたしを見上げてくる髪と赤い瞳を持つ彼女に、やんわりと微笑んで「ありがとう。入って下さい」と言葉をかければ、ホッとした様子で「それでは失礼します」と答えて入室する。
神父とシスターという立場ではあるものの、彼女はまだ年若い。身を寄せてまだ日の浅いシスター見習い達が妙な噂を立たないように、ドアを爪先分の幅だけ開いておく。
古びた来客用のテーブルを挟んで向かい合うよう腰を下ろし、ほぼ二人で同時にカップを手にした。そのことに彼女が小さく笑い、わたしも笑う。
今年で四十三歳のわたしと、確か二十五歳になったばかりの彼女。子供が早ければギリギリ親子の年齢差ではあるが、彼女は二十年前にわたしがここへやって来て以来の付き合いで、この教会一番の古株だった。
見る人によってはややきつい顔立ちに見える美人さんであるが、教会にお祈りにやってくる信徒の中には、彼女を目当てにしている青年達も見受けられる。
だから何度も市井に戻って家庭を持つことをそれとなく進めたのに、余程ここの居心地が良いのかずっと残ると言ってきかない頑固な一面もあった。今そんな彼女のつり目がちな紅玉の瞳は、カップとわたしの間で揺れている。
「さて、それでわたしに何か悩みごとの相談かな? シスター·マリオン」
話し出せないでいる彼女にそう声をかけると、彼女は小さく頷いて口を開いた。
「――……ダンピエール夫妻のことで少しお話が」
やはりそこかとは思ったものの、それはそうだろうなとも思う。あの二人は“一般的な社会に属していない”どころか、本来教会とは一番遠い立ち位置に属する人種だ。責任感の強いこの娘にしてみれば、得体の知れない者達を教会に招き入れることが不安であり不満なのだろう。
今日も薬のお礼としてわたしが提案したせいで、彼女は彼の妻に料理の指導までする羽目になったのだ。何の文句もない方がおかしい。
「あの二人を教会の敷地内に入れるのは嫌かい?」
「いえ、そうではなくて……お二人のことで懺悔をしたくて。あれだけ偏見に満ちた生活を続けているのに、彼等は決して不幸を自慢にするわけでもなく、淡々と日々の生活をお互いに尊重しあって生きています。それを私は勝手に噂を鵜呑みにして侮蔑していました……」
しかし俯いた彼女は、そんなこちらの予想を軽やかに交わしてとても意外なことを口にした。二十年前にここを訪れたばかりの頃のわたしと二つほど歳上なだけなのに、当時のわたしとはまるで違う。
大人への猜疑心に溢れた瞳をしていたあの幼い少女が、優しさと視野の広さを持つ淑女に成長したものだと感慨深いものがある。ただ無為に時間が流れただけではないことにふっと温かいものが体内に満ちていく。
「わたしが君と同じ歳の頃は、もっと視野が狭くて浅慮な若造だったよ。それを君はもう気付いた。素晴らしいことだ」
「そ、そんなことはありません! クリストフ先生はあの頃からずっと私の憧れの大人ですから」
思わずといった様子で身を乗り出して懐かしい呼び名でわたしを呼ぶ姿に、やや気恥ずかしいものの「それは光栄だね」と答えて、当時のように彼女の頭をポンと撫でる。すると「流石にこの歳で子供扱いは……」という小さな不満が聞こえたが、嫌がる素振りは見せない。
「いつの間にこんな風に褒めることがなくなったのだろうねぇ」
「ええ、と……十五歳くらいだったと思います……」
「やあ、もうそんなにかい? わたしも歳を取るわけだ」
およそ十年前という事実に驚いたせいで、最後の一言は自嘲の響きを含んでしまったけれど、シスター·マリオンが気付いた様子はない。ポン、ポン、と撫でる手に赤い双眸が細められる。
「――彼等の歩む苦難多き道に、神のお導きがあるように祈ろう」
目に見えぬ者に祈ることに救いがあろうが、なかろうが。どうしようもない地上で見えない明日を生きる我々には、その尊き存在を信じて祈るしかないのだから。




