オカン王子
秋人視点です。前半暗めです。
小学校から真っすぐ寄り道せずに家路に着く。家に帰り部屋に戻ってすぐに私服に着替えて、上質な生地でできていることが一目でわかる制服をハンガーにかける。ここ数年、毎日こんな感じだ。
うちの家計はまさに火の車。兄の智夏が描いた絵でなんとか食いつないでいる状態である。兄ちゃんは絵の才能が無いといつも言っているが、才能が無かったら絵なんて売れるわけがない。しかも僕が通っている私立の小学校の学費も兄ちゃんが稼いだお金から賄われている。多分、この無駄にでっかい家を売って、公立の小学校に行けば、今よりも楽に生活はできていたはずだ。
着替えた後にリビングに向かうと、そこには割れた酒瓶が散乱していた。ため息をついて、瓶の破片を片付けていく。あの男、父は昔はこんな飲んだくれた最低な人物ではなかった気がする。父が豹変したのはあの日、僕たちの母親が家を出て行った日。一番上の兄、春彦が亡くなってから数日後のことだった。春彦の遺品である大量の絵とともにあの女は僕たちの前から忽然と姿を消した。
瓶の破片の合間によくよく見ると赤い液体が。中身が赤ワインなのかと思っていたのだが、ラベルを見るとそうではない。赤い液体の正体に気付き、戦慄する。片付けの途中だったが、急いでその場から離れる。向かう先は兄ちゃんが閉じ込められている小屋。走った勢いのまま古びた扉を開ける。
「兄ちゃん、瓶で殴られたの!?」
「おかえり、秋人。殴られたっていうか、投げつけられた」
「止血くらいしてよ兄ちゃん!!」
むき出しの左手と右足から血が出ていたのだろう。今は固まっているが、どうやら手当は一切していないようだ。
「あぁ忘れてた」
兄ちゃんは痛みを感じない。感じることができないのだ。兄弟の中で唯一母親に似た智夏は、父からずっと暴力を振るわれ続けている。兄ちゃんの顔は、あの女に瓜二つと言ってもいいほど似ている。あの女の影響で兄ちゃんも昔はピアノをやっていて、『鬼才』と呼ばれるほどの腕前だった。でも、一番上の兄が亡くなって、あの女が出て行って、父はこの家からピアノを捨てた。音楽を消し去った。そして兄ちゃんに死んだ兄が得意だった絵を押し付けた。
兄に暴力を振るう父が憎い。
僕たちを壊した母が憎い。
家族を置いて逝った兄が憎い。
それでも、一番憎いのは、見てるだけの無力な自分だ。
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父が死んで叔母の家にやってきて1か月。僕はまた小学校に通うことになった。今度は公立の小学校である。以前の小学校では友達が一人もいなかった。というか作る余裕がなかった。学校では常にスーパーのタイムセールのことで頭がいっぱいだった。
香苗さんの車で小学校にやってきた。今住んでいる香苗さんの家から、小学校や兄ちゃんの高校は遠いので、毎朝香苗さんが送ってくれるらしい。早起き苦手なのに。香苗さんには申し訳ないけれど、縁遠かった愛情が感じられて、少し、いやかなり嬉しい。本人には言わないけど。調子乗るから。
「香苗さん、送ってくれてありがとう」
「どーいたしまして!いってらっしゃい、秋くん!」
「頑張れよ、秋人」
香苗さんと兄ちゃんが笑顔で送ってくれる。それがくすぐったくて、でも本当に嬉しくて。
「うん。行ってきます、香苗さん。兄貴こそ頑張れよ!」
兄は数年ぶりの学校、ましてや高校なんて初めてなので弟はとても心配なのである。走り去っていく黄色の小さな車を見送りながら、今日から通う学校を見る。新しい環境に対する緊張と、ほんの少しのワクワク。あと一年も使わないからいらないと断ったが、香苗さんに押し切られて選んだランドセルを背負い、校門をくぐる。最初は職員室、だっけ?
「今日からこのクラスでみんなと学ぶことになった、」
「御子柴秋人です」
「……他に言いたいこととかないかな?なんでもいいよ。好きなこととか」
「好きなこと…あ、料理が好きです。あと掃除とか、洗濯とか。家事全般が好きです」
「母ちゃんかよ!!」
クラスのリーダー格らしき男子の一声でクラスが笑いに包まれる。これは失敗したか?ほんの少しがっかりしている程度には、この新しい環境に期待していたみたいだ。
「こら、家事が好きなんて素敵なことじゃないか。それじゃあ御子柴の席はあそこな」
「はい」
指定された廊下側の一番後ろの席に座る。以前いた小学校とは違い、隣の席の子と席がくっついている。とりあえず隣の席の子に挨拶しとくか。
「よろしく」
「うん。よろしくねー」
のほほんとした女の子である。
「名前は?」
「姫野瑠璃だよー。瑠璃って呼んでー?」
「わかった。瑠璃」
ふわふわと嬉しそうに笑っている。瑠璃の笑顔は周りを明るくする笑顔だな。心があったかくなる。授業がそろそろ始まるため、準備をする。あれ?瑠璃の机の上、何か違和感が…。あ。
「瑠璃、筆箱は?」
「んー忘れた」
「しょうがないな、ほら。これ使えよ」
買ってもらったばかりの鉛筆を差し出す。
「消しゴムは使いたくなったら言ってくれ。そのとき貸すから」
「りょーかい。ありがとー」
こうして授業が終わり、次の授業へ。次は図工の時間なので移動しなければ。続々と教室から出ていくが、動かない人物が1人。
「瑠璃、工作室行かないと、授業に遅れる」
「…」
「瑠璃?」
返事が無いので不審に思って顔を覗くと、そこには幸せそうな顔をして眠る瑠璃の顔が。
「瑠璃ー!!起きろー!!」
「んみゃあ。あと1時間~」
「遅れちゃうだろー!!」
その次も。そのまた次もそんな調子で。ついつい瑠璃の世話を焼いてしまう。それを見た周囲は、
「すげぇ。御子柴、姫野の世話焼いてるよ」
「よくあんな根気強く世話焼けるよね」
「私1日ももたなかったのにー」
「ねぇ御子柴君ってさーカッコいいよねー」
「うんうん。それに家事が趣味って言ってたところもポイント高いよねー」
「超優良物件じゃない?」
という会話を繰り広げていた。それから数日後の昼休み。クラスのリーダー格の男子に呼び出され校庭に向かう。
「お前!女子にキャーキャー言われて楽しいかよ!」
「キャーキャー言われてない」
「はぁ?気づいてねえの?」
「はぁ?」
はぁ?と言われたら、はぁ?と返す。これはもう会話のキャッチボールをする上での鉄則である。
「生意気なんだよお前!俺とドッヂボールで勝負しろ!負けたら俺の子分な!!」
「わかった」
5対5のチーム戦。しかし、実質9対1である。味方の外野は機能しないだろう。あのニヤケ面がいい証拠だ。
「ボールはお前からでいいぜ」
放物線上にボールが落ちてくる。それを片手でキャッチして、少し後ろに下がる。ドッヂボールはボールを避ける遊び。つまり、一度でも当たらなければ勝ちである。だが、避けるだけでは面白くない。
「じゃあ遠慮なく」
使っているボールはとても柔らかい。当たっても怪我はしない。つまり、おもいっきりぶつけてもいいということだ。ニヤリと口角が上がる。それを見た敵チームの奴らの顔色が少し悪くなった気がするが、気にしない。右端の奴に狙いを定めて思いっきりぶん投げる。
「どこ投げてんだよ下手く…ひいっ」
「うわぁ!曲がった!」
残すは2人。跳ね返ってきたボールを拾い、今度は左端の奴を狙う。
「今度は曲がらねえのかよ!騙しやがって!!」
何か喚いているが、そう言っていられるのも今のうちだぞ。えーと…名前…ガキ大将?
「お前で最後だ。ガキ大将」
「誰がガキ大将だ!俺は、ぶへっ」
あ、顔面にヒットした。
「あれ?顔面はセーフだっけ?それじゃあもう一回」
「やめろ!もういい!やめてくれ!」
勝った。いぇい。勝利の余韻に浸っていると、ガキ大将がぐんぐんとこちらに向かってきた。リベンジマッチか?
「御子柴すっげぇな!今の曲がるボール、魔球みたいだった!教えてくれよ!」
「あ!武田ずりぃ!俺にも教えて!」
「僕にも!」
昨日の敵は今日の友?むき出しの敵対心は消えていた。
「次もドッジボールしようぜ!御子柴!」
次、か。思い出す限り、初めての次の約束。友達ってこういうのを言うのだろうか。
「次はサッカーがいい」
「サッカーなら負けねぇ!」
「武田、それフラグな」
フラグ?ビーチフラッグのことか?まぁこいつらとなら、何をやっても楽しそうだ。
「秋くん、学校でなんかいいことあった?」
「別にー」
「むふふ。本当に?」
「まぁ友達は、できたけど」
「そっかそっかー。良かったね。秋くん」
「…うん」
この後小学校の卒アルで初めて知った俺のあだ名、『オカン王子』に香苗さんがお腹を抱えて笑っていた。ちなみに小学校の連中はほぼそのまま同じ中学校に進学した。武田とは同じクラスなのでよくつるんでいる。それと、姫野ともまた同じクラスなので、引き続き世話を焼いている。
サッカーでも武田はボロ負けしました。