未来
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秋人のおかげ(?)で和やかになった病室。だんだんと日が暮れてきて、面会時間もあとわずかになった。
「か、母さん、は」
「なぁに?」
つっかえながらも秋人が「母さん」と呼んだ。それにどれほどの勇気が必要だっただろうか。
昔はよく「なぁに?」と母さんが言っていたのを思い出す。俺たちに目線の高さを合わせて、ときには自分の膝の上に乗せ、こうして話を聞いてくれたのだ。
「これから、どうするの?いや、どうしたい?もう、母さんを苦しめてた奴らはいない。もう自由なんだ」
「自由・・・」
母が零した言葉とは対照的に、その表情はとても苦しそうだった。見ているこちらが息苦しくなるほどに。もうこの人は充分に苦しんだ。だから、もう。
「母さん。もし、俺たちが重荷になっているなら」
「そんなわけない!重荷だなんて、そんなこと言わないで・・・」
母はそう言って縋るような目で俺を見る。まるで迷子の子どものような目だ。
「違うわね。私が智夏にそんなことを言わせてしまったのね・・・。本当に、母親失格ね」
止まったと思った涙が再び流れ出した。冬瑚が自分の持っていたハンカチでそれを拭っているが、もうそれもぐしょぐしょだ。しかし、さらに追い打ちをかけるように言葉を重ねる。
「そうだね。母親失格だ。俺と秋人にとっての”母親”は香苗ちゃんだよ。過ごした時間は短くとも、俺たちに十分な衣食住と愛情をくれた」
「っ!・・・そう、ね。私には元から母親を名乗る資格なんて、」
俺の言葉に傷つきながらも必死に言葉を受け入れる母。以前香苗ちゃんに会った時に激高していた姿が嘘のようだ。
母の言葉を遮るようにして秋人が話し出す。
「僕たちはもう、いろんな人に愛情をもらったから」
苦しみや憎しみよりもはるかに多く、溢れんばかりに関わってきた人たちからさまざまな愛情をもらってきた。
「それに、僕たちには母さんが”母親”だったときの記憶もある。けど、冬瑚は?この子には、母親が、母さんが必要だよ」
親から愛情を一切受けずに育った冬瑚。本来無条件で享受したであろうそれは、冬瑚には与えられなかった。だから冬瑚は誰よりも愛情というものに飢えている。”母親”に、そして”家族”に憧れを抱いている。もちろん香苗ちゃんも俺たちも、溺れんばかりに冬瑚を愛していくだろうが、やはり母親の愛には敵わない部分もあるだろう。
諦めの表情が浮かんでいた母の顔に、覚悟の色が見えた。
「と、冬瑚。お母さん、今までずっと冬瑚に酷いことしてたね。ごめんね」
「いいよ、お母さん。秋兄も言ってたでしょ?これから、だよ。今までできなかった分、これからいっぱい甘えさせて?」
と、ととと冬瑚ー!!お前、あんな環境でこんなにも真っすぐに育ってー!全お兄ちゃんが泣いてるよ。そして小首をかしげる姿がなんとも愛らしい。
「冬瑚!!」
思わずと言った様子で母が冬瑚を抱きしめる。
「ありがとう!お母さん頑張るからね!いつか冬瑚に、いいえ、冬瑚達に胸を張って”母親”だって名乗れるように・・・!」
これから母は精神病院に入院する。俺たち以外とはまともにコミュニケーションが取れないほど精神状態が危ういからだ。母がそれを聞いた当初は暴れて抵抗したと聞いたが、今は覚悟が決まったような、意志の強い目になっていた。
「精神病院でも面会はできるらしいけど、かなり遠いし手紙のやり取りが多くなると思う。それでも、会いに行くよ。みんなで」
「うん、智夏、ありがとう」
いつになるかはわからない。けれどきっといつの日か、何のわだかまりもなくこの人を「母さん」と呼べる日が来るのだろう。そんな未来を想像して、ほんのちょっぴり待ち遠しい気持ちになったことがとても嬉しかった。
母の涙がようやく引いてきたタイミングを見計らって、病室の入り口近くに立てかけていた物を持ってくる。紙袋に入れたそれを母の前で取り出すと、赤く泣きはらした目が大きく見開かれ、またさらに涙があふれだした。しまったな、泣かせるつもりじゃなかったのに。
「これ、この絵・・・」
震える両手で絵を受け取る母。その横で冬瑚が嬉しそうに絵の説明をしだした。
「ここ!冬瑚が描いたんだよ!えっとね、柊って言うんだって!それでね、ここを秋兄が描いてね。ここを夏兄が描いたんだよ!」
「そっか・・・やっと、完成したのね。春彦・・・!」
ぎゅっと絵を抱きしめる母。この絵の始まりは春彦と母だ。それの完成を目にしたのは結局俺たちと母だけになってしまったが。
「この絵のタイトル、春彦が決めてたみたい」
額縁の下に隠れて見えなかったが、色を塗る際に外してみてこの絵のタイトルが書かれていたことに気付いたのだ。
「『未来』だって」
椿・榎・楸・柊が、それぞれの色で塗られている。間に差し込む木漏れ日は俺が昨日のうちに描き足したものだ。きっと春彦ならこう描いていたであろうから。時を経て完成したそれを見ることなく、春彦はこの世を去ってしまった。それがとても悲しくて、でもこの絵を、春彦が描いた椿の絵を見ると沈んでいた心が温かくなるので、やはり兄には敵わないなと改めて思う。
「ねぇ母さん、いつかみんなで春彦のお墓参りに行こう」
「うん、うん・・・!」
長い間行けなかった兄の墓。兄の死と向きあうことが怖くてずっと行けなかった。
「あんまりにも行くのが遅いから、春彦に怒られるね」
「確かに。「なんで来ないのー!お兄ちゃん寂しかったんだけど!」とか言いそう」
だが、こうして笑いあえるくらいには俺も秋人も強くなったよ。
「冬瑚も春兄に会いたい!」
「あぁ、みんなで会いに行こうな」
きっと遠慮するであろう香苗ちゃんも連れて、家族みんなで。
~執筆中BGM紹介~
サマーウォーズより「僕らの夏の夢」歌手・作詞・作曲:山下達郎様
今回で一応家族編(毎回作者の中で名付けてます)は終わりです。次回からは初恋編とでも名付けましょうか…