欲しくなったんだ
「冬瑚はお前の娘じゃない。御子柴マリヤと御子柴水月の間に生まれた俺たちの妹だ」
幼い冬瑚がこの言葉をどこまで理解できているか、どう受け取るかはまったくわからない。話の内容をゆっくりとかみ砕いていた冬瑚が口を開く。
「え!?そうなの!?冬瑚は夏お兄さんの妹なの!?」
俺たちの不安など振り払うように、元気いっぱいに瞳を輝かせながら冬瑚が喋りだす。内心かなりほっとしながら様子を窺う。
「僕の妹でもある」
兄は一人じゃないぞと秋人が名乗りを上げる。その言葉にさらに冬瑚が驚いた。
「秋人兄さんも冬瑚のお兄さんなの!?ってことは秋人兄さんは夏お兄さんの弟で・・・うん?わかんなくなってきちゃった!」
与えられた情報の多さに頭が混乱しているようだが、どうやらショックは受けていない様子だ。むしろ嬉しそうに見える。そんな冬瑚の頭を秋人が撫でている。羨ましい。
「知っていたのかい?」
ゲス男が驚いたように眉を上げる。動作もなんか腹立つな。本当は秋人と冬瑚を連れてさっさとこの場から立ち去りたいのだが、どうしてもこの男に聞きたいことがあるのだ。
「それだけじゃない。お前が経営しているこの闇オークション。元は俺たちの父親がやっていた事業を乗っ取ったものだろう」
ゲス男を調べていくうちにわかったおぞましい事実。俺たちの父、御子柴水月が起業、経営していた美術品仲買業を営んでいた会社を当時、従業員だったこのゲス男が兄、春彦が死んだときに乗っ取ったのだ。しかも恐ろしいことにそれだけで話は終わらない。
「勤務先の社長の妻であり、愛する息子を亡くした母親、御子柴マリヤのことを言葉巧みにかどわかした。傷心中のマリヤはさぞ操りやすかっただろうな」
兄が亡くなった直後、父がかなり取り乱しマリヤにきつく当たっていたのだ。ときには暴力を振るうこともあったほど。
「そんなことまで知っていたのか。だが、一つ違うぞ智夏君」
どこまでも余裕の態度を崩さないゲス男。自分の置かれた状況に気付いていないのだろうか。
「私は別にマリヤをかどわかしたわけじゃない。提案をしただけだよ」
「提案?」
「今のままでは腹の子もろとも殺されてしまう。それに春彦君が残した絵もきっと売られてしまうだろう。それはとても可哀そうだからマリヤと腹の子、それに絵を私が保護しようってね。いやぁあの女は本当に扱いやすかったよ。俺の言うことを疑いもせずに言う通りに春彦君の絵を持って家を出た。もちろん君たちを置いて、ね」
「ゲスが・・・」
秋人が忌々しいものを見るような目でゲス男を見ている。恐らく俺も同じ顔をしてゲス男を睨んでいるのだろう。
「誤算だったのは智夏君がとんでもない才能を持ってたことに当時は気づいてなかったっていう点だよね。いやほんとうに、もったいないことをしたものだ。一体どれほどの額を稼げたことやら」
人のことを金を稼ぐ道具としか見ていないような、あんまりな言いように言葉が出ない。
「お父さんが冬瑚のこと、好きじゃないのはわかってたよ」
重たい沈黙を破ったのは突然の冬瑚の告白だった。本人は淡々と語っているが、小学二年生の女の子が話す内容としては、とてつもなく痛々しいものだった。
「でも、冬瑚がもっともーっと頑張ったら、いつか好きになってくれるって思ってたの」
こんなクズ男でも、冬瑚にとっては生まれてからずっと父親だと思っていた人物なのだ。子が親に認められたいと思うのは当然のこと。愛されたいと願うことも当然のことだ。
「何を言っているんだい、冬瑚?俺は冬瑚のことが好きだよ?もちろん愛してる」
この男の言葉はなんて薄っぺらいのだろうか。「好き」も「愛してる」も重さがまるでない。心がこもっていないのだ。だが、薄っぺらい紙切れのような言葉でも、心を傷つけることはできる。
「お父さんが好きなのは冬瑚じゃないよ。冬瑚が歌って色んな人たちから貰ったお金が好きなんだよ」
ぽろぽろと冬瑚の大きな瞳から涙がこぼれ落ちる。ずっと大事に抱いていた絵を地面に落として、両手で顔を覆ってしまった。傍にいた秋人が咄嗟に冬瑚を抱きかかえてその背をさする。
「酷い言われようだ。今まで育ててやった恩を仇で返すとはね」
「秋人、冬瑚の耳を塞いでくれ。こいつは冬瑚にとって害悪でしかない」
「わかった」
頭ごと抱きしめるように秋人が冬瑚の耳を塞ぐ。それを確認した後、ゲス男に視線を戻す。
「お前さっき、絵を保護するとか言ってたな?」
「マリヤに絵を持ってこさせるために言った方便のことだね。それがどうかしたのかい?」
方便じゃなくて嘘だろうが。いちいち癇に障る男だ。こいつが保護をすると言った『春』の絵がすべてこのオークションで競り落とされていたことはわかっている。
「絵をオークションに出したことは、マリヤに言ったのか?」
「言ってないねぇ。マリヤに言ったら抵抗されるだろうから。でも、ある日それがバレちゃって」
イタズラがバレちゃって、みたいなノリで話す男に嫌悪感が募る。
「泣いて暴れるもんだから思わず手が出てしまった。手が出てしまったことには反省してるんだよ」
あの女がドリボに乗り込んできた際に感じた暴力への恐怖。その原因は間違いなく御子柴水月とこのクズ男だ。
春彦が生きていた頃の母の夢を見たときに感じた違和感。母は春彦の描いた絵をとても大切にしていた。それこそ春彦がまだ幼いころに描いた母の似顔絵を大切に保管しておくほどに。それなのに何故絵を売ったのか、ずっと疑問だったのだ。その謎が今解けた。
母は、守ろうとしていたのだ。春彦の絵を、新しく生まれてくる命を。もともと考えが足りない人ではあったのだ。騙されたのも自業自得と言われればそうなのかもしれない。だが、母の想いを知ってしまった俺はもう、彼女を責めることなどできそうにない。
「なぁ、なんで俺たちだったんだ?」
母が家を出た頃か、はたまた兄が死んだ頃からだろうか。ずっとずっと思っていたのだ。「なんで俺たちばっかりがこんな辛い目にあっているのか」と。その答えはないと思っていた。だが、この男が何もかもの元凶だと知って、どうしても聞きたかったのだ。
「何がだい?」
「なんで俺たち家族を壊したんだ?俺たちじゃなきゃダメだったのか?」
これがこの男に対する本当に最後の問いだ。追いついた黒服部隊の人たちがクズ男を拘束していく。拘束されてもなお、余裕の表情を崩さないクズ男の顔がほんの一瞬だけ、歪んだのを見た。
「・・・君たち家族が本当に幸せそうだったから、欲しくなったんだ」
この男と交わした言葉の中で、最も感情が籠っていた言葉だったように思う。理不尽なことはわかっていた。わかっていたが、改めて言葉で聞くと心に重くのしかかってくる。
「結局、他人から幸せを盗んだところで幸せは得られなかったわけだ。だが、幸せを奪えたのなら、それだけで満足さ」
その言葉を最後にクズ男は黒服部隊の人たちに連行されていった。しばらく何も考えられずにぼーっとその場に突っ立っていたが、肩に乗る白猫に「弟妹を放っておくつもりか」と言われた、ような気がしたので秋人たちの元に駆け寄る。
途中、足元に落ちていた絵を拾い上げる。その絵は未完成の絵だった。結局、当初の目的だった闇オークションの壊滅と絵の回収は成功したのだ。俺たちは間違いなく勝者のはずなのに、心は晴れないままだった。
~執筆中BGM紹介~
劇場版NARUTO-ナルト- ROAD TO NINJA-ロード・トゥ・ニンジャより「それでは、また明日」歌手:ASIAN KUNG-FU GENERATION様 作詞:伊藤正文様 作曲:伊藤正文様・山田貴洋様