正妻の実力
1年ほど前に出会った高校生ながら声優デビューをしているカンナ、本名愛羽カンナはドリームボックス社長の親友の子どもであり、俺の同級生である。なぜ、いきなりこんな話を始めたのか、その理由は簡単。現在、目の前に彼女がいるからである。
「智夏、お昼付き合って」
「智夏君、お昼は私と一緒だよね?」
正確には、彼女ともう一人、花村香織が俺の前に立ちふさがっている。…互いに険悪な空気を身に纏って。
そしてこの2人、この高校の三大美女のうちの2人である。三大美女の過半数が同じ場所にいるとあって俺たちは大注目の的である。ちなみに三大美女の最後の一人は3年生だ。
「愛羽さんは別のクラスだよね?お昼は自分の教室で食べたらどうかな?」
「私が誰とどこで食べようと勝手でしょ。外野は黙ってなさい」
……どうしてこうなった。俺は田中と食堂に行こうとしただけなのに。昨日までの穏やかな日常、カムバック!
「そもそも愛羽さんは智夏君とどういう関係なの!?」
「(仕事の関係上)ここでは言えないような関係よ」
「言えない…!?」
誤解が酷い気がする。カンナが声優デビューしていることはこの高校では誰でも知っている話だが、俺がサウンドクリエイターをやっていることは田中とカンナしか知らない。さっきのカンナの発言は俺に配慮してのものだとはわかるのだが、非常に誤解されやすいニュアンスである。
大きな瞳をうるうると潤ませながら香織が俺に詰め寄る。
「智夏君!ほんとなの?その、言えないような、関係、なの?」
きっと今頃想像力が豊かな香織の頭の中はすごいことになっているのだろう。ここはカンナの名誉のためにもはっきりと言わなければ。
「カンナとは別にやましい関係じゃない、それは確かだ」
「そ、そうだよね!良かったー」
ほっとしているあたり、香織はカンナのファンなのだろうか。だからこんなに必死で聞いてきたのか。なるほどファンなら、あれだけ必死だったのも頷ける。つまり香織はカンナと仲良くなりたくて、俺をお昼に誘っているということか。うん、それならこうしよう。
「そろそろ行かないと食堂の席なくなっちゃうし、みんなでお昼食べに行こう。俺と田中と香織とカンナで」
「え!?俺も!?なんとなく予想はしてたけども!」
「「一番のライバルは田中…?」」
美女二人がなにやら小声で話しているが、隣で田中が突然震えだしたので、聞こえなかった。
いつもならガヤガヤと生徒たちの話し声で賑わう食堂。だが、今日は違った。誰も彼もが窓際入り口から3番目の席に注目していた。それも当然、その席に座る4人のうち2人がこの学校が誇る三大美女なのだから。
しかしそれだけではない。その二人と羨ましくも同席している男子二人がまったくの無名の男子だからである。一人はどこにでもいそうな普通の顔。そしてもう一人は眼鏡をかけて、長い前髪が鬱陶しい見るからに陰キャな男子。このグループが結成された経緯が非常に気になるところだと周囲の人間は思っていた。
「やっぱ注目されてるなー」
「食堂には初めて来たわ」
朗らかに笑う香織に、きょろきょろと珍しそうにするカンナ。ちなみにカンナは素の状態だと『元気娘』といった感じだが、学校では『クール』を演じているそうだ。人気者は辛いな。本人曰く楽しいらしいが。
「智夏君のAランチおいしそうだね~」
「食堂に来るときは必ずと言っていいほどAランチ食べてる。おすすめだよ」
Aランチは魚がメインのランチセットである。その日によって魚の種類が変わるため、飽きることなく楽しむことができる。
「香織もカンナも弁当なんだな」
「うん。お母さんが作ってくれるんだー。ほぼ昨日の晩御飯の残り物だけどね」
「うちは父が料理が趣味で作ってくれてるわ」
「いいお父さんだね~」
教室の険悪な雰囲気から一転、女子の間では和やかに会話が進んでいる。とりあえず仲良くなれそうで良かった。
「2人はいつも食堂で食べてるの?」
「俺がお弁当が無い日だけ、食堂で食べてる」
厳密に言うと週2日、秋人が弁当作りを休むので、その日は食堂で食べている。いつもありがとう、秋人。きっといいお婿さんになる。
「ってことは、田中君は毎日お弁当?」
「そ、まぁ俺も余りもん詰め込んでるだけだけどな」
「自分でお弁当を作っているの?」
「そうだけど」
田中の家は大家族で父親は早朝から会社に行き、母親も早朝から朝ごはんの支度やら洗濯やらで手が空かないため、自分の弁当は自分で作って持ってきている。それに加えて弟妹の世話まできっちりして、学校に来る前に幼稚園に送って、たまに迎えにも行っている。同級生で田中ほど尊敬してる奴はいない。
「……これは勝てないよ」
「これが正妻の実力…!」
「いや、俺正妻じゃないからッ!!」
こうしてお昼は過ぎていく。
ちなみにこの後、学校中で「三大美女の二人が正妻を募集している」という変な噂が数日流れていたそうな。
移動教室の準備をしながら田中が話しかけてくる。
「なぁ次の授業なんだっけか?」
「次は音楽」
「音楽かー食後に歌うとゲップ出そうになるからヤなんだよな」
「わかりそうでわからない」
「わからないんかい」
そんな会話をしながら音楽室に入る。すると音楽教師が声を上げる。
「御子柴君いるー?」
「はい、いますけど」
「あ、え!あなたが御子柴君!?」
今年から担当になった音楽教師の、早乙女鏡花先生である。スカートからすらっと伸びる綺麗な足が魅力的なのだとか。
「そうですけど…」
「あ、ごめんなさい。昔と随分違ったから。あ!それでね、御子柴君には是非ピアノを演奏してもらいたいのです!」
俺よりも頭一つ分低い身長で精一杯背伸びをしながら俺の両肩に手を置く。プルプル震えているのが少し面白い。
「なぜ俺に?」
「先生がピアノが苦手だからです!」
それでいいのか音楽教師。
「それに、先生より遥かにうまい人がいるのにその人を差し置いて演奏するなんてできません」
「つまり、弾きたくないんですね?」
「はっきり言うとそうです」
呆れた調子で田中がもっともな疑問を口にする。
「早乙女せんせーそれでよく教師になったね?」
「先生は歌うのは好きなのです」
「そこで胸張られても」
それな。
「え、御子柴ってピアノ弾けるの?あの見た目で?」
「先生の勘違いじゃない?」
「ありえるー」
ピアノに見た目は関係なくないか?それに先生が馬鹿にされたままなのもなんか可哀想だし、隠したいものでもないし、とつらつらとやる理由を頭の中に浮かべていく。
「わかりました。ピアノ、やります」
「ほんとですかっ!やったー!!」
子どものようにはしゃぐ先生を見て、ふとどこかで会ったような妙な既視感を覚える。もしかして家に軟禁される以前、兄が生きていたときに会ったことがあるのだろうか。
「御子柴ほんとに弾けんのー?」
「オレもちょっとピアノやってたときあるし、代わってやろうか?」
「えー村上ピアノ弾けるんだ。超かっこいい!」
「だろー?」
ぎゃははっと不快な笑みを浮かべるカースト上位たち。別に気にはしないのだが、あいつらはカーストトップの香織の怒気を纏った表情に気づいていないのだろうか。どうやらお昼を共にしただけの俺に味方してくれるらしい。
「本当は、校歌の伴奏をしてもらう予定だったのですが、予定変更です。あのクソ生意気なガキ共をぎゃふんと言わせてやってください!御子柴君!」
つり目気味の目をさらにつり上げて早乙女先生が言った。丁寧に話しながら意外と言葉が悪い。だが、その意見には大いに賛成である。
「ぎゃふんと言わせてやりますよ」
椅子の高さを調節し、鍵盤に指を置く。
2秒息を吸って、3秒吐く。これがピアノを弾く前のルーティンである。
演奏する曲はショパンの『革命のエチュード』
荒々しく、怒りをイメージしながら鍵盤を叩いていく。もうピアノの音以外は聞こえない。この場にいるすべての人が俺に注目しているのを肌で感じる。
あぁ懐かしい。人に聞かせるための、聴かせるための演奏。この言葉にしがたい高揚感、今度曲にしよう。演奏中に思考が脱線していくが、手の動きに支障はない。むしろ一音一音弾くたびに、鋭さが、迫力が増しているような気さえする。
演奏が終わり、鍵盤から手を離す。
「やっぱすげぇな、しばちゃん」
「ありがと、田中」
ぱちぱちと拍手しながら素直な感想を言ってくれる。それに続いて香織と早乙女先生にも感想をいただいた。
「かっこよさが限界突破してたよ!すごいね!」
「さすが御子柴君です!先生の見込んだ男です!」
周囲の生徒たちも我に返り、
「すごい!」
「うますぎ!」
「実はすごかったんだな!」
と称賛の声をくれる。…高校でこんなに声を掛けられたのは初めてかもしれない。
「村上も弾けるんだろ?聞かせてくれないか?」
にっこりと笑いながら話しかける。横で田中が「腹黒」と言った気がするが気にしない。
「い、いや遠慮しとく」
村上が青い顔をしながら、首を振り、その周りでは気まずそうに顔をそらすカースト上位どもが。そういえば、名前知らないな。
なにはともあれ、ぎゃふん成功、かな。
田中と秋人は良いお婿さんになる。