冬を持つ子
時が立つのは早いもので、11月に入ってしまいました。みなさんお体にお気をつけてくださいね。
ごく稀に、自分で「これは夢だ」とわかる夢を見ることがある。
目の前には幼い俺が眠そうにこっくりこっくりと舟を漕いでいて、「あぁ、これは夢なのか」と直感した。
幼い俺の横には、子猫のように丸まって気持ちよさそうに寝ている、これまた幼い秋人の姿があった。こうして見ると、本当に秋人は大きくなったな。思わず秋人の頭に手を伸ばすが、その手は空を切る。驚いて自分の手を見ると、半透明だった。え、なにこれ。今なら壁抜けなんて大技ができるんじゃない?と思って壁に向かって歩こうとするが、体が動かない。
「智夏、眠いなら寝な?」
ビクッと肩が上がる。すっかり忘れていた声が、後ろから聞こえた。もう二度と聞けないと思っていた声。その声に反応して、声変わりもまだしていない、高い声が眠そうに答える。
「んー、まだ~、」
必死に重たい瞼を開けようとしているが、窓から差し込む暖かな陽気がさらに瞼を重くする。幼い弟二人にそっと毛布を掛ける長兄の春彦。時期的には、彼が亡くなる少し前くらいだろうか。
この場所は、俺が閉じ込められていた小屋だが、元は兄が使っていたのだ。父が兄の為に作らせたアトリエ。そして俺たち3兄弟の溜まり場でもあった。
「二人ともまたここにいたのね」
そう言って現れたのは、俺たちの母親だった。その手には暖かそうな毛布が掛かっていた。まるで、床で眠ってしまった我が子が、風邪をひかないようにと心配する普通の母親のように。
やはりこれは夢なのだ。この女が、こんな母親のような顔をして優しい目をするわけがない。そう思い込もうとするのだが、この風景、この状況、なんとなく覚えがあるのだ。
「春彦が毛布を持ってきたならいらなかったわね」
「秋人は寝相が悪いから、その毛布は智夏にかけてやってよ」
春彦はそう言って二人にかけていた毛布を秋人にかける。そして母が智夏に、自分が持ってきた毛布をかけた。
「母さん」
「どうしたの?」
すやすやと眠る二人を穏やかな表情で見守りながら、春彦が母を呼ぶ。
「俺を、智夏と秋人の兄にしてくれてありがとう」
「いきなりなぁに?」
目を丸くしながら春彦を見る母。俺も同じ顔をして兄を見ていると思う。だって、兄はこういうことを言う人ではないからだ。母の驚いた顔に気付かずに、春彦は眠る秋人の頬をつついている。
「いや、まぁなんていうか、」
今さらになって恥ずかしいことを言ったと思ったのか、自分の頬をぽりぽりと掻いてはにかんだ。
「幸せだなって」
「ふふっ」
春彦の言葉を聞いた母は、幸せそうに笑って、
「私も、春彦と智夏と秋人の母親になれて幸せよ」
春彦の頭を抱き寄せて撫で始めた。そういえば、俺がなにかにつけて秋人や冬瑚の頭を撫でるのは、この母親の影響があったのだ。
昔の母は、普通に母親だったのだ。感情があまり表情に出なかっただけで、3人の息子をちゃんと愛していたのだ。なぜ、今になってこんな夢を見るのだろうか。
「俺、いま描いてる絵があって」
撫でられながら春彦がぽつりと言葉をこぼした。普段はきはきと喋る人だったので、なんだか新鮮である。少し名残惜しそうに自らを撫で続ける母の手をどかし、奥から取り出してきたのは、一枚の描きかけの絵だった。まだ下書きの段階で、色は付いていない。まだ線しかないので、全容はわからないが、風景画だろうか。
「椿と榎と楸の絵を描こうと思ってるんだ」
それは、俺たちの名前が入っている植物だった。
「そう、椿に榎に楸。春彦は物知りねぇ。母さん、楸なんて植物知らなかったわ」
「楸は昔の植物の名前らしいよ。今はキササゲじゃないかって言われてる」
「へぇ」
へぇ。ってことあるごとにこの女と思考と動きがシンクロすることに複雑な気分になる。鳴海姉弟の動きが似ていたことといい、遺伝ってそんなに強いものなのか。
「ねぇ春彦」
長兄が持ってきたキャンバスの、鉛筆の線がまだ描かれていない部分を指さして、こう言った。
「ここに、柊も描いてくれる?」
「柊?なんで・・・」
「なんでって、冬を持つ子が生まれるからよ」
長兄から順に、春彦、智夏、秋人とそれぞれ季節が入った名前を持っている。それは、この母が日本の四季が大好きだからだ。大好きな者には、大好きなものの名を。そんないたってシンプルな理由である。
「まさか・・・」
そう言って母の腹を見る春彦。膨らんでいないお腹を見て目を輝かせている。
「まだ誰にも言ってないから、春彦と私の2人だけの秘密ね」
「みんなにはいつ言うの?」
「そうねぇ。いつがいいかしら」
時期や会話から察するに、冬を持つ子とは、冬瑚のことだろう。つまり春彦は知っていたのだ。妹か弟が生まれることを。そしてそれを絵に描いた。いや、絵に描いていた途中だったのだ。
闇オークションに出品されるという、俺の知らない21作目の『春』が描きかけの絵画。それはおそらくこの絵のことだ。
夢は記憶を整理するために見るのだと、誰かが言っていた気がする。この夢は、今日『春』が描いた『朝焼け』を見たことで昔の記憶を刺激されたのか。それとも、兄が見せてくれたものなのか。
妙な時間に目が覚めてしまったので、ベッドから降りて、自室の窓の縁に座って風景を見る。自室の窓から見える風景は、以前兄と見た朝焼けの風景とは違って、山と田んぼなので真っ暗である。真っ暗な分、余計な情報が遮断されて葉擦れの音や虫の鳴き声が鮮明に聞こえてくる。
兄が描いていたらしい、椿・榎・楸、そして柊の絵。この絵は俺たち弟妹に向けて春彦が描いた絵だ。誰にも渡すわけにはいかない。
朝日が優しく緑を照らし始めた。
~執筆中BGM紹介~
CLANNADより「小さなてのひら」歌手:Lia様 作詞作曲:麻枝准様