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頑張ったね




「鳴海さんから離れろ!」

「お前いきなり出てきてなんだよ!誰だよ!オレたちの邪魔すんな!」


通りすがりの人たちは見て見ぬふり。挙句の果てにはスマホのカメラをこちらに向けてくる者までいる。ポツリポツリと体に雨が当たるたび、体が、心が冷えていくのを感じる。


なぜ誰も助けないのだろうか。俺が駆けつける前に、数人とすれ違った。その誰もが気まずそうな顔をして去っていく。わかっている、これが正常の反応なのだと。でも、それでも。


鳴海さんの怯える姿が嫌いな雨と相まって、過去の自分の姿と重なる。無意識に男の腕を掴んでいた手に力がこもる。


「痛ぇえええ!!離せ!離せよっ!」


痛い痛いと叫ぶ男を見下ろす。あぁ痛みってなんだっけ?わからない。ただ、腹の中でぐつぐつと何かが煮え滾っている。


「春彦クン・・・?」


今まで黙って耐えることが当たり前だった。耐えて耐えて、溢れだしそうになる激情に無理やり蓋をして。そうして今まで過ごしてきた。でも、もうあの男はいないのだ。俺を殴ってくる拳はもうない。それなら、もういいだろうか。


「・・・お前、なんで鳴海さんの居場所がわかったんだ?」


自分でも驚くほど無機質な声が出た。なんの感情も乗っていない声に怯えた表情をする男。心外だな。


「み、見てた、から」


喉を引きつらせながら言った言葉に反応して、うっかり手に力を込めてしまった。


「おっ折れる!離してくれぇ!!」

「ストーカーか」


腕を掴んでいるくらいで折れるわけないだろ。男が自由な左手で必死に俺の腕を解こうとしているが、痛みを感じないので大して意味はない。


「春彦クン!離すっス!血が!!」


俺の手がストーカー野郎に掻きむしられてひどいことになっているのに気づいた鳴海さんが止めに入る。


「鳴海さん、この手を離してしまったらこいつは逃げます。ストーカーは犯罪です。ここで逃がしたら絶対にまた繰り返す。だから通報してください」

「通報!?クソクソクソ!離せぇ!」


俺をあの小さな小屋に閉じ込め続けたあの男も、抵抗すればこんな風に圧倒できたのだろうか。俺を己の欲求のために殺そうとしたあの女も、俺の手を切ったあいつも、満開アニメーションの贅肉野郎にも、こうしてやり返していれば良かったのだろうか。


「春彦クン!これを使ってそいつの手を縛って!」


そう言って鳴海さんが差し出してきたのは履いていたブーツの靴紐。耳元で叫ばれてかなりうるさかったので、大人しく靴紐で縛ることにする。


四苦八苦しながら結び終えたとき、遠くからパトカーのサイレンの音が聞こえてきたのだった。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー





警察の人たちに事情を聞かれ、軽く手当てをされた。すっかり日も暮れて、夜の帳が落ちている。俺は鳴海さんの「ついてきて」という言葉に従って、歩いていた。


「お星さまカフェって知ってるっスか?」


普段より元気のない声で、隣を歩く鳴海さんが尋ねてくる。


「以前、カンナたちと」


と言ってるうちに、お店の前に着いた。鳴海さんがドアを開けて、


星羅(せいら)ぴょん、()借りるね」

「どうぞごゆっくり~」


と言ってお店の奥に進んでいく。『STAFF ONLY』と書かれた扉に躊躇なく入り、そのまたさらに奥の扉に入る。


鳴海さんに続いて入ったその部屋は、5,6畳くらいの狭い部屋。テーブルと椅子があるだけの部屋だった。


「春彦クン、いや智夏クンっスね」


事情聴取されたときに答えた名前をどうやら聞いていたらしい。


「智夏クン、助けてくれてありがとう。走ってきてくれてありがとう。庇ってくれてありがとう」


いつもだったらここで「どういたしまして」とそつなく返しているところだ。でも今は、言えそうにもない。


「お礼なんて、言わないでください。俺がしたことは全部八つ当たりです。ただの自己満足なんです」

「それでも!その自己満足に私は救われたっス。・・・智夏クン、聞かせてください。君が抱えているものを。ずっと隠してきた気持ちを教えてください」


今まで出会った誰も、俺に何も聞いては来なかった。気を遣われているのをずっと感じていた。だが、鳴海さんは聞かせてくれと言った。その言葉に心を揺さぶられる。


「・・・俺は、感情を出すのが苦手で、特に怒りや憎しみを表に出すのは怖くて今までできなかったんです」

「どうしてっスか?」


静かにわけを聞いてくる。その声色に憐れみがないのが心地いい。


「俺は体に痛みを感じないから。だから他人の痛みも理解できない。感情のままに動いたら、さっきみたいに平気で他人を傷つける」


痛みに歪んだ男の顔が蘇る。きっとトリガーになったのは母親だったあの女。


「でも、もう限界なんです」


今までずっと蓋をしてきた感情が、溢れだしている。ドロドロと流れ落ちて止まらない。これ以上はきっともう、耐えられない。ギシギシと音を立てて心が軋みを上げている。


「智夏クンは、痛みを感じないと言ったっス。体はそうかもしれない。でも、心は違う。人を傷つけて、痛みを感じてる。痛みを感じないなら、限界なんて来ないはずっス。だって痛みは体と心を守るストッパーだから」


それに、と言ってこちらに歩み寄り、腕を広げて抱きしめられた。


「痛そうな顔、してるっス」

「ーっ」


あぁこれは痛みなのか。このズキズキは。軋みを上げる心は。必死に痛みを訴えていたのか。


「ずっとずっと、本当に、辛かったんです」

「うん」


言葉とともに、頬に熱いものがこぼれ落ちていく。


「弟はまだ小さくて、俺がどうにかしないと、って」

「うん」


本当はこうして誰かに聞いてほしかったのだ。この思いは一人で抱えるにはあまりにも重すぎた。


「多分ずっと、痛かったんです」

「うん」


痛みを感じなくなるほどに、痛かったのだ。


一層力強く、抱きしめられる。


「頑張ったね」


報われた。この一言で、俺の17年間は無駄じゃなかったと思えた。


この人が隣にいてくれるなら、この先もきっと大丈夫だ。俺はまた頑張れる。立ち向かえる。だからどうか、今だけはすこし立ち止まらせてくれ。






第1話を執筆していたときから、ずっと書きたいと思っていた話でした。重たい話ですみません。ですが、智夏の成長のためにはこの話は避けては通れないと思ったので。これからは恋に仕事に妹に精力的に動いていきます。多分。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 痛みを感じないというのが痛覚無効状態だと普通は思わないと思うので、少し表現を工夫した方が良いかも。 感情の話の後だし、流れからだと心の痛みを感じないような印象を受ける。 簡単な改善案…
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