結婚してください
「チケットは持った?」
「ここにあるよ」
空港まで見送りに来た香苗ちゃんが、本日5回目のチケット確認をする。出し入れしすぎて若干くたびれた飛行機のチケットを、今度はポケットに戻さずに手に持ったままにしておく。
「パスポートは?」
「ここに……。あれ、あ、あった」
「智夏あなた、本当に向こうで暮らしていけるの?」
「母さんにだけは言われたくない」
リュックにしまっていたパスポートを一瞬見失っていた俺の大学生活をマリヤが心配してきた。が、マリヤにだけは言われたくない。
マリヤは既に退院し、海の向こうのおじいちゃんの家に帰っている。が、おじいちゃんと毎日喧嘩ばかりしていると執事さんから話は聞いている。
今日はわざわざ俺の出立の日に合わせて日本に来たのだ。なんとおじいちゃんも一緒に。
「無理して来なくても良かったのに。最近膝の調子、悪いんでしょ?」
「無理してないわい。ちょっと暇ができたから日本に遊びに来ただけじゃい」
最近、ナイスミドルおじいちゃんからツンデレ孫好きおじいちゃんに転身したらしい。なにかあるたびにこうして日本に来て俺たちに会いに来て、いろんなプレゼントを大量に渡すもんだから、香苗ちゃんとマリヤがおじいちゃんを叱っていた。
「兄貴、向こうで自炊しようなんて考えちゃダメだからな」
「……はい」
弟に自炊をするなと釘を刺される兄。なんて情けない。
「でも、たくさん食べろよな」
「秋人かわいい」
「ざけんな!抱きつくな!写真撮るな!」
ツンツン弟がかわいすぎて世界中に知らしめたい。こうなったら曲でも作るか……。
「夏兄夏兄」
「うん?どうした?」
「……ぎゅーってして?」
「冬瑚~!」
大きな瞳に涙をいっぱい溜めて、両手を伸ばしてきた末っ子を思いっきり抱きしめた。
「うぅっ、なつにー行かないで~!」
家を出るまでは笑顔だったのだが、段々と空港が近づくにつれて表情が曇っていき、最後は大雨だ。
「冬ちゃん泣かないで。私まで泣いちゃう”~!」
冬瑚を宥めに来たのかと思ったら、香苗ちゃんまで泣き出してしまった。
「うわ、もらい泣きだ」
「秋くんに「うわ」って言われだ~」
「秋人が泣かせたー」
「ダメよ秋人」
「謝るべきじゃ秋人」
「なんでみんなして僕が悪いみたいに言うんだよ!つーかみんな仲良いな!息ぴったりじゃねぇか!」
怒る秋人を見て笑う冬瑚。結果オーライってやつだ。本当はもっとここにいたいけど、そろそろ時間だ。
「じゃあ行くよ」
「彩ちゃん来なかったわねぇ」
「仕方がないよ、仕事だから」
仕事の合間に抜けられたら行くね!と言われたが、距離もあるし難しいだろう。
「智夏クーーーーン!!!」
「彩歌さ……んがッ」
話題に出したタイミングで聞こえた彼女の声に、振り向こうとした瞬間に飛びついて来たので、驚いて変な声が出てしまった。恥ずかしい。
「チケット持ったっスか?パスポートは?」
「ばっちりです」
開口一番にチケットとパスポートチェックだ。ご心配おかけします。
家族のみんなは、ニヤニヤしながら一歩下がったところで見守ってくれている。どうやら2人で話す時間をくれたみたいだ。
「智夏クン」
「はい」
「いっぱい学んで、たくさんの人に出会って、音楽をよりカラフルにしてきてね。この前はハニートラップが心配とか言っちゃったけど、そんなの気にしなくていいから!私は大丈夫だから、智夏クンは自分のことだけ考えて、大好きな音楽に集中して」
音楽をカラフルに、か。そういえば彩歌さんの歌声を初めて聞いたとき、こんなに鮮やかでカラフルな歌声があるのかと驚いたな。
作曲家と歌手だった関係は、いつしか友人になり、恋人になった。彩歌さんに出会っていなかったら、自分を大切にするっていう当たり前のことができなかっただろう。
愛する喜びを教えてくれた、大切な人。
「学ぶのも、出会いも、音楽も好きです」
知識や技術を学ぶのは好きだ。人と出会うのが好きだ。音楽が大好きだ。
「学びより、出会いより、音楽より君を愛してる……って言えればカッコよかったのかもしれないけど」
「ふふっ。私はカッコつけの智夏クンより、ありのままの智夏クンが好きだから。好きに優劣なんて付けなくていいよ」
花が咲くみたいな、この笑顔が、出会ったときからずっと。
「好きです、彩歌さん。大好きです。愛してます。言葉じゃ足りないくらいに、あなたが好きです。なので……」
「なので?」
あの、だから、その……、~っ!
「結婚してください」
家族の目の前で行った、このぐだぐだなプロポーズは家族で集まるたびに笑い話として語られ、未来で自分の孫にまで揶揄われることになるとは、このときはまだ知らなかった。
~執筆中BGM紹介~
フルーツバスケットより「For フルーツバスケット」歌手・作詞・作曲:岡崎律子様 編曲:村山達哉様
次回、最終話です。




