痛くて
「僕に殴らせるためにわざとそれを言わなかっただろ!」
「……んー?」
図星。
このまま知らんぷりしたらやりすごせるかな~?と思ったときだった。
「入りますね~。……あー!やっぱり智夏君殴られちゃってるじゃないの。ほら、手当の道具持ってきたからこっち来て!」
ここに来た当初から良くしてくれた妙齢の女医さんが、消毒液などが置かれたワゴンを引いて入って来た。
「やっぱり……?」
般若のような形相の秋人が、女医の脇坂さんの言葉に反応した。これは、やばい!
「事前に言われててね」
「脇坂さん!シーっ!」
「こっち向いて!ちょっと沁みるけど我慢よ」
消毒液が染み込んだコットンをピンセットで掴み、殴られたときに切れた口の端に当て……
「イ、」
「「「イ?」」」
「イッタァアアアアアアアアア!え、痛い……?なんで?」
自分が言った言葉が信じられない。いや、それよりももっと信じられないのは……。
「夏くん、痛いの?」
止まったと思った香苗ちゃんの目からぽろぽろと涙が再び零れ落ちている。
ピリピリ、ツーン、ジクジク
思わず目をつぶってしまいそうなほどの強烈な感覚。久しく、感じていなかった感覚。これは。
「痛みが、戻った……」
秋人と冬瑚が飛びついてきて、支えきれずに床に激突し、背中と肩と後頭部がズキズキと痛んだ。2人分の体重が乗った身体も重くて痛いし、殴られたとこはずっと痛い。痛すぎて笑えてきた。
「ハハ、なんだこれ、あっちこっち痛いなぁ……」
「痛いって、兄貴が痛いってぇ~!!」
「夏兄!よがっだ、よがっだぁ!」
涙でぐちゃぐちゃの秋人と冬瑚にぎゅうぎゅう潰されながら、何とか上体を起こして弟妹を抱きしめる。その瞬間、後ろから香苗ちゃんが俺たちを3人一緒に抱きしめた。
「夏君、頑張っだねぇ、今までよぐ、がんばっだ……」
鼻の奥がツーンと痛い。なんでだろう。鼻は殴られていないのに。
「俺の痛みが戻るのが、奇跡なんだとしたら、それを起こしたのは、冬瑚や秋人、香苗ちゃんで。本当に俺は何もしてなくて、それどころか痛くないからって無茶ばっかりしてみんなに心配かけて……」
視界が歪む。
「だ、抱きしめられるのって、……っ、こんなに痛かったんだね」
痛いのは嫌だった。殴られて、蹴られて。誰にも助けを求められなくて。逃げたいけどどこに逃げたらいいのかわからなかった。痛くて、怖くて、辛くて。
いつからか痛みを感じなくなった。痛くなくなったら、怖くなくなって、辛くもなくなった。
自分の中のなにかが壊れてしまったんだとわかった。でも、これ以上痛くないんだってわかったら、すごくすごく安心したんだ。
秋人に殴られたとき、怖くも辛くもなかった。それなのに、痛かった。
痛いのは怖くて辛いものだと思ってた。
冬瑚も秋人も香苗ちゃんも、今まで見たことが無いくらい泣いている。多分、その真ん中で俺も同じくらい泣いている。
家族に強く抱きしめられるのは、痛くて、心地が良い。もう2度と手放したくないと思うほどに。
「あぁ……神様、ありがとうございます」
マリヤが顔を覆って泣いている。
先生は俺たちに背中を向けて、肩を震わせていた。
この中で女医さんだけが事情がわからずに戸惑っていたが、そっと俺に近づいて絆創膏を貼って病室から出て行った。
家族と、マリヤと、先生と。みんな泣いている。俺のために、泣いてくれている。
「クソ親父に奪われた痛みを、秋人に殴られて取り戻したなんてな」
「ぐすっ、あんなクズと一緒にすんな。僕の拳には愛情が乗ってんだよ」
「どおりで痛かったわけだ」
泣きながら、笑った。
病室の窓から差し込む日差しに目が眩む。
転んで膝を擦りむいて、痛くて大泣きしたら、母親が心配して駆け寄ってくる。そんな日を夢見たこともあった。心のどこかでは、きっと痛みを取り戻したかったんだ。
”当たり前”を享受できる人たちが羨ましかった。学校に行って学んで、友達と一緒に遊んで、暖かい家がある、そんな当たり前の生活がしたかった。でも、もう羨ましくない。だって、今がこんなにも。
「幸せ、だなぁ」
痛くて幸せだなんて、きっと他の人たちは思えないんだろうなぁ。
啜りすぎて痛い鼻をもう一度啜って、家族と幸せを分かち合った。
~執筆中BGM紹介~
CLANNAD~AFTER STORY~より「時を刻む唄」歌手:Lia様 作詞・作曲:麻枝准様 編曲:ANANT-GARDE EYES様
ずっとずっと書きたかった話です。




