仲の良い親子
進路もほぼ確定し、それに向かっての勉強を続けている。目下の課題であった進路が決まって、安心した矢先だった。
母マリヤから、俺だけ病院に来て欲しいと言われたのは。
きっと俺だけ呼んだということは、秋人たちに黙っているマリヤの病気のことだろう。
何度も来ているから、顔見知りになった看護師さんたちに挨拶をする。すっかり見慣れた通路を歩きながら、目的の場所にノックをして病室に入る。
「母さん来たよ」
声をかけてから姿が見えるまで、不安になる。この前より病状が進行していないかとか、起き上がれなくなっていたらどうしよう、とか。
そんな普通の息子っぽいことを考えながら病室の中を進むと、窓際に座る母の姿があった。
「ありがとう。今日は天気がいいし、外でお話しない?」
座っていたのは、車椅子だった。着実に病魔は母を蝕んでいることがわかって、喉の奥がキュッと絞られるような感覚に陥った。それらすべてに蓋をして、笑う。
「押すよ」
「あら。意外と重いのよ。智夏に押せる?」
「意外は余計じゃない?」
「そこは「軽い」って言えばいいの!まったくもう……ふふっ」
笑う母にひざ掛けを渡して、ストッパーを外して車椅子を押す。
「ふんっ」
ぷるぷるぷる、と腕の筋肉が震える。
「やだ。本当に押せないの?」
ピクリとも動かない車椅子に、マリヤが驚いて振り向いた。
「冗談だよ」
「もう!」
顔を上げてニヤリと笑う。そんな俺たちの様子を見て、看護師さんたちも笑っている。
「仲が良い親子ですねぇ」
穏やかな日。
車椅子をゆっくりと押しているのは、話を聞きたくないからか。
「”仲の良い親子”だって」
「そんなの初めて言われた」
「そうね。一緒に住んでた頃も、言われたことはなかったわね」
あの頃は、ピアノを教える人と教わる人、それだけの関係だった気がする。
それから、特に何かを話すこともなく、日の当たる中庭の東屋に向かった。元々、俺もマリヤも口数は多くない。秋人や冬瑚がいれば、賑やかになったんだろうけど。
緑豊かな中庭は人がまばらで、話をするにはちょうど良さそうだ。
東屋に入り、車椅子のストッパーをかける。隣のベンチに座り、そよそよと揺れる木を眺める。
「智夏」
「なに?」
木から目を離し、マリヤを見る。子を失い、子を守るために子を捨てた、憐れな母。
「智夏」
「うん」
今では恨みや憎しみより、同情や憐憫の感情の方が強い。
「私、遠くの病院に行くね」
「急にどうして?」
小鳥が2羽、足元にやって来た。夫婦か、親子か、兄弟か。
「秋人と冬瑚には、遠くで元気にやってるって、伝えて」
最近、何かと理由を付けて秋人と冬瑚の訪問を断っていたマリヤ。それは、思っていた以上に症状が進んでいるということ。
秋人と冬瑚にこれ以上隠せそうにないから、どこか遠い場所に行こうと。
「……ひとりで?」
「うん」
1人で、また。
「また、置いていくのか?」
あの日のように。
「秋人と冬瑚には、病気のことも……死んだことも伝えないで。どこかで生きているんだと、そう伝えて」
それは……。
「秋人と冬瑚は、捨てられたって思ってしまう。秋人なんて2回も……」
突然、マリヤはどこか遠くに行ったと伝えて、果たして2人は耐えられるだろうか。
「死んだと伝えられるより、ずっと良いわ。あの子たちにはもう、私のことで辛い思いをしてほしくないの」
母を失う苦しみより、捨てられた悲しみの方が良いって言うのかよ。
「そんなの、身勝手すぎる」
昔も今も、ずっと。
秋人も冬瑚も、これからマリヤともっといろんな思い出を作りたいって、今までできなかった分、たくさん愛して愛されたいと、そう思っているのに。
「私の死なんて背負わなくていい。私がいなくなるだけなら、すぐに日常に戻れる。大丈夫よ」
2羽の鳥が、羽ばたいていった。
「いずれ私のことなんて忘れてくれる」
冬瑚まだ小学生で幼い。秋人はきっと、臆病になってしまう。春彦が死んで、父が死んで、母まで死んでしまったら。
「ごめんね、共犯にして」
「……ひどい母親だよ」
俺にだけ、打ち明けて。
「智夏は私よりも秋人と冬瑚を優先してくれるから」
ひどいのは俺も一緒、か。
「……わかった。けど条件がある」




