新曲『Start』
作曲者である智夏クンによる曲の説明が終わり、体育館の照明が暗くなる。1曲目のときはここでざわざわと話し声や掛け声なんかが聞こえてきたものだが、今はみんな智夏クンの言葉を自分に置き換えて考えているのか、体育館は衣擦れの音以外聞こえなかった。
静寂の海に、キーボードの音色が鮮やかに染み込んでいく。
『春を前に君は散る』はキーボードソロから始まる曲。……そういえば、客席から智夏クンの演奏を見るのは初めてかもしれない。いつも、動画で見たりステージ裏で見たり、一緒にステージ上で歌っていたりしていたから。
さっきまで客席から智夏クンがうまく話せるかハラハラしながら見ていたのが嘘みたいっス。
まるで別の人。1曲目がひーちゃんを際立たせるための弾き方だとしたら、2曲目は5人全員が輝ける曲。私も音楽をやっている端くれとして、わかる。この曲は弾くのも歌うのもとても難易度が高い。そして難しいことをやっていることを観客に悟らせないほどの実力を持った5人が揃っている。例えるなら、美術館に展示されている抽象画を見たときのような。あ、これ私でも描けそうって思うけど絶対に描けないやつ。
ぐすっ、と鼻をすする音が聞こえた。隣にいたエレナちゃんがハンカチで涙を拭っていた。他にも、あちこちから似たような音が聞こえてくるのは、智夏クンの言葉を聞いて、5人の真摯な音楽が心に響いた子たちが、感極まって涙を流したり、胸がいっぱいになったりしている。エレナちゃんもだけど、卒業生の子たちに特に響いているのかな。
泣ける曲、とかよく聞くけど、泣くことだけが感動を表す術じゃない。
田中クンはエレナちゃんと違って泣いてはいないけど、ほんの少し寂しそうに笑うその横顔を見ればわかる。こんなに大勢の心を動かす音楽を奏でるヒストグラマーは本当にすごい。
私もこんな風にみんなの心を動かせるような仕事をしたい。そのためにはまだまだ頑張らないとね。
「ありがとー!」
演奏し終わって、お礼を言うひーちゃん。お礼を言いたいのは私の方なのに。こんなに素敵な曲を聞かせてもらって……。
「次の曲はねー、なんと新曲だよ!」
なに!?新曲だと!?
”新曲”その一言にしみじみと余韻に浸っていた心が吹っ飛んでいった。
「私たちヒストグラマーは12月に、この新曲『Start』でデビューします!」
「「「おぉおおおおお!!!」」」
12月!?そっかそっかぁ!デビュー後初ライブは仕事を調整して絶対行かなきゃいけないっス。
「でも、その前に私たちの原点であるこの場所で、一足早く新曲を初披露します!」
「「「いぇぇええええええいいいいい!!!」」」
ヒャッフー!やったね!どこにも出していない曲を一足先に聞けるなんて最の高!……え、なんの対価もなしに初披露の新曲を聞けるんですか?そんな、そんなのって供給過多っ!私だってヒストグラマーに、推しに貢ぎたいのに!推しが貢がせてくれないなら、ファンの愛はどうやって表せばいいんですか!?
「ねぇ、エレナちゃん」
「なに?」
「推しに愛を捧げるにはどうしたらいい?」
「は?……よくわからないけど、チーちゃんを抱きしめたら?」
「なるほどわかった!」
要するにそれが世界平和に繋がる、ラブアンドピースってやつだよね!
「オタクの思考やべーな」
「田中クンにもいつか推しができたらわかるよ」
「わかりたくはないです」
「ひどい」
推しがいる人生といない人生とじゃ、なにか違うんだよ!人生の彩りとか、預金通帳の支出とか!(あくまで個人の感想です)
ステージに目を向けると、キラキラと推しが、推しのバンドメンバーたちが楽しそうに話している。それだけで幸せ。ご飯3杯いける。
「新しい一歩を踏み出すみんなの背中を押せますように!聞いてください『Start』」
新曲の『Start』はボーカル以外の4人の演奏が同時に始まる曲のようだ。息ぴったりの演奏が体育館を明るく照らす。
「~♪」
初めて聞く曲でも、乗りやすい曲。自然と身体が動く、ポップな曲。
そこにひーちゃんの楽し気な弾むように歌う声が合わさった。
走りだしたくなる、爽快な曲。何か新しいことに挑戦したくなる、パワーに溢れた曲。
すー、はー。
控えめに言って神曲ですやん……。
~執筆中BGM紹介~
プロミス・シンデレラより「HADASHi NO STEP」歌手・作詞:LiSA様 作曲:田淵智也様




