お兄ちゃん
今回は間に合っ、、、たのか?
青白い顔で自分の両肩をさする香織を見て、俺が着ていたパーカーを小刻みに震える細い肩にかける。こんなことになるなら一緒に飲み物を買いに行けばよかったな、と後悔が押し寄せる。そのとき、香織の言葉が不自然に途切れた。
「智夏君、ありが、」
香織の目は俺に向けられていた。正確には俺の体についている無数の傷跡に、だが。しまった、と思ったが後の祭りである。
「えっと、ごめ、」
「謝らないで!」
咄嗟に謝ろうとした俺を止める香織。普段聞かない大きな声だったので驚いた。
「その傷は、智夏君が謝らないといけないようなものなの?」
真剣な眼が俺を射抜く。まるで心の奥底まで見通されているかのような、そんな感覚に陥る。一言一言に思いを乗せながら、香織が言葉を重ねる。
「私には、なんで傷だらけなのか、智夏君に何があったのかなんてわからない。でも、その傷は、君が頑張ってきた証だと思うから。だから、傷を誇れとは言えないけど、否定するようなことは無理に言ってほしくない」
この傷は、あの辛く苦しい日々を象徴するもので、醜く忌々しいものだと、そう思っていた。実際今だってそう思っている。だが、香織は「頑張ってきた証」だと言ってくれた。そういう見方もできるのだと、気づかせてくれた。
「って、上から何言ってんだって感じだよね。ご、」
「謝らないでくれ、香織。今の言葉、すごく嬉しかったんだ」
香織の言おうとしていた言葉を遮る。
世界は多角的で、思ったよりも息苦しくない場所なんだと教えてくれたから。だから、
「ありがとう、香織。この傷跡を「頑張ってきた証」って言ってくれて。俺に新しい世界を見せてくれて」
「うん。どういたしまして!」
香織の眩しい笑顔を見て、ドキッと胸が苦しいくらいに高鳴る。苦しいというか、この懐かしいような感覚は…?
「香織、もう一回」
「へ?なにが?」
「もう一回笑って見せて?」
もう一度あの感覚を体感したら、この違和感の正体がわかるかもしれない。無意識に香織に迫っていく。
「上裸でメガネなしでその顔でその声で迫らないで!無理無理尊い貴いまじ神」
「あ、つい。悪気はなかったんだけど」
必死な顔で「無理無理」と言った香織に気付き、元の位置に戻る。「無理無理」の前後は聞き取れなかったが、嫌われてしまったのだろうか。
ズキッ
「まただ」
「うん?何か言った?」
「あ、そうだ。そのパーカーのポケットにメガネ入ってるから取ってくださいな」
「え~どうしようかのぉ」
この違和感の正体を知るまで、あと少し。
――――――――――――――――――――
福井に来て3日目の朝。本日も晴天なり。今日は4人班での自由行動である。
俺たちは今、曹洞宗の大本山である永平寺に来ている。
「でっかいね~」
と言って口をあんぐり開けている香織の顔からは、昨日のプールでの一件のダメージは感じられない。
「緑がすげー」
と言った田中は、昨日いつの間にかカンナと消えていたが、なんとウォータースライダー巡りをしていたらしい。しかも最後には親衛隊の2人を巻き込んで、またデス・ロードに乗ったらしい。恐ろしや。
「……空気がおいしい」
そして最後にぽつりと呟いたのが、例の小鳥遊さんである。身長が150センチに届かない、かなり小柄な体格の女子である。
およそ3時間ほど永平寺をめぐり、精進料理をいただいた。豊かな自然と美味しい空気に囲まれて、清々しい気持ちになった。ただ、小鳥遊さんについて気になることが一つ。小さい子供を凄い目で睨んでいたのだ。子供が嫌いなのだろうか?
次にやってきたのが山である。昨日は海で今日は山。自然尽くしの修学旅行だ。山と言っても標高はそれほど高くないので、普段着で行ける。しかし10月なので山は寒い。そもそも昨日のプールも少し寒かった。
ちなみに香織は青色の大きなパーカーに黒のジーンズとシンプルな格好だがパーカーが大きい分、細い足が強調されて守ってあげたくなるような、庇護欲を掻き立てる服装である。つまりかなり可愛い。小鳥遊さんは白の長袖シャツにツナギのような……なんだっけ、黒のオールインワン?を着ている。こちらもいたってシンプルだが可愛い。
と思っているうちに目的の展望デッキに到着する。
「パンケーキ楽しみだね!ここなちゃん!」
「……ん、楽しみ」
香織と小鳥遊さんの様子を見て軽く目を見張る。
「香織ちゃんすげぇな。小鳥遊さんと仲良くなってる」
「意外ではないけどね。なんせあのカンナとも仲良くなったんだし」
「あー確かにな」
田中が声をかけてくるが、俺の意識は別のところにあった。
小鳥遊さんの名前って「ここな」だったんだ……。
展望デッキからの眺めは素晴らしかった。上から街並みを見ると、なんていうか
「殿様になった気分だ」
「天下取った気分になれるよね」
「えー?そんな気分にならないよ?」
「……ならない」
どうやら男女で意見が分かれた模様。ここから議論を白熱させるか考えていると、突然腰に衝撃が走る。振り返るとそこには知らない男の子が涙を目に溜めながらこちらを見上げてくる。あ、嫌な予感が……。
「お兄ちゃんじゃない!お兄ちゃんどこー!うわぁぁぁん!!」
「わわっどうした!?迷子か!?」
「うわぁぁぁん!!」
火が付いたように泣きだす男の子。とりあえず泣き止んでもらうために、男の子を抱っこする。4,5歳くらいだろうか。これだけ騒いでも保護者(お兄ちゃん?)が来ないあたり、かなり離れてしまったのだろう。
「ほら、泣いてたらお兄ちゃん見つけられないぞ」
よしよしと腕の中の子どもをあやす。
「迷子君かー。私そこのカフェに保護者の人がいないか聞いてくるよ」
香織が素早く行動を起こす。とりあえず香織が戻ってくるまではここで情報を聞き出しておく。
ようやく泣き止んだ様子の子どもに問いかける。
「お名前は?」
「かずまっ」
「そっか、良い名前だな」
「うん!」
よしよし、笑顔が戻ってきた。「しばちゃん子供あやすのうまいなー。保母さん?」という田中の言葉は無視する。
「今日は誰と遊びに来たんだ?」
「お兄ちゃん!」
「そっか。じゃあ俺たちと一緒にお兄ちゃんを探そうか」
「うん!」
秋人の小さい頃を思い出してほんわかする。可愛いなぁ。
「……ねぇ、御子柴君」
「な、なに?小鳥遊さん」
いつの間にか背後に立っていた小鳥遊さんに驚きつつも返事をする。そういえば、小さい子供が嫌いなんだっけ?なんだか変な圧を感じて怖い。なんで迫ってくるんだろう。
「……かずま君を、」
「かずまを?」
ゴクリと生唾を飲む。知らないうちに腕の中のかずまをギュッと強く抱いていた。かずまは何がどうなっているかわからず、困惑顔だ。可愛い。
「……養子にください」
ようし?用紙……容姿……養子?え?
「………とりあえず落ち着け」
ハァハァと鼻息の荒い小鳥遊さんからかずまを引き離すのだった。
~第21回執筆中BGM紹介~
涼宮ハルヒの憂鬱より「God knows...」歌手:涼宮ハルヒ/平野綾様 作詞:畑亜貴様 作曲:神前暁様