夢を見ているよう
停電の中で始まった『レクイエム』の生演奏。彩歌さんの一本芯の通った力強い歌声が、マイクを通さずにライブ会場に響く。
客席で静かに揺れるペンライトの光が、夜の女王の輪郭をほんのりと浮かび上がらせる。
騒めきが完全に消えて、聞こえるのは彩歌さんの歌声と、ピアノの音色のみ。
異様な空間だった。ライブという非日常のイベントの中での停電というハプニング。まるで現実感のない、夢を見ているようで。
この時間がいつまでも続きそうだと、馬鹿なことを思うくらいに。夢ならば、いつかは必ず醒めてしまうけれど、どうかそれまでは。
『レクイエム』を歌いきった数秒後に、会場の照明が点いた。会場にいた全員が、夢から醒めるには十分なほどの明るさだった。
「只今、強風のため一時停電に――」
場内アナウンスが電気の復旧と共に流れ出し、ライブはこの後も予定通り続行すると繰り返し言っていた。
ひとまず少し休憩を挟んで、それからライブを予定どおり再開することになった。
体力のペース配分が『レクイエム』を全身全霊で弾いたことによりかなり狂ってしまった。若干、肩で息をしているくらいには、体力を使ってしまったのでさっさと椅子に座って体力回復したい。
「うぉいうぉいクソガキぃ!なんだよあれ!まるで打ち合わせしてたみてぇに息ぴったりじゃねぇか!」
……体力を回復したかったのに、ステージ裏に引っ込んだ途端にRYOを筆頭にスタッフやバックミュージシャン達に囲まれてしまった。それは遅れてステージ裏に来た彩歌さんも同じだった。
「すごいですね鳴海さん!私もう、もう……!」
「思わず聞き惚れちゃいました!」
「あんなに大きな声で歌ってたのになんで上手いの!?」
俺以上に疲れている様子の彩歌さんも、アーティストやスタッフ達に囲まれて苦笑いをしていた。よく見るとかなり汗をかいているみたいだし、次に出番も控えているし、このままじゃ余計に体力を削られて本番に出ることに……。
行くか。
人垣をかき分けて彩歌さんの前に出る。もっとスマートに出たかったが、飛び出すような形になってしまった。
「あ、えっと……、今後の打ち合わせがあるので、失礼します!」
「「「えぇ~っ!?」」」
不満の声が聞こえたが、彩歌さんの手を握って、2人で急いで人垣を駆け抜ける。
すれ違いざまにRYOがやけにニヤニヤしていたのが癪だが、それに構っている暇はない。
「ち、智夏クン!どこに向かってるっスか!?」
「なんにも決めてないです!」
「じゃあこっちに!」
通路を曲がってすぐの控室の扉を開けて2人で走って入る。
「はぁ、はぁ」
「ふー、ふー」
息を整えながら、ここはどこかと辺りを見渡す。俺たちバックミュージシャンと違って、少人数用の控室なのか広さは小さいが、その分設備が充実している。
そしてほのかに良い香りがする。化粧道具がある。衣装が女性物。
「ここは私の控室っス。一応」
「す、すごいですね」
大部屋の俺とは待遇が大違いだな。
「ここならゆっくり休めるでしょ?」
キャスター付きの椅子に2人で並んで座り、なんとなく、正面の鏡越しに彩歌さんを見る。やっぱり顔色が良くないな。俺が心配しているのがわかったのか、彩歌さんが力なく笑った。
「あんなこと、初めてだったから。すっごく緊張したし、すっごく疲れたっス……」
「俺も疲れました」
「智夏クンならすぐに合わせてくれるって思ってたっス」
「彩歌さんを1人にはさせません」
昨日、彩歌さんには俺がいなくなってしまいそう、と言われたけれど。それは逆だ。今日だって、置いていかれそうになって、なんとか追いついたってのに。
「智夏クン、そっちに行って……いい?」
俺が座っているのは一人掛けの椅子。ここにもう一人が座れる余分なスペースはないが、椅子の上ではなく、俺の膝の上なら空いて……。
思考がまとまる前に、彩歌さんが膝の上に横向きに座った。
「しばらく、このままで……」
「……はい」
ゆっくりと瞼を閉じた彩歌さんを支えるように、しかと抱きとめた。
~執筆中BGM紹介~
終物語より「さよならのゆくえ」歌手:瀧川ありさ様 作詞:Alisa Takigawa様 作曲:Alisa Takigawa様 / Saku様




