おさわり厳禁
『こ~ンば~んワ~』
「キャ―――!!!」
俺たちの真後ろから聞こえてきた女性の声に、彩歌さんが悲鳴を上げる。
「さっきの声って」
いやに聞き覚えのある声というか、さっき聞いたばかりの声というか。
声がした方に懐中電灯の灯りを向けると、俺の身長くらいの高さの木の枝に小型スピーカーがぶら下がっていた。さっきの声はここから聞こえてきたんだな。
「彩歌さん」
「ななななななに!?」
「あれ見て、スピーカー」
「スピーカー?」
恐怖で顔を俺の背中に押し付けてしがみついている彩歌さんにスピーカーの存在を教える。
『こ~ンば~んワ~』
「もっかい言った」
「こ、こんばんは!」
さっきまで怖がってたのに丁寧にあいさつを返す彩歌さん、かわゆい。
『それでは絶叫の森に入ってもらう前に注意事項を言います』
「この森、そんな物騒な名前だったんだ」
この日のために即席でつけた名前なんだろうけど。
「あれ?この声ってマリヤさん?」
ようやく落ち着いてきた彩歌さんがスピーカーから流れる声の主がマリヤであるのことに気付いたらしい。
「役割ってこのことだったんだな」
「案内役かな?」
そういえば俺たちの声はマリヤに聞こえてるのかな?俺たちがここに来てから喋ったということはこちらの姿はあっちに見えてるはずだけど。
『注意事項その1。私にあなた達の声は聞こえません。音声はこちらからの一方通行です』
「あ、聞こえてなかったんスね」
それにしても面白いくらい棒読み。あらかじめ用意された台本を読んでいるんだろう。
『注意事項その2。幽霊には触れないでください。殴る蹴るはもっての他です』
「おさわり厳禁ってことっスね」
実体のある幽霊がこの先出没するってことだろうな。
『注意事項その3。存分にいちゃいちゃしてください。以上!』
「「え」」
それきり、うんともすんとも言わなくなってしまったスピーカー。
聞こえてくるのは虫の声や木々の揺れる音、そして彩歌さんの息遣い。
「いちゃいちゃしますか?」
「幽霊さんが見てるかもしれないのに?」
「あちら側がそれをお望みですが」
「そうだった。……でも私は、2人っきりのときにいちゃいちゃしたいっス。へへ」
「~っ!」
こんなに健気で可愛い大人が他にいるだろうか。
夜で顔色がよく見えなくて良かった。こんな情けなく緩んだ顔、見られずに済んだ。
『あー、早く進めとのお達しです』
「「わっ!」」
沈黙を保っていたスピーカーから、突然呆れたような声が聞こえてきて催促してきた。
「……じゃあ行きますか」
「ふぁ、はい!」
自分の発言を思い出して恥ずかしがっていたのか、若干声が上擦っていたが、気が付かないふりをした方がいいよな。
懐中電灯で足元を照らしながら、矢印の方向に進んでいく。道中で冷たい物体(スライム?)が枝からぶら下がっていたり、スピーカーからの音声びっくり攻撃をされたりしたが、いまのところまだ幽霊さんは見ていない。
「彩歌さん、来週ライブですよね?そんなに叫んで大丈夫ですか?」
「だ、だだだ大丈夫っス。喉の強さには自信あるでござる」
「さようでござるか」
ござる。
来週のライブ、というのは毎年夏に開催されている、総勢50組の歌手が集まり、アニメソングを歌う2日間の大規模なライブだ。
彩歌さんは今年で3年連続出場。
チケットを取ろうとしたが、抽選に落ちてしまった。のだが。
「智夏クンこそ。2日間のセトリは覚えたっスか?」
「ばっちりですよ」
なんとステージの上でピアノやキーボードを弾くことになったのだ。ソロで歌う人たちの曲を演奏する役目をありがたいことに頂いて、最近はそれの練習に時間を費やしていた。
つまり、彩歌さんが歌っている姿を俺は後ろから見られるというわけで。まぁ、演奏に集中しなきゃいけないけれど。
ちなみにセトリとはセットリストの略であり、歌う曲の順番のことである。自分たちで伴奏も演奏するバンドなど以外は、俺がピアノやキーボードを演奏するので、セトリは覚えておくのが必須だ。というか、ステージ上は演出で暗かったり、逆にライトがチカチカと眩しかったりするので全曲暗譜し、なおかつライブ中のアーティストのアドリブやアレンジに合わせられるくらいのレベルに仕上げなければならない。
懐中電灯で足元を照らしていたが、ふと何気なく前方に灯りを向けたときだった。
「う~ら~め~し~や~」
「ぴぎゃ――――!!」
あ、彩歌さんが飛んだ。




