ばっちぃ
満開アニメーションの古びた会議室はもはや拷問室と化していた。拷問官に見える香苗ちゃんが鋭利な視線で奴に問いかける。
「言い残すことは?」
「僕にこんなことをしてただで済むと思っているのか!?お爺様に言いつけて、お前ら全員地獄に叩き落としてやる!!」
お中元のハムのように縄でぐるぐると巻きにされた贅肉野郎こと佐藤監督が唾を吐き散らして「お爺様、お爺様」と喚いている。ばっちぃ。
くつくつと我らが滝本渚社長が笑い声をあげる。
「君のお爺様、正造氏とは昔からの飲み仲間でね?昨日、直接正造氏と話した際、とても面白い話を聞いたよ」
「なっ、お前があのお爺様の飲み仲間だと…!?」
飲み仲間で何をそんなに驚いているのだろうか。まさか会員制とか?
「そうだ。財界の重鎮や政界のトップなどなどが集まるあの正造氏の飲み仲間の一人だ」
まぁそんなことはどうでもいい、と言い放った社長の右手にはいつの間にか例の蝶の扇子が握られていた。地面に正座してカンナと謝ったあの日を嫌でも思い出す。あ、扇子を見たら震えが。どうやらあの扇子に恐怖が刷り込まれているらしい。
「お前、勘当寸前なんだってな」
「チッ!どうしてそれを!」
「正造氏が悩まし気な顔で話してくれたよ。家の金を使い込む、ろくでもない孫がいると」
パチン、パチンと扇子を開いて閉じる。気のせいか開閉のタイミングがだんだん早くなっている気がする。カウントダウンか?贅肉野郎の終わりをカウントしているのか?
「正造氏に話したよ。お宅の孫がうちの秘蔵っ子をかなり可愛がってくれたとな」
「そんな言いがかりはやめ、」
ダァァァン!
床に転がった贅肉野郎の鼻先すれすれに扇子を突き刺している。アレ絶対普通の扇子じゃない。鉄扇だろ、凶器だろ。
「最近疲れててな、どうやら耳の調子が悪いらしい。もう一度聞こう。なんだって?」
「だ、だから、い、いいいがかり、」
ダァァァン!
二撃目は右目のすぐ横に。
「なにがかりだって?」
「いいい、いいが」
ダァァァン!
三撃目は左目のすぐ横に。もう床がボロボロである。というか、よく三回も答えようとしたよな。学習能力がないバカなのか、はたまたとんでもない勇者なのか。いや、とんでもないバカだな。
「お前がうちの春彦にした所業、すべて聞き及んでいる。お前がいくら喚いたところでこの場に味方はいない。諦めたほうが楽だぞ」
「ふざ、ふざけんな!何様だよ!?この俺に命令するなぁぁあああ!!」
床に転がりながら喚き散らす姿は非常に憐れである。狐面越しにも憐憫の視線が伝わったのか、殺意のこもった視線をぶつけてくる。縄で縛られて何もできないとわかってはいても、狂気を浴びて少し後ずさる。
「そんな目をうちの子に向けないで」
ずっと無言だった香苗ちゃんが俺と贅肉野郎の間に立ち、視線を遮ってくれる。俺よりも小さな背中に守られて情けないやら、嬉しいやら。
「正ちゃん、あぁあなたのおじい様ね。正ちゃんとは私もお友達でね?私の可愛い子が傷つけられているって言ったら、それはもうお怒りになられて」
「…」
俺からは香苗ちゃんの背中しか見えないので表情はわからないが、贅肉野郎が恐怖に震えている。鉄扇の恐怖にも抗ったあのとんでもないバカが、震えて声も出ないといった様子である。
「人間としての道理を一から叩き直してくれるわっ!って。孫思いの素敵なおじい様ね」
「ぐひぃっ」
「あら?豚の鳴き声が聞こえたわ。ようやく身の程を知ったの?」
ふふふっと笑いながら毒を吐いている。恐るべし、敏腕プロデューサー。
「あ、そうだ。もうすぐここに正ちゃんが使いの人を寄越すって言ってたよ。明日からみっちり人間の道理を説かれるって」
「お、俺が、監督の俺が途中でいなくなって、アニメが頓挫してもいいのか!?」
痛いところを突いてきた。それは俺がこいつの難題に答え続けた要因でもある。アニメの放送中止、それだけは避けなければならない。
「生憎とお前がいなくなって現場が混乱することはない。むしろいなくなってせいせいするわ!もちろん監督は交代してアニメの制作は続行する!」
そういえば、この場にはもう一人、音響監督の加賀さんがいたことを思い出す。加賀さんはさらに言葉を重ねる。
「せめて春彦君に謝ってから行け!」
「ぐぅっ!死んでもお前になんぞ謝るかっ!!」
「別に謝罪はいりません。とりあえずその臭い口を閉じてください」
「ははっ!よく言った春彦、もっと言ってやれ」
社長が上機嫌に扇子で肩を叩きながら促してきたので、その通りにする。
「気色悪いので、唾を吐き散らさないでください。あと、香苗ちゃんや社長が近づいたら鼻息が荒くなるのやめてください。気持ち悪いです」
すすすっ、と香苗ちゃんと社長が距離を取る。あいつ、女性から蔑みの視線を受けて喜んでいるように見えた。重度の変態だ。
「それと前から思ってたんですけど…」
それから5分くらい喋り続けた。いつの間にか贅肉野郎は遠い目をしており、うわ言のように「気色悪い、変態」と呟いていた。それからしばらくして正造氏の使いがやってきて、放心状態の野郎を引きずって出ていった。
「春彦、どうして周りに相談しなかったんだ?」
贅肉野郎が退場し、加賀さんも去った会議室で、社長から静かに問いかけられた。
それは、以前にも田中たちに言われていたこと。
どこまで相談していいのかがわからないのだ。どこまでが許されるのか、線引きがわからない。それを一度でも間違えて、離れて行ってしまったらと考えると、怖くてたまらない。
「最初に、私に相談してくれたのは良かったよ、夏くん」
香苗ちゃんがとても悲しそうな顔で俺を見る。俺は香苗ちゃんにそんな顔をさせたかったわけではない。自責の念が腹の奥に蠢く。
「でも、最後まで相談してほしかった。些細なことでもいい、なんでもいいから話してほしかったな」
あぁ俺は、何度同じ過ちを犯せば気が済むのだろうか。かけがえのない友人を傷つけ、大切な家族までも傷つけてしまった。
「きっと夏くんのことだから、どこまで踏み込んでいいのかわからないって思ってるよね?」
心の声を聞かれたようで、少しドキッとした。
「だから距離を置こうとしてる。でもね、他人との距離は、踏み込んでみないとわからないよ?」
香苗ちゃんに諭されてハッとする。ずっと昔、同じようなことを誰かに言われたような気がする。あれは確か、あの女がピアノが友達がなかなかできなくて泣いている俺に言ったのだ。
『嫌われるのが怖いから近づけない?近づいてみないと嫌われているかどうかなんて誰にもわからないわ』
珍しく母親らしいことを言っている、と子供ながらに思ったものだ。
「うん、うん、そうだね。迷惑かけてごめん、それと、心配してくれてありがとう、香苗ちゃん、社長」
満足気に頷いている二人の顔を見ながら、久しぶりにあの女のことを思い出しても心が荒まなかったな、と思っていたのだった。
波乱の夏がもうすぐ終わる。遠くから聞こえる秋の足音は、どこか悲しみの色を纏っている気がした。
~第16回執筆中BGM紹介~
機動戦士ガンダム鉄血のオルフェンズより「Mobile Suit Gundam:Iron-Blooded Orphans」作曲:横山克様