手の甲
前半は智夏視点、後半は彩歌の父視点でお届け。
鳴海家でお義母さまに歌のレッスンのような、ただの演奏会のようなものをした後、お義父さんが俺を車で送ってくれることになった。
「みんなで智夏君の家まで行きたーい!」
お義母さまが可愛いことを言っていたが、お義父さんが「男2人でドライブだ」って言って断っていた。どうしよう、お義父さんと車内で2人っきりとか気まずいことこの上ないんだが。
玄関まで見送りに来てくれたのは彩歌さん1人だけで、さっきまで一緒だったお義父さんは先に車に乗ったようだった。
どうやら、彩歌さんと俺をわざと2人きりにしてくれたみたいだ。
お義母さまたちの気遣いに心の中で感謝しつつ、彩歌さんと向き直る。
「智夏クン、今日はありがとう」
「こちらこそ、ごちそうさまでした」
「この後、父さんに何か言われるかもしれないけど…。嫌なことを言われたらすぐ言ってね。ワサビ持って駆けつけるっス」
「それは頼もしい。でも、大丈夫だよ」
送ってもらうだけだし。どこか遠くに放置されるわけでもあるまいし。
それに…
「彩歌さんのお父さんだから」
安心してほしくて笑顔を作ったが、その途端に彩歌さんに抱きしめられた。
「”お父さん”っていう存在が苦手っスよね?」
彩歌さんがずっと心配していたことはそれだったのか。
言われてみればたしかに、”父親”という存在に苦手意識を抱いているかもしれない。年上の、特に父に似ている背格好の男は特に。体が嫌でも委縮してしまう。
彩歌さんはそれに気づいていたんだ。
「彩歌さん」
ぽんぽんと彼女の細い背中に手を回してあやすように触れた。
「彩歌さんのお父さんと俺のクソ親父は似ても似つかないので安心してください。家に帰ったら電話しますね」
「…うん」
彼女の実家の玄関先でキスをする勇気はなかったので、そのまま体を離してお義父さんの待つ車に乗り込もうとしたときだった。
「智夏クン!」
「…!」
手を引っ張られて、そのまま俺の手を彼女の両手が包み込んで、唇が手の甲に触れた。
「またね」
「……また、ね。え?」
手の甲にキスされた?
頭の中がパンクしたまま、車は静かに発進した。
―――――――――――――――――
娘の彼氏を助手席に乗せて車を走らせること早3分。
「え、キスされた?やばいやばい。どうしよう、好き」
娘の彼氏――智夏君がようやく自分に何が起きたのか理解したようだった。我が娘ながら面白い子を選んだな~。
「智夏君、いまどういう状況かわかってる?」
「ほへぇ?……あ、すみません心の声が思わず出たみたいです」
「まー、リラックスしてくれてるみたいで良かったけど」
本当に、良かった。
智夏君が話してくれた自身の過去。実の両親のこと。
子どもを持つ親として、彼の半生は聞いていて胸が締め付けられるようだった。今は亡くなっているらしい彼の父親に、話を思い出しただけでも怒りがこみ上げる。
それに今は和解しているらしい彼の母親。彼女にも怒りがこみあげてくるが、一番傷つけられた彼が許しているのなら、他人の俺がとやかく言う筋合いはない。
それならせめて彼の新しい家族として、義理の父親としてできることはないだろうか。
「お義父さんは、俺の話を聞いて嫌にならなかったんですか?彩歌さんには普通の人に付き合ってもらいたかったのでは…」
「そりゃもちろん」
普通か普通じゃないかで言ったら、智夏君の生い立ちは間違いなく普通じゃない。
「だけどね、君は普通じゃなくても、間違いなく良い子だ」
他人を思いやる心を持っている。愛情の大切さを知っている。
「良い子……いや違うな」
「え」
自分で言っといて自分で否定した俺に智夏君が驚いている。悪い子だと言いたいわけではないんだ。
「良い子でも悪い子でもいいんだ」
彼に「良い子」だ、なんて言ったら、負担になってしまうような気がしたから。
「俺たちのことを無理に家族だって思わなくていい。けれど、鳴海家はみんな、君のことが好きだからね。来たくなったらいつでも来なさい」
居場所はここにもあるのだと、知っていてほしい。
彼の家の横に車を停める。家には今日は誰もいないと言っていたが、明かりがついていた。
「あれ?香苗ちゃんが帰ってきてる」
不思議に思いつつも、喜色を滲ませる。家族がいることを嬉しく思える彼ならきっと、あの子と素敵な家庭を築くことができる。
「送ってくださってありがとうございました」
「あぁ。またうちにおいで、智夏君」
「はい!」
いい返事をして足早に家に帰っていった新しい息子の姿を見送りつつ、サインをもらい忘れたことを思い出したのだった。
「サインは……、また会ったときにもらえばいっか」
~執筆中BGM紹介~
「雨上がりの花よ咲け」歌手:茅原実里様 作詞:畑亜貴様 作曲:菊田大介様




