私だけは
後半はかなり重めの展開です。
アマチュアバンドコンテスト、通称ABC審査員の一人―――音楽イベント会社ミュージックライト代表、四方則俊。つまらないものでも見ているかのように、頬杖をついてパソコンの液晶画面を見ている。
「応募総数932組、そのうち本選に出場できるバンドは10組だけ。こんな実力もクソもねぇのに動画を送ってくるやつらはどうして自分が選ばれると思ってるんだろうな~」
飛ばし飛ばしで予選に応募してきた動画を見ていく四方に、同じく審査員である大人気バンド『Eagle』ボーカル兼プロヂューサー、阿久津凌空はニコニコしながら言った。
「飛ばして見てわかるんですか?」
「わかるさ。すげぇやつは飛ばして見てもすげぇってわかるもんだ。その逆もまた然りってな」
下手くそは飛ばしで見ても下手くそだってすぐにわかる。いままでどれだけのアーティストを見てきたと思ってるんだ、と自分より30は下の阿久津にドヤる。が、阿久津はニコニコと穏やかな笑顔のまま毒を吐くように嫌なことを言ってくる。
「そんなに適当でいいんですか?そんなんだから50過ぎても独身のままなんじゃないですか?」
「可愛げのねぇガキだな、相変わらずよォ」
いつか絶対年長者に対する敬いってやつをこの生意気なクソガキに叩き込んでやると心の中で誓いを立てながら次の動画を見て、動画を飛ばしていた手が止まった。
「おい……誰だこいつら」
「四方さん?どうしたんで、」
「阿久津、『ヒストグラマー』って知ってるか?」
視線はただひたすらに送られてきた一本の動画に縫い付けられながら、辛うじて残った理性で阿久津に問いかける。
「『ヒストグラマー』?うーん、初耳ですね。それよりいきなりなんですか?手、震えてますよ。アル中ですか?」
「審査員なんてつまんねぇこと引き受けちまったと思ったが、どうやら思い違いだったらしいな。あと俺はアル中じゃねぇ、下戸だ」
「まじっすか。そんなにヒゲ生やしといて飲めないとかウケる」
「こりゃあ面白くなりそうだな!阿久津は後でボコるー」
「パワハラだー」
ABC初出場『ヒストグラマー』―――本選出場決定
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『お母様のことで少しお話が…』
俺たち兄弟の産みの親、マリヤが入院している病院から電話が掛かってきたのは、ヒストグラマーが本選に出場決定した翌日のことだった。
この前、風邪をひいていたから心配だな。
呼ばれたのは俺一人だけ。
ぽつりぽつりと分厚い雲から零れるように落ちてきた雨が頬を濡らした。
「うわ雨か。傘忘れちゃったよ」
雨は嫌いだ。
曇天から逃れるように病院までの道を走った。
「マリヤさんの体を検査したところ―――」
医者から聞かされた病名は誰でも一度は聞いたことのあるもので、もう手の施しようはないと言われた。
俺はよほどひどい顔色をしていたのだろう、看護士さんが背中をさすってくれたが、それにすら気づかないくらいに頭の中がぐちゃぐちゃだった。
「もって半年でしょう」
あぁ………だから雨は嫌いなんだ……。
「……母さん」
病室のベッドに腰掛けて窓からの景色を眺めていたマリヤを呼ぶと、振り返って穏やかに微笑んだ。
「こっちにいらっしゃい」
手招きされて大人しく隣に座る。それは幼い頃の記憶のなかにある優しい記憶のようで。
「先生に聞いたのね?」
「…」
「そっか。ごめんね」
泣いている子供を慰めるかのように、マリヤは俺の頭を撫で続けた。
「このこと、母さんはいつ知ったの?」
「そうねぇ。この病院に来てすぐだったかしら」
「なんで…、なんで治療しないの?」
治療はせず、このままでいいと担当の先生に言ったそうだ。
「ここの入院費、智夏が払ってくれてるんだよね?これ以上息子に迷惑はかけられないって思ったの」
「迷惑なんて思うわけないじゃないか!」
迷惑だなんて思ったことは一度もない。
ようやく、これから普通の家族みたいに過ごせるんだと思っていたのに。それなのに。
気が付いたら母の腕の中だった。懐かしい母の香り。
「智夏ならそう言ってくれるってわかってた。だから、言わなかったの。この判断が、智夏をひどく傷つけるものだとわかっていながら、言わなかった。ごめんね、こんなお母さんで本当に、ごめんね…」
このとき、唐突に理解した。マリヤは俺と秋人を捨てたこと、冬瑚に愛情をもって接することができなかったことに対する罪の意識を持って、死のうとしているのだと。一生、罪を背負って生きていくほど強くはなれなかったのだと。
「謝るくらいなら、もっと早くに相談してほしかった!俺は、俺たちは、母さんに生きててほしいって思ってる…!」
「うん。でも、それじゃあダメなの。私が私を許せない。子供たちを見て、幸せだと感じるたびに過去の私が首を絞めてくる。子供たちを不幸のどん底に突き落とした私は、私だけは、幸せになっちゃいけない」
なんだよ、それ…。
「「幸せになっちゃいけない」って誰が決めたんだよ。ふざけんな。秋人も冬瑚も母さんとの思い出が少ないから、これからたくさんのことを一緒にしたいって思ってる。過去にできなかった分、これからたくさんの思い出を作りたいって……。それなのに、なんで母さんが諦めちゃうんだよ!」
こんなとき、普通の息子なら優しい言葉をかけてあげたのだろうか。弟妹を言い訳に使わずに、自分の言葉で何かを伝えたのだろうか。
マリヤは俺の頬を触り、いつの間にか流れていた涙を拭った。
「ごめんね…」
謝らせたいわけじゃないんだ。俺はただ、ただ…
しばらくたって、少し冷静になったときには、病院の面会時間ぎりぎりだった。
「母さんはさ、俺に何かを頼みたくて、俺だけにこのことを伝えたんだよね?」
「うぐっ…。実はそうなのよ」
「手伝うよ。俺にできることならなんでも」
「っ!智夏……」
「だからもう、謝らないで。こういうときはありがとうって言って」
「ふふっ、前にも同じことを言われたわね。………ありがとう、智夏」




