三郎太
幸い、飼い主さんもこの脱走ワンコを探していたらしく、すぐに連絡が付いた。急いでこちらに向かっているとのことだったので、大人しくワンコと待機中である。
「へっへっへっ」
飼い主さんとの待ち合わせ場所の公園のベンチで座っていると、きなこ色のゴールデンレトリバーのワンコが俺の膝の上に顎を置いてきた。そうなると必然、犬の頭が膝に乗っていることになるのだが。
「これは、頭を撫でろということか…?」
「へふっ」
返事のようなものを返してきたので、要求通りに撫でてみることにした。頭に手を滑らせると、気持ちよさそうに耳をへたりと倒して目がトロンと気持ちよさそうに蕩けた。
「かわい~な~」
可愛いを見たら、写真に収めるべきだ。可愛いは正義。
カメラアプリを起動すべく、ポケットからスマホを取り出したとき、画面に表示される4つの数字に目を奪われた。
「くじ………9時!?うそだろ!?」
驚きのあまり立ち上がったら、膝でくつろいでいたワンコがびっくりしていた。
「ごめんな、驚かせて。……まぁ、遅刻しちゃったものは仕方ないよな。大人しく飼い主さんを待つか」
こういう切り替えの早さは俺の数少ない長所の一つだと思う。
座り直そうとしたとき、ワンコの耳が人間には聞き取れない微かな音を拾ったようで、ぴくりと動いた。
「わんこ、どうした?」
「ワンワン!」
公園の入り口の方を見て、誰かを呼ぶように吠えている。
「三郎太や~」
さぶろうた…?
「お前、三郎太って名前なのか?」
「ワン!ワンワン!」
電話越しに聞こえてきた老紳士の声が近づいて来た。
「三郎太ぁ。お前さんこの老人を置いていくとはなんと冷たいやつじゃ」
「へへっへっへぅ」
……あれ?
「校長先生?」
「おやおや。三郎太を保護してくれた優しい青年は、の御子柴君だったのか。ありがとうねぇ」
「いえ…」
「儂と三郎太のせいで遅刻してしまったね。迷惑をかけてしまって、本当にすまないね」
「あ、謝らないでください!いつも迷惑をかけているのは俺の方ですし!その、遅刻したことは全然気にしてないんで!」
遅刻を気にしてないって、学校のトップである校長先生に言っていいものなのか。
「カカッ!いいねぇ。それでこそ若者だ!」
ワンコのリードを受け取って快活に笑っている校長先生も、今ここに居るということは遅刻仲間ということだ。
「校長先生も遅刻ですね」
「儂はきちんと連絡したも~ん」
「あ、連絡…」
「儂から伝えておくよ」
「校長先生!」
「ワワワン!」
三郎太に真似をされた気がする。三郎太の背中にチャックが付いてて、実は中から小さい人間が出てくるんじゃないか?それくらいに人間っぽい犬なのだ。
「よし!連絡は付けといたから、ゆっくり行こうか」
「ありがとうございます」
「お礼が言える若者は気持ちがいいねぇ。初めて君と話したときも、同じことを思ったよ」
校長先生と初めて会ったのは、面談のときだ。編入試験を終えて、校長先生と1対1で話をした。
「「僕は、学生になりたいんです」と初めて会ったときに言った君と、遅刻することになんの躊躇いもない君。カカッ、いいねぇ、人間らしくて非常に良い」
校長先生と三郎太と俺の3人で、通勤通学時間が過ぎて人通りがまばらになった道を歩く。
「校長先生のその言い方だと、初めて会ったときの俺は人間らしくない、って言ってるように聞こえますよ?」
「気を悪くしたかね?」
「いいえ、事実ですから。あの、聞いてもいいですか?俺を学校に編入する許可を出した理由」
俺だったらわざわざ問題のある生徒を入れようなんて思わない。
「面白そうだからじゃな」
「…へ?」
「人が成長する姿は本当に面白い」
予想の斜め上をいく校長の返事に面食らった。が、この人が校長で良かったと心からそう思う。桜宮高校に入れたから、たくさんの繋がりができた。
「じゃが、御子柴君、君は少し危ないのぉ」
「危ないとは?」
「高校生活最後の球技大会の日でも遅刻することに躊躇わないとはね。いや、その理由を作った儂が言うのも筋違いじゃがの」
「……切り替えが早いのは俺の長所ですから」
「そうじゃのぉ。それは君の長所じゃが、それは裏を返せば、物事に執着しないとも取れてしまう」
「…」
「いつでも手放せるように、心を寄せないようにしているかのように…。そう、このお節介な年寄りには見えてしまうのじゃ」
気のせいですよ、と笑い飛ばしてしまえればよかったのに。校長先生の言葉が、深く心に刺さった。
~執筆中BGM紹介~
ゲド戦記より「テルーの唄」歌手:手嶌葵様 作詞:宮崎吾朗様 作曲:谷山浩子様




