忘れるほどに
田中に脇腹こしょこしょの刑を執行し終え、謎の満足感に浸っている俺に、もとやんが両手を差し出してきた。
これはもしや、お利口なワンコが覚える代表的な芸の一つであるアレをやれということか…?田中に同じことをされたら絶対にやらないという確信があるが、相手はもとやんだし。考える前に手が動いてしまった。
「…、……師匠。これは一体」
「え?お手をしろってことじゃなかったのか?」
「服を預かりたかっただけなんだが…。すまない、言葉が足りなかったようだ」
ほーんと、そういう言葉が足りないとこ、勘弁してよね!周りの人たちの俺に刺さる視線がとっても痛いんだから!ついでに言うとくっそ恥ずかしいんだかんね…!そこんとこよろしく、もとやん!
「うあぁあああああぁあああ!!!」
思わず顔を両手で覆い、指の隙間から奇声が漏れ出た。この有り余る恥ずかしさを、ぶりっぶりの女子のような口調で誤魔化そうとしたが、無理だ!なんで俺はお手なんてしたんだよ!恥ずかしっ!
「まぁまぁ、ぶふっ。そう恥ずかしがんなって。しばちゃん」
「アヒャヒャッ!友達2号、面白すぎっ!」
田中の話しながら笑う様子はいつものことだが、姫は笑い方をどうにかした方がいいんじゃないか?良いとこのお嬢様がアヒャヒャて。よりにもよってアヒャヒャて。
「御子柴、お前自然にお手をしてたぞ。もしかして前世で忠犬だったんじゃ…」
「しばさん、猫属性だと思っておりましたが、犬属性だったのでありますな」
変な心配をしてくれる玉谷に、謎の訂正をしている深凪ちゃん。バラエティー豊かな人たちですこと!
本当に、1人になる時間なんてなくて。静寂も、孤独も、焦燥も。そんなものが入り込む余地もないほどに。
「な~にニヤニヤしてんだよ?」
さっきまで騒いでいた田中が俺の隣に来た。
ニヤニヤしている自覚はなかったが、口元を触って見ると確かに口角が上がっている。今の気持ちを正直に伝えるのは、気恥ずかしくて。
「騒がしいなと思っただけだよ」
「騒がしいの、嫌いじゃないだろ?」
「あぁ…。そうだな」
その後、姫がどこからか用意してくれた衣装の中から、全員の多数決により決まった紺色のスーツを身に纏い、車高の低い、いかにも高そうな白い車に乗っていた。
車窓から見える空はすっかりオレンジ色で、いつの間にかこんなに時間が経っていたことに気付いた。
今日の本来の目的であった母さんのお見舞いには行けなかったけど。友人たちと過ごす休日は時間を忘れるほどに楽しいものだった。
「しばちゃん」
U字の座席の反対側に座る田中の表情がどこか憂い気味に見えたのは、夕日が差し込んでいる影響だろうか。
「あんま思いつめんなよ」
そういえば、高校に入って最初に話しかけてきてくれたのも田中だった。田中にはずっと助けてもらってばっかりで。俺からはなんにも返せないことを歯がゆく思っていたときもあったけど。
「ありがと。なんか、どうにかなる気がしてきたよ」
「そーそー。なんでもポジティブに考えてこーぜ」
こんな風に軽口を叩くように、互いに困っていたら自然と助け合える、それが友達なんだとわかったから。
ま、こんなこと言ったら絶対揶揄われるから口が裂けても言わないけど。
「おーい。二人の世界に入んないでくれる?」
「「入ってない」」
なんだその気持ち悪い世界は。アダムとイヴもげんなりだよ。
車内には俺と姫と田中と深凪ちゃんの4人と、運転手さんの5人がいる。姫が変なことを言うから気分が台無しだよ。
いつの間にか停車していた車からトボトボと降りると、右と左から背中をビシッと叩かれた。
「シャキッとしてくだされ!」
「背筋伸ばしなさい!」
「はい!」
年下女子ズからの激励に背筋を伸ばし、夕暮れの街の空気を吸い込む。
「しばちゃん、はいコレ」
「…花束?」
赤色の花の花束を田中から渡され…あ、バラじゃないから!バラじゃないのは確かだから!なんの花かはわからんけども!
「コレ渡してこい!」
渡して……誰に?
「「「じゃ~ね~」」」
―――バタン、ブゥ~ン
「えぇー?」
みんな帰っちゃったんですけど。
「あのスーツの人カッコい~!」
「花束持って、絵になるわ~」
「あら、家族思いのイケメンさんなのね~」
マダム達の大きな囁き声が聞こえてきたので、どうしようかと悩み、目の前のお店に目が留まった。
「あれ、この店どっかで…」
看板には『Bar Moira』の文字が。たしかモイラはギリシャ神話の運命の女神の名前……あれ、なんでこんなこと知ってるんだろ。
――俺はここに、来たことがある。
まっすぐに誘われるように重厚な扉を開けた。
~執筆中BGM紹介~
一週間フレンズ。より「虹のかけら」歌手:昆夏美様 作詞・作曲:川嶋あい様




