大きな損失
今日、8月14日は8(は)1(だ)4(し)、裸足の記念日だそうで。8(は)と4(し)はともかく、1(だ)とは。
「初めまして。リングレコードの水野と申します」
スッと人数分差し出された名刺をおずおずと受け取る。こういうときの社会人の作法がわからないため、どういうリアクションをしていいのかわからない。
「そう固くならないでください」
にこっと笑うのは、俺たちに至れり尽くせりなオファーを出した張本人である、業界大手のリングレコードの水野さん(男)だ。
「ではこちらも自己紹介を。私はこのヒストグラマーのリーダーである一条陽菜乃と申します。ボーカル担当です」
まずは陽菜乃先輩が先陣を切って自己紹介に入ってくれた。良かった。これで自己紹介のときに何を言えばいいのかハッキリした。新しい先生が担当になったときとか自己紹介してくれって言われるけどさ、全部言うこと決めてくれる先生と「なんか一言コメントお願いします」みたいなかなりセンスを試されることを言う先生に分かれるよな。アレ苦手。
「タブレットから失礼します。ヒストグラマーのベース担当、西原天馬です」
引っ越し先に向かっているため、車中からの中継でお届け中の天馬先輩である。
「初めまして。ヒストグラマー、ギター担当の高比良すみれです」
流れ的に次は、ザキさんか?と思ってザキさんを見ると、お先にどうぞとジェスチャーされたので、4番目に自己紹介に入る。
「ヒストグラマーでキーボードを担当している御子柴智夏と申します。よろしくお願いします」
いまさらだが、こんなに一気に自己紹介をして大丈夫だったろうか。ちらりと水野さんの様子を窺うと、大人の余裕を見せるような笑みを返された。
……THE・大人の男だ!
俺が水野さんに憧憬の念を抱いた横で、虎子が自己紹介をする。
「はじめまして~。ヒストグラマーの、ドラム担当の為澤虎子で~す」
虎子は誰が相手でも一貫してゆる~いな。
そして満を持して登場するのが我らがザキさんである。
「水野さん初めまして。僕は……そうですね。ヒストグラマーのマネージャー的なことをしております。山崎信と申します」
水野さんみたいな大人の男に負けないくらい、できる男オーラがすごいザキさん。さすが俺たちのザキさんだぜぃ!
「一条さん、西原君、高比良さん、御子柴君、為澤さん、そして山崎さんですね。自己紹介ありがとうございます。早速質問なんですが、みなさんは同い年で…?」
「いいえ。春から私と西原、高比良、山崎が大学生や専門学生、御子柴が高校3年生、為澤が高校2年生です」
……いま、陽菜乃先輩から苗字で呼ばれた。これって、初めて会ったとき以来の2回目なのでは?いっつも「後輩君」って呼ばれてたから、なんか新鮮だな。
「3学年に分かれていらっしゃるんですね。なるほど」
最初のオファーの文言通りなら、少なくとも一番下の虎子が高校を卒業するまではデビューしなくても良い、ということになってしまう。さすがに2年もデビューを待ってはくれないだろう…。
水野さんから難色を示されるだろう、と思っていたのだが、予想とは全く違う反応が返ってきた。
「それは育て甲斐があるってもんですね」
この人は本気で俺たちをデビューさせようとしてる。この返事ではっきりとわかった。でも、だからこそ疑問に思うことがある。
「何故こんなに良くしてくださるんですか?あまりにも、その…」
「胡散臭い?」
俺があえて言わなかった言葉を、水野さんが代わりに言った。
「まぁ、その、はい…。学校と両立できるようにデビューの時期を急がないでくれて、デビューしても副業・兼業してもいい、なんて」
自分で言ってて嘘なんじゃないかと思うくらいの好待遇だ。
「最初に君たちヒストグラマーの演奏を聞いたとき、雷を受けたくらいの衝撃が体中を走ったんだ。このバンドを世に出さないのは音楽界の大きな損失だと思った。そしてそう思ったのは俺だけじゃないよ。動画を見たリングレコードの社長も同じ意見だった」
そ、そんなに大きな期待を俺たちに!?音楽界の大きな損失ってなに!?しかも社長さん公認で俺たちを狙いに来てらっしゃる…!
「オファーを出したときに、為澤さんからの最初の返事に「デビューする気はない」って書いてあった。けれど、今こうして集まってくれてること、俺を呼んで話を聞いてくれたことを鑑みるに、まだ希望はあるってことでいいのかな?」
キラン、と目を光らせて俺たちを見据える水野さんの目は、俺たちの遥か未来を見据えているようだった。
「虎子はね~デビューしたいって思ってる~」
最初からデビューしたいと言っていた虎子に続いて、すみれ先輩も賛同する。
「私は、高校を卒業したら本格的にギターを弾くのはもうやめようって思ってた。けど、こうして私たちの新たな道があるってわかって、試してみたくなったの。自分の実力がどこまで通用するのか。だから、私もデビューに賛成だよ」
「俺も、賛成だ」
陽菜乃先輩にバンドに誘われる前、すみれ先輩と天馬先輩は路上ライブをしていたらしい。ヒストグラマーとして活動していたときも、すみれ先輩のギター愛はひしひしと伝わってきていただけに、ギターを本格的に弾くのはやめようとしていたと聞いて驚いた。でも、そうか。卒業するって、環境が変わるって、そういうことなのかもしれない。将来を見据えて、自分の中の大切なものの重要度がどんどん変わっていくような、そんな感覚。
俺の大切なもの。家族、友人、ピアノ、仕事、学校。その中にバンド活動も入ってくるとして。果たして全部を大事にできるだろうか。取りこぼしてしまわないだろうか。大切なものが増えれば増えるほどに、大切にするのが難しくなっていく。
でも、それを諦める理由にはしたくない!
「俺は、デビューしたいです!ヒストグラマーのみんなで!」
俺、虎子、すみれ先輩、天馬先輩がデビューに賛成していき、残るは陽菜乃先輩とザキさんだけになった。学校祭の後にヒストグラマーはデビューしない、と決めたときの順番とは逆になった。
「デビューは、できない。できないよ…」
「陽菜乃先輩…」
いつでも傍若無人で、思うがままに自由に生きているように見える陽菜乃先輩。でも本当は、誰よりも現実に雁字搦めにされているのかもしれない。
~執筆中BGM紹介~
ブラッククローバーより「ハルカミライ」歌手:感覚ピエロ様 作詞:秋月琢登様 作曲:秋月琢登様/横山直弘様




