田中家の長男
以前住んでいた高級住宅街から弟と二人引越し、やってきたのは見渡す限り自然が広がる場所にポツンと建つ古びた一軒家。そこで現在、叔母の香苗ちゃんと3人で暮らしている。
「香苗さん!いい加減起きろ〜!!」
ドンドンドン、と扉を激しく叩きながら秋人が怒鳴る。
「香苗ちゃん今日も起きないね」
「今日は兄貴と僕の初めての登校日だから、車で送るって言ってくれたのに、全然起きねぇの」
「昨日も遅くに帰ってきたみたいだから起こすのは忍びないけど、仕方ないね。秋人、耳貸して」
この家で暮らし始めて1ヶ月が経った。俺は小学4年以来の初めての学校に。秋人は元々通っていた私立小学校から近所の公立小学校に通うことになった。秋人はともかく、俺は高校に行く気はなかったのだが、
「高校生活は人生の宝だよ!行かなきゃ損だよ!お金なんて心配しなくていいから、青春してきな!!」
と、香苗ちゃんから言われたので近所の公立高校に、これまで学校に通えなかったことなど事情を説明し、試験を経て今日から通うことになった。制服を初めて着るので変な気分である。
「そんな言葉でほんとに起きる?」
「試してみなよ」
この1ヶ月でおよそ香苗ちゃんの性格はわかった。
「香苗さん!早く起きないとご飯抜き!!」
「ひぇっ、起きます、起きますからご飯ください!」
バーン、と勢いよく扉が開き、ぼさぼさ髪の香苗ちゃんが飛び出してきた。
やっぱり香苗ちゃんには兵糧攻めだ。
「兄貴すげぇ。ほんとに起きたよ」
「香苗ちゃん、おはようございます」
「香苗さん、おはよ」
「二人ともおはよ〜。あ、今日から学校だっけ?夏くん制服似合ってるよ。こりゃモテモテだね」
「モテモテかはわかりませんけど、制服には慣れませんね」
「卒業する頃には名残惜しくなるくらい慣れてるよきっと」
「そうだといいんですけどね」
「二人とも、話すのはいいけど朝ご飯冷めるぞ」
「はっ。いけない、早くリビングに行こう!秋くんが作ってくれたおいしいご飯が冷めちゃう!」
3人でリビングに向かう。以前の生活では考えられなかった光景。穏やかな時間がゆるっと続くこの空間が、とても心地良い。
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朝、続々と生徒が登校し教室が活気付いてきた。普段なら、SNSやテレビの話題で盛り上がっているが、今日は違う。
「なぁ転校生が来るってよ!!」
「え、まじで!しかも5月に転校って訳ありか?」
「可愛い女の子だといいな~」
「おい、鈴木っ女子が睨んでるぞ!口を慎め!!」
「ひょぇっ」
キーンコーンカーンコーン
「お前ら席に着けー」
「ねぇヨシムー。転校生来るって本当!?」
「どこのクラス?」
「女の子?」
矢継ぎ早に質問が飛んでくる。質問が集中しているのはヨシムーこと吉村旭(28)。いつもヨレヨレのジャージを着ていることでお馴染みだ。
「先生は聖徳さんじゃないのでいっぺんに聞き取れませーん。質問は後からで。今はもっと重要なことがあるから。入ってきてー」
ガラガラと戸を開ける音がやけに静かな教室によく響く。教室に入ってきたのは、背の高い男子。前髪が長くて目が隠れており、さらに眼鏡をかけているので人相はよくわからない。なんというか、ザ・冴えない男子みたいな奴だ。黒板にはヨシムーが書いたであろう名前が。
「御子柴智夏です」
……え、それだけ?
「それだけ?他になんかないの?好きなこととか、趣味とか」
ヨシムーもどうやら同意見だったらしく、その場にいた全員の気持ちを代弁してくれる。
「好きなこと、趣味……。ない、です?」
なぜに疑問形。そして女子の期待に満ち溢れた目が、失望に変わっていくのが空気でわかる。イケメンを期待してたのに、なんで陰キャなんだよ、みたいな。
「……まぁ人それぞれだよな。席は、あの猫みたいに目つきが悪い田中の隣なー」
「ちょっヨシムー酷くね!?」
「そんじゃ、HR終了なー」
すっと音もなく隣に座った、しば、しば、しばいぬ?に声をかける。
「次体育だから体育館移動するぞ。あ、体操服持ってきた?」
「そっか一時間目体育なんだね。体操服は持ってるよ」
「そんじゃあ行こうぜ」
「俺も一緒に行っていいの?」
「たりめーだろ。ほら、ぼさっとしてると授業遅れちまうぞ」
「田中、ありがとう」
「いいってことよ、えーと、しばちゃん」
「しばちゃん?」
田中家の長男である俺には、5人の弟、妹がいる。なんか、こう、しばちゃんを見てると長男の心が刺激されるというか。まぁ隣の席になったのも何かの縁だし。人付き合いが苦手そうなしばちゃんの高校での友達第一号目指しますか。
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「いいか、よく聞けよ。この体育館の対角線上には女子の更衣室がある。そこに近づいたら死ぬからな。注意しろよ」
「わかった」
女子の更衣室なんて用が無いから近づくはずないのに、田中は何を言っているのだろう。謎だ。
体操服を着るために制服を脱いでいる途中で、はたと気づく。以前病院で脱いだときに、気まずい雰囲気になった。もしかして、この男子更衣室でも人前では脱がない方がいいのでは…?
「しばちゃん早くしないと遅れるぞ」
男子のほとんどが着替えが終わり、体育館に集合している。
「田中は先に行ってて」
「なんで?別に待ってるくらいいいぞ」
なんて返そう。うまい返しが見つからない。
「あ、もしかして細いの気にしてんのか?だーいじょうぶだって、いずれ筋肉ついてくるから」
「いや、そういうんじゃない、けど」
まぁいっか。いつの間にか更衣室内には田中と二人だけだし。夏にプール授業があると言っていたので、少し早めにバレるだけだ。目の色を変えるためにかけていた眼鏡を外す。カッターシャツのボタンを外して上半身裸になる。
「あ、おま、それ」
この一か月間、暴力にさらされなかったおかげで、新しい傷はできていないが、古い傷跡が、体中にまだびっしりと残っている。それを見た田中が呆然としている。
「えっと、痛くはないよ」
「……そっか。俺は、しばちゃんのことまだよく知らないけど、すっげー強くて、すっげー頑張ってきたのは、わかった」
この感覚、覚えがある。秋人や香苗ちゃんと話しているときにも、感じるこの感覚。
「多分、嬉しい。今の田中の言葉。だから、ありがとう」
「多分ってなんだそれ。あと、お前すっげぇイケメンだな。青い目とかカッコいいぞ」
「そっか。嫌われるかと思って伊達メガネしてきたけど、外そうかな」
「外したら女子にモテモテのモテ男になるだろうな」
「じゃあやめる」
けらけらと田中は笑っていた。そういえば、田中の下の名前、なんだろう?
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「香苗さんが今日は休みということで、大掃除を決行したいと思う!!」
この家に来て2ヶ月。学校が休みの日曜日に偶然香苗ちゃんの休みが重なったため、ついに秋人が宣言した。
「はい!秋くん!」
シュバっと右手をあげる香苗ちゃん。
「どうぞ」
「私は料理の次に掃除ができません!」
「それはこの家を見ればわかる。僕たちが普段使う部屋は掃除してるけど、今日は他の部屋も掃除する!これは決定事項だ!」
弟は一体どこの軍人だろうか。
「ひ〜っ了解であります!軍曹!」
叔母は一体どこの軍の下っ端だろうか。
「じゃあ兄貴はこの部屋よろしく!」
「りょーかい」
部屋に入ると、暗かったので電気のスイッチを押す。押しても電気の反応なし。カーテンを開くか。埃が酷いからまずは窓を開けて光と空気を部屋に入れる。
部屋の全貌が明らかになる。おそらく前に住んでいたという住人が置いていったもの。黒く滑らかな形をしたそれを久しぶりに見た。
「ピアノ……」
兄が亡くなる前は、母の影響でピアノをやっていた。ピアノの上にも埃が大量に積もっている。よし、掃除しよう。元からそのつもりだけど。
このピアノとの出会いが自分の運命を大きく変えることになるとは、このときはまだ知らなかった。
毎回タイトルは作中の台詞から取ってるのですが、選考基準は作者の気分です。決してサブタイトル考えるのがめんどくさいからとか、そんな理由では、ない、、、、です。