背を向ける
「まさか、『春彦』の正体が高校生のアルバイトだったなんて驚いたよー。いや本当に」
北川さん(32)に肩をばしばし叩かれながら苦笑いを浮かべる。敬語は使わなくていい、と伝えたところ即順応してきた。年下に敬語は使いづらいのだろう。
「こうして見ると普通の男子高校生なんだな。あのときは性別を超越した存在に見えたのに」
瀬川さんがちょっとよくわからないことを言っている。なんだ、性別を超越した存在って。そもそもアンタほぼほぼ犬さんしか見てなかったじゃないか。
「わかってるとは思うけど、智夏君の正体はオフレコで頼むよ。3人とも。あ、オフレコって死語だったかな?おじさんわからないや」
瀬川さん(21)、沖田さん(28)、犬さん(55)とこのチームの中では最年長である。ちなみに犬さんと北川さんは既婚者だ。
「どうして正体隠してるんだ?」
沖田さんはかなりの高身長であり、目測で190センチくらいはある。それに加えてガッチリとした体型で、見た目はスポーツマンだ。しかし、この人かなりのヲタクである。(褒め言葉)
「目立ちたくないっていうのが一番の理由ですかね。平穏な学生生活を過ごしたいので」
「俺が高校生のときは目立ちたくて仕方なかったけどなー。いや本当に」
草食系か?と北川さんが聞いてくるが、俺は動物ではない。いや本当に。・・・口癖うつった。
和やかに話を進めていると、部屋が揺れる勢いで扉が派手に開く。そちらに視線をやると、人気急上昇声優のカンナがいた。犬さんが呆れた声をあげる。
「カンナちゃん、それでホントに学校でクールキャラできてるのか心配だよ」
「不思議なことにクールキャラで通ってますよ」
「そこ!聞こえてるからね!」
こんな元気娘が学校ではクールなのだ。なぜボロが出ないのか不思議でならない。
「カンナ、俺たち以外にもいるからね」
以前ならばいつ突撃されても俺と犬さんの2人だけだったからよかったが、今日からは5人だ。以前と同じように、とはいかないだろう。
「大丈夫よ、多分」
「クールキャラで通してるカンナさんが実は元気いっぱいキャラだったとしても言いふらしたりなんてしませんよ」
瀬川さんの言葉に他の2人もうんうんと頷いている。
「ところで智夏、イベントの最新情報見た?」
「イベントって、『ツキクラ』の声優イベント?」
7月上旬に『月を喰らう』の2クール放送を祝して声優イベントを行うのだ。直接の関係はないので、あまり情報をチェックしていなかった。という旨を伝えたら怒られながらスマホの画面を見せられた。そこには追加キャストの欄にカンナの名前が。
「イベント出るんだ。おめでとう」
「敵の女将軍である私が出ないわけないじゃない!ふふん」
鼻が伸びてる伸びてる。嬉しくて仕方がないといった様子だ。
「今まで頑張ってきたのが認められたのは本当に凄いことだよ。カンナが認められて、俺もすごい嬉しい」
「そ、そんなに褒めたって何も出ないわよ」
「事実を言っただけだよ」
「んん~っそういうこと言っちゃうから私は・・・」
「え?なに?」
「っなんでもない!」
焦ったような返事はどこかぎこちないものだった。
「これでまた智夏に一歩追いついたわ!待ってなさい、すぐに追い抜いてみせるから!」
「カンナの方が断然前を走ってると思うけど、でも俺も負けない」
うん、と満足げに頷いて、足早に去っていったのだった。
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数日後。五十嵐監督から電話があった。もはやこの支給品のスマホの着信履歴は五十嵐監督の名前だけで埋め尽くされていると言っても過言ではない。いつも通り大声が来ると予想して耳から少しスマホを離して待機する。だが、いくら待っても大声は来ない。
「あの、五十嵐監督?どうされましたか?」
「みこちん……あの、えーっと…、を、、ないかなーって」
今までにないほど小さくしおれた五十嵐監督の声に戦慄する。監督の声を、聞き取れなかった、だと…!?明日は雪か!?
「す、すみません、よく聞き取れなかったのですが…」
「12話の構成を大幅に変更しまして、主人公の重大な過去のシーンを入れることになりました」
「それは大変ですね」
なぜその話を俺に?新しいシーンを入れるなら音響監督の犬さんに先に話が行くべきである。
「それに伴いまして……曲を一曲、作ってくれないかなーって」
「……うん?」
「はひょっ!ごめんなさい、急な話で無理を言っていることはわかってる!」
「ふーーーーーっ」
落ち着け俺。年上に向かってドスの利いた「うん?」はダメだ。冷静に情報を整理しろ。
「確か、12話のシーンでしたよね」
「はい」
「今日は、11話の放送日ですね」
「……はい」
「残り一週間も、ないですね?」
「はひっすみません!」
冷静になればなるほど無理だと思ってしまう。
「そのシーンの詳細を今すぐに送ってください」
「やってくれるの?」
「やるかやらないかではなく、やらなければ!アニメを楽しみにしてくれる視聴者の為にも!」
「ありがとうございます!みこちん!」
「礼はいいので、その似合わない敬語やめてください」
「ひどっ!でも、本当にありがとね」
スマホを置き、固唾をのんで見守っていた4人に向き直る。
「一週間後までに一曲作ります。力を貸してください」
「『春彦』のお仕事に協力できるなんて光栄だな、いや本当に」
「一週間か、燃えるな」
「お、早速資料届いたよ」
「それじゃあ気合入れて頑張りましょう!!」
「「「おー!」」」
学校に通いながらの作曲活動のため、時間はかなり限られている。それでもやるしかない。それに、この5人でなら作れるだろう。
「結局は『春彦』に頑張ってもらわないとなんだけどね」
そうなんだよねー。
主人公の過去回想シーン。家族を失う前の、何気ない日常。些細なことで笑いあっていた、穏やかで暖かな当たり前だった風景。そんな風景に添える音は一体なんだろう。
それはどこか自分にも当てはまる情景だ。今となっては思い出すのは難しい、家族が全員揃って幸せだったころの記憶。まるで微睡のような、触れれば消える泡沫のような。
『♪~』
二度と手にできないと知りながら、それでもと歯を食いしばって手を伸ばす。けれどその手は穢れていて、綺麗な思い出に触れるにはあまりにも汚くて。後ろ髪を引かれながらも、その記憶に背を向ける。泡沫の夢に、別れを告げる。
家でその曲が完成したとき、いつの間にか傍にいた香苗ちゃんが何も言わずに抱きしめてくれた。俺はただ、その腕の中に抱かれていた。
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「みこちん!君は神だよ!神クオリティだよ!何この曲すごいすごい!!」
「時間なかったのでピアノだけですけど」
「そこがいいんだよ!」
五十嵐監督に曲を送ると、例のごとく電話が掛かってきた。締め切りまで残り二日を切っていた。
「なんとかできましたね」
「ありがとねー。おばさん感激して涙が出ちゃうよ」
「冗談やめてくださいよ。それじゃあ頑張ってくださいね」
「うん!放送楽しみにしててね!」
迎えた第12話の放送日、SNSでは『春彦』の名がトレンド入りしたのだった。
昨日投稿しようと思っていたのです。それが気づいたら今日になってました。不思議なこともあるもんです。・・・すみませんでしたぁぁああ!!