天の川
お正月、それはコタツでぬくぬくとテレビでも見ながらまったりとくつろぐ日。
「両手を上に!はいバンザーイ!きつく紐で締めるからね!」
「うっ」
…ぬくぬくと
「あら~足長いわね~!ほら、さっさと袴をはいて!」
「はいっ!」
…まったりと
「本番まで残り15分でーす!」
「帯締めちゃうからね!代役かなんか知らないけど、頑張ってきな!」
「ありがとうございます!」
…くつろぐ日?どこが?目が回るかと思うほど時間に追われているんだが。師が走るほど忙しいとされる12月の師走より忙しい。
俺が正月からこんなにも忙しく動いているのには理由がある。それは、Luna×Runaの2人と共に観覧しに来ていた『新春!アニソン歌合戦!!』という生放送のテレビ番組で、とあるアクシデントが起きたためである。俺が初めてアニメ制作に携わった作品『月を喰らう』通称『ツキクラ』で彩歌さんと出会った曲でもある挿入歌、レクイエムを今日披露する予定だったのだが、ピアノを弾く予定だった人物が正月の渋滞によって来れなくなってしまったのだ。代役も見つからないまま、焦りが募っていたときに、別ルートで会場に来ていた香苗ちゃんがそのことを聞きつけ、レクイエムを作った俺が急遽代役として呼ばれたわけである。
いま着ている正月に着る黒の袴も、元はピアノを弾く予定だった人が着るはずだったものだ。
「袖が邪魔だな、コレ」
袴を着たのはこれが初めてなのだが、どうにも動きづらい。それに、こんな服装で楽器を弾こうとするとか正気の沙汰とは思えない。長い袖をどうにかできないかと思い悩んでいると、控え室にノックが響いた。
「智夏クン。いま、いいっスか?」
「彩歌さん?どうぞどう…ぞ…っ!」
後ろでピアノを弾くだけの自分が袴を着るのだ。主役ともいえるの歌手の彩歌さんがラフな格好なわけがないのはわかっていた。でも、これは……
「振袖、どうっスか?」
「……反則ですよ、それは」
「ふぇ?」
全体的に黒を基調とした振袖だが、暗さは微塵も感じられない。それは夜空を彩る天の川のように、大輪の花が優美に流れているからである。そんな振袖を着こなせているのはさすがとしか言いようがない。
「綺麗ですよ、すっごく」
月並みな言葉しか出てこないくらいに、彼女の振袖姿はとても美しかった。
「ふへへ。もっと褒めてくれてもいいっスよ?」
彼女を急遽あてがわれた控え室に招き入れて、近くにあった椅子を引き寄せて座らせる。背もたれがない椅子なので背中で帯を結んでいても楽に座れるだろう。
「その花の柄、夜空に流れる天の川みたいで本当に綺麗です。帯にもセンス良く花の柄が散りばめられていますし、なんだか花の妖精のような。いや、でも夜に燦然と輝くような姿は月夜の女王ともいえる…」
「ストーップ!そこまでっス!聞いた私がばかだった…」
顔に集まった熱を発散しようと手でパタパタと仰いでいる姿に悪戯心がくすぐられる。
「これくらいでいいんですか?もっと褒めさせてくださいよ。半分くらいは振袖についての感想でしたし…」
「年上を揶揄うんじゃありません!」
「は~……い」
「智夏クン?どうしたっス……か」
本番前だというのに緊張感の欠片もない会話をしていた途中で、扉の隙間からこっそりと中を覗いていた3人に気付いて、言葉が中途半端に伸びてしまったのだ。
「あちゃ、気づかれちゃったわ~」
「もうちょっとで良いところだったかもしれないのにな」
「彩ちゃ~ん」
「冬瑚ちゃん!」
覗き魔3人衆の正体は香苗ちゃん、秋人、冬瑚である。香苗ちゃんと秋人が嬉々として覗きを楽しんでいたことは今の会話でわかった。マイエンジェル冬瑚は彩歌さんに抱き着きたくてうずうずしていた様子。まじエンジェル。
「彩ちゃん着物かわいいね~!」
「冬瑚ちゃん、ありがとっス!これは振袖っていうんスよ」
「振袖ってなに?」
「結婚していない女性が着る袖の長い着物のことよ」
「へぇ~じゃあ結婚したら袖が短くなるの?」
「どうだろうね?」
そこで俺に視線を集めるのやめてくれませんかね。見てくださいよ彩歌さんを。かわいそうなくらい赤くなってるじゃないですか。
「3人はなんでここに?」
「あ~話を逸らしたな?まぁいっか。冬ちゃん、あれ出してあげて」
「あいあいさ~」
「そんな返事どこで覚えたんだ?」
秋人お母さんが敏感に察知しているが、気にせず持ってきていた可愛い小さなリュックをごそごそと漁る冬瑚。その手がリュックから取り出したものは、かなり見覚えのあるものだった。
「どうして冬瑚が狐面を……?」
外で仕事をするときに使っていた鼻から上半分だけの狐面。今回はそれがないからどうしようかと思っていたのだが、なんと冬瑚が家から持ってきていたらしい。なんというミラクル。
「ハルがね、またお面で遊んでたから壊れちゃいけないと思って持ってきてたの」
愛猫の白猫ハルが狐面のことを気に入っているようで、隙あらば引き出しから取り出して引きずって遊ぶのだ。それを家を出る直前に見つけた冬瑚はわざわざ持ってきてくれたらしい。
「ありがとう、冬瑚。おかげで助かったよ」
「うん!夏兄、彩ちゃん、頑張ってね!」
冬瑚の応援をもらってやる気充分になったところで、係の人が本番5分前だと呼びに来たので舞台袖に彩歌さんと移動した。
「私たちはメインステージっスよ」
「客席から見るよりも大きく感じますね」
スタジオにはメインステージとサブステージの2種類のステージがあって、片方のステージで曲を披露している間に、もう片方のステージで次の曲の準備をする、といった具合だ。今は俺たちの一つ前のアーティストがアニソンを披露している。昔懐かしのパワフルアニソンだ。
「それではスタンバイお願いします」
「「はい」」
真っ暗なステージ真ん中の彩歌さんの立ち位置の斜め後ろに鎮座しているピアノの前に移動し、音を立てないように椅子に座る。袖が邪魔だが、激しい曲ではないので問題ないだろう。
前の曲が終わり、観客の目がメインステージに移るのを肌で感じた。
指はよく動くし、緊張もしていない。見られるのはほぼ彩歌さんだし。俺は一番の特等席から彼女の歌声を楽しむことができる。新年早々幸せだ。穏やかな気持ちの中、2秒息を吸って、3秒吐く。ルーティンをこなすと、メインステージ上の照明が光を放った。
彩歌さんと呼吸を合わせて音を奏でていく。
ピアノの音色に彩歌さんの鮮やかな歌声が重なってレクイエムが紡がれていく。観客が息も忘れるほどに引き込まれているのがわかる。
本番直前に言っていた彩歌さんの言葉が脳裏によみがえる。
『天の川って”魂の通り道”とも言われているらしいっスよ。だから、さっき智夏クンが天の川みたいって言ってくれて、この振袖にも意味ができた。最初はレクイエムに振袖とか合わないじゃんって思ってたっスけど、魂の通り道なら鎮魂歌に合ってるよね』
違和感なんて微塵も感じさせないほどに、彼女はステージで輝いていた。それはまるで暗闇に覆われた夜を優しく照らす月のように。
~執筆中BGM紹介~
らんま1/2より「プレゼント」歌手:東京少年様 作詞:笹野みちる様 作曲:手代木克彦様
読者様からのおススメ曲でした!




