カオス極まれり
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美術教師の神田沙由美が言った『春』とは兄の画家としての雅号だった。そして、兄が亡くなって、俺が絵を描いていた時に使っていた雅号が『夏』である。智夏だから『夏』といういたって単純な理由。
「なぜ、俺が『夏』だと気づいたんですか?」
絵画好き界隈では『春』も『夏』も名こそ知られているが、表舞台に姿を現したことは無く、年齢性別不詳の絵描きとして通っていた。その正体を知っているのは身内くらいのもの、そう思っていた。
神田が真っ赤な紅が塗られた口を開く。
「あなたを一目見た瞬間から、と言いたいところだけど。あなたのスケッチを見たときよ」
「あの鉛筆で描いたやつでよくわかりましたね」
「ふふっ当たり前じゃない。だって、」
まるで蛇のような目だと、漠然と思った。狙った獲物を締め上げていくような。丸呑みにして食べてしまうような。
「『夏』が私の唯一の理解者であるように、私だけがこの世界で唯一の『夏』の理解者だもの!」
「さっきから意味わかんない。二人とも何を話してるの?」
黙々と聞いていた香織が怪しい雲行きになってきた会話を止める。
「あらぁ?あなた達お友達なのでしょう?知らないの?」
勝ち誇る神田にイラっとする香織たち。神田のペースに乗せられないために、俺から説明を入れる。
「『夏』は俺の雅号だよ」
「「がごう?」」
「そういうことか」
田中は1人で何かに納得していたが、女子2人はわからないようで首を傾げているので説明を続けることにする。
「この学校に来る前はずっと、絵を描いてたんだ」
あの大きな家の、小さな小屋で。兄が亡くなって、母が家を出てからずっと、ずっと。父に強要され、生活費のため、秋人のためと自分に言い聞かせながら。
「俺が画家として使っていた名前が『夏』なんだ。『春』は兄の雅号」
「ほへぇー、絵が上手だとは思ってたけど、本当に画家さんだったんだぁ」
「説明はそれくらいでいいだろ。なぁ先生よぉ、なんでしばちゃ、御子柴を狙ったんだ?」
感心していた香織を横目に田中が核心に切り込む。
「もう一度、感じたいの」
「感じたい?」
瞳孔を開き、唾を飛ばしながら叫ぶように語りだす。頬は紅潮し、その瞳はどこか遠くを見ている。
「私を絶望から救ってくれたあの絵を!そしてもう一度感じたいの。絶望が希望に変わる、あの至高の瞬間をっ」
「はぁ?」
「だから、御子柴君が死んだら、もう一度感じることができると思って」
うっとりと言う神田からは狂気を感じる。つまり、彼女は兄が描いた絵に心を奪われたが、兄の訃報を聞いてもう絵を見ることができないと絶望した。しかし、弟である俺が再び絵を描き始めてまた希望が見えてきた、と。しかも希望が見えた時の感覚にうっかりハマっちゃった、と。……ヤバい奴じゃん。
「コイツが死んだら、絵なんて描けなくなるじゃねぇか」
何言ってんだ?って顔で田中が言った。しかし、神田と似た言葉を俺は言われたことがある。
『春彦の代わりに、お前が絵を描け!智夏!』
激高した父に言われて、俺はあの場所で絵を描き始めた。つまりこの女が言いたいことはそういうことだ。
「俺の代わりに、秋人に、俺の弟に絵を描かせる気?」
「えぇ、えぇ!とってもいい考えだとは思わない?御子柴君が死んで代わりに秋人君が描く絵は、きっとあなたの絵よりももっと素敵なものになるはずよ!あぁ!興奮するわぁ」
「アンタ、最低な変態ね」
間髪入れずにカンナがツッコミを入れる。いや、漫才ではないけれど。しかし最低な変態、この女にぴったり当てはまる表現だ。
これ以上この女を喋らせるとろくなことにならなさそうなので、そろそろ黙ってもらうことにする。
「鼻の穴開いて期待してるとこ悪いですけど、」
「ぐふっ、しばちゃん意外と毒舌」
「確かに鼻息荒かったけど、今それ言うタイミング?ぷぷっ」
「まるでキリンみたいだったわ。いえ、これだとキリンに失礼ね」
シリアスな空気が台無しである。
「ちょっとみんな静かにね。…えっと、あぁそうだ。秋人は、絵が下手です。大事なことなのでもう一度言いますね。秋人は、壊滅的に絵が下手です。ド下手です」
「おい、しばちゃん。3回も言ってるぞ」
「……信じないわよ。だって3兄弟で1人だけ絵が下手なんてあり得る?」
信じられない、信じたくないとでも言うように頭を抱える神田。しかし、事実は変えられない。
「そもそも、秋人が絵が上手だったら、世の中に出してますよ」
父が俺だけに絵を描かせた理由は、俺が母親に似ていたため、嫌がらせの意味もあったが、秋人に絵のセンスが悲しいくらいに無かったからだ。その代わり秋人には家事の才能があったが。絵のセンスよりよほど実用的で素晴らしい才能である。
「うそよ、うそうそうそうそぉおおおおおおっっっ!!!ねぇ!もう一度わたしに感じさせてよ!あの感覚を!ねぇ!『夏』!!!」
「俺が絵を描くことは、この先二度とありません。だから『夏』はもう、死にました」
「いやっいやぁぁぁぁぁああああ!!」
自分でとどめを刺しておいてなんだが、どう事態を収拾すればいいのかわからない。泣きわめく教師と抜け殻になった生徒、呆然とする生徒×4。カオス極まれり。
「おぅおぅなんかすごいことになってるな」
「あれ、吉村先生どうして?」
「後始末は大人の役目って決まってるからな」
「ちょっ、よしむーがカッコいい大人に見えるんだけど」
目の錯覚か?と言いながら田中が目をこすっている。もともと吉村先生はカッコいいぞ。服装がだらしないだけで。
「御子柴、お前はどうしたい?こいつらのやったことは犯罪だ。警察に突き出すか?」
それは最初から決めていた。彼女たちをどうするか。
「放っといていいんじゃないでしょうか」
「「「えぇ!?」」」
「もう罰は受けてるみたいだし」
抜け殻のようになった彼女たちを見て、これ以上どうこうしたいという気持ちは湧いてこない。そもそも復讐心なんてものはこれっぽっちもなかったが。
「そうか、それじゃあ後は俺に任せな。そろそろ生徒が登校してくる時間だ。お前ら授業中寝るなよー」
「げっもうそんな時間かよ」
二人をずるずる引きずりながら吉村先生はどこかに向かった。その背を見送りながら改めて3人に向き直る。
「ありがとう。おかげでなんかスカッとした」
「俺はまだやり足りないけどなー。でもしばちゃんがいいなら、それでいいや」
「うんうん、私も!」
「ところで田中君?あなた、どうして神田が怪しいとわかったの?いろいろと聞きたいことが山のようにあるのだけれど」
それは俺も疑問に思っていたところだ。
「入学前に暇つぶしがてら教師のパソコンの中覗き見てて、めっちゃ気持ちわりぃ書き込みしてるヤツがいたから調べてみた、とかぜってぇ言えねぇ」
ぼそぼそと頭を抱えながら独り言を言っているがよく聞こえない。
「ま、まぁ、あれだ、あれ。男の勘ってやつだな」
まだ夏ではないのにものすごい汗をかいている。しかも目が泳いでいる。めっちゃクロールしてる。
「ふ~ん。そう。勘ねぇ」
カンナが追及しようとしたので助け舟を出す。
「まぁいいんじゃない?田中の勘が冴えわたったということで」
「智夏がそう言うなら、仕方ないわね。そういうことにしてあげる」
「え、俺のときと対応の差が激しすぎない?なんか目から汗出てきたわ」
翌日、岡村唯は転校し、神田沙由美は退職した。
ざまぁ、でしょうか?
次回からはドリボでお仕事パート、です。多分。