路傍の石ころ
早朝の学校。朝日が街を照らし出す頃。無人のはずの廊下をレジ袋をもって歩く生徒がいた。その生徒は迷いなくとある教室のとある机に向かう。目的の席にたどり着くと、ホームセンターで買ったであろうスプレー缶を取り出す。シャカシャカとスプレーを振って机に噴射する、寸前。
「こんな時間から嫌がらせとは随分熱心だな」
教壇の方の入り口から突然姿を現した一人の男子生徒の声が動きを制止した。隣にはもう一人男子生徒がいる。
「えーっと、あーこいつ誰だっけ?」
「私と同じクラスの岡村唯17歳。4月21日生まれ、B型、両親は離婚していて母子家庭の一人っ子、趣味は」
「ストップストップ!愛羽、もうわかったから!」
「あら、こんな情報はまだ序盤よ」
「えぇ、愛羽の親衛隊の情報網どうなってんだよ。怖すぎだろ」
「この人を見つけたのは香織さんだけれど」
「聞き込みしまくった甲斐があったよー」
反対側の入り口には女生徒が二人。脱出口をすべて塞がれた生徒は顔面蒼白である。
「ところで、岡村さん?その手に持ってるモノは何?」
田中が笑顔で尋ねるが、その目は笑っていない。
「何するつもりだったのかって聞いてんだよ!」
「ひっ」
「田中、落ち着いて」
田中を止めたもう一人の男子生徒、智夏はゆっくりと岡村唯に近づく。
「、んで、っ、」
近づくにつれて、ぼそぼそと声が聞こえてきた。
「なんでアンタなのよっ!唯はあの人のことずっと、ずっと好きだったのに!!なんでアンタが選ばれたのよっ!アンタさえいなければ私が選ばれてたはずなのっ!」
髪を振り乱して叫ぶさまは般若のようで。常軌を逸した言動に全員の動きが止まる。その隙に岡村唯が智夏との距離を縮め、首を絞めてきた。
「しばちゃんっ!」
「智夏!!」
「智夏君!!」
三人が悲鳴のように名を呼びながら駆けつけるのをどこか冷静に見つめながら、己の首を絞めている女の形相を見る。憎しみ、恨み、嫉妬、負の感情がこれでもかと詰め込まれている。無事な左手をズボンの後ろに持っていき、目当てのものを取り出すと同時に目の前の相手にスイッチを押しながら当てる。
「ぎゃっ」
取り出したのは護身用のスタンガン。昨日香苗ちゃんから借りておいて正解だった。
「大丈夫か?息苦しくないか?」
「気持ち悪くない?」
「くらくらしてない?」
三人が矢継ぎ早に質問してくる。それに笑顔で答える。
「大丈夫だよ」
このスタンガンには、漫画やアニメのような相手を気絶させるような出力はない。バチッと来るだけである。目の前で尻もちをついている女を見下ろす。
「何が目的だった?」
「きゃはハはっ、そんなのアンタをこの学校から消すことに決まってるじゃない。結局失敗しちゃったけど」
「お前は誰が好きだったの?」
カンナが厳しい目で問いかける。ここまで狂うほどに愛した人とは。
「そんなの言うわけないじゃない。これは唯が自分で決めて自分でやったこと。あの人は関係ない!!」
「当ててやろうか?そんなになってまでお前が守りたい人物を」
田中が小悪党のような悪っぽい表情をしている。
「会いたいだろうと思って、招待状出しといたぜ」
「は?何いって…」
岡村唯の声が途中で途切れる。その視線は俺たちが先ほどまで立っていた、教壇側の入り口に縫い留められ、驚愕に目を見開いている。
「神田、せんせい……どうして?」
そこに立っていたのは神田沙由美、美術教師である。
「あら、私のパソコンに変な招待状を送ってきたのは田中君だったのね?」
「えぇ。この宴は先生がメインみたいなものですから。呼ばないわけにはいきませんよ」
「せ、せんせいっ!唯は、」
ずっと無視されていた岡村唯が会話を遮る。そんな彼女を神田沙由美は路傍の石ころでも見るような目で見る。
「あなた、だれ?ごめんなさいね。私、興味のある人しか名前を覚えられないのよ。あなた以外のこの場にいる生徒ならみんな知っているのだけれど」
「興味が、ない?そ、んな」
嫉妬に狂うほどに愛した人に名前すら覚えられていないとは。
「唯、先生のために、証拠消したりとかも、したのに…」
「証拠?……あぁ鉢植えのことね」
「鉢植えを落としたのはアンタじゃなくて、この女だったの!?」
てっきり鉢植えを落としたのも岡村唯だと思っていた田中以外の3人は驚く。鉢植えを落とした張本人はいまその事実を思い出したようだが。
「教師が生徒に鉢植えを落とすなんてなに考えてるんですか!!」
香織が常識を問うが、そんなものが通じる相手ではないことは、この場に現れた時点で証明されている。
「なにを考えてる……そうねぇ。アタシ、『春』がとてもとても好きなの。愛しているの」
「「「『春』?」」」
この場において、『春』を理解したのは神田を除けばただ一人、俺だけだろう。皆が疑問符を浮かべるなか、饒舌に語り出す。
「『春』はアタシにとっては神の如き存在だった。彼の作品を一目見た瞬間に、私の心は奪われた。あんなに胸が高鳴ったのは初めてだったわ。もっと彼の作品を見たい。そう思った矢先、彼は亡くなった」
興奮気味に話していたが、最後の一言は温度がなく、聞く者をぞっとさせた。
「もう二度と彼に会えない。彼の作品を見れない。一度は死ぬことも考えたわ。だって、彼の絵が無い人生なんて生きる意味がないもの。でも、彼と似た、けれど全然違う絵が、突然絶望した私の前に現れた。その絵は私の絶望を理解してくれた。あぁ、この絵を描いた人は私を理解してくれる世界で1人だけの理解者だと思ったわ」
ゆるりと視線を俺に合わせた。
「ねぇ、そうでしょ?『春』の弟の『夏』?」
長くなりそうだったので、今日は短め。




