御子柴春彦
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その日冬瑚は夢を見た。
「桜…?ここ、どこ?」
満開の桜並木の中に冬瑚は一人立っていた。誰もいないのかと心細くなったときに、後ろから名を呼ばれた。
「冬瑚」
この世界に独りぼっちだと思っていたので、急に声を掛けられてとても驚いた。聞いたことのない声だった。しかしその声を聞いた途端に、何故だかひどく泣きたくなったのだった。
「夏兄?」
振り返った先に佇んでいた少年は兄の智夏を若くしたような顔だったのだ。だから思わず兄の名を呼んでしまったのだが、すぐに別人だと気付く。
瞳の色が、兄の綺麗な青色ではなく、真っ黒だったのだ。歳は冬瑚と同じくらいかな…?
でもこの少年の纏う落ち着いた雰囲気は、彼をどことなく年上のように感じさせた。
「あなたはだれ?」
「ハル…、だよ」
ハルはそう言うと、冬瑚のもう一人の兄である秋人とそっくりの顔で笑ったのだった。
「ここは、どこ?」
「ここは冬瑚の夢の中だ」
そんな気はしていたが、やっぱり夢だったのか。夢といえば、前に香苗ちゃんに聞いたことがある。夢に現れる人は、私が会いたい人か、私に会いたい人だって。目の前に立っている似たような背格好の少年は、この2つのどちらかだろうか。
「ハル…。ハル兄って呼んでもいい?」
「っ!あぁ、いいよ」
ひどく驚いた様子だったが、それでもハル兄と呼ぶことを許してくれた。自分でも、なぜそう呼びたくなったのかはわからない。わからないけど、そう呼びたかったのだから仕方ない。
「冬瑚はいま何歳?」
2人で満開の桜の根っこに座りながら、話をする。
「7歳、小2だよ」
「そっか。大きくなったんだな」
ハル兄は冬瑚の年齢を感慨深そうに呟くと、頭を撫でてきた。その撫で方は夏兄そっくりである。いや、でもハル兄の方がちょっと乱暴かも。
「ハハッそっかー乱暴だったか。わりぃわりぃ」
「あれ?今の聞こえてた?」
「ここは冬瑚の夢の中だからな。考えていることは丸わかりだ。それに、」
「それに?」
「あー、なんでもない」
そんな寂しそうな顔をして、「なんでもない」なんて言われても信じられるわけがない。それに冬瑚はハル兄が不自然に切った言葉の続きを知っている。
「あのね、前ね、夏兄に聞いたの。「なんで冬瑚の考えてることがわかるの?」って」
夏兄だけじゃない。秋兄だって冬瑚が嬉しかったり寂しかったりしているとすぐに気づいてくれる。それがずっと不思議で、聞いたのだ。そしたら夏兄は少し自慢げな顔をして言ったのだ。
「そしたら夏兄は「それは冬瑚のお兄ちゃんだからだよ」って言ったの」
「…」
ハル兄、いや春兄はきょとんとした顔をして、すぐに苦しそうに、くしゃっと顔を歪ませた。
「俺は、冬瑚のお兄ちゃんを名乗っちゃダメなんだ、ダメなんだよ…」
春兄に冬瑚の考えていることが伝わっていたように、冬瑚にも春兄の想いが伝わってきた。
『ごめんな…。俺があのとき死んだせいで、家族が不幸になってしまった。ごめん、ごめんっ!』
胸が締め付けられそうなほどに悲痛な声が聞こえる。
「ずっと、苦しんできたの?」
この誰もいない寂しい空間にたった1人で。亡くなってから、ずっと。
大きすぎるものを背負った小さな体を抱きしめた。そして確信をもって、その名を呼ぶ。
「春兄、春彦お兄ちゃん、いいんだよ。もう自分を責めないで。許してあげてよ」
春兄は10歳で亡くなってから8年間、この場所から見てきたのだろう。家族が壊れてゆく様を。その度に自分を責めて責めて、許せなくなってしまったんだ。今頃生きていたなら高校3年生だったはずの兄をぎゅっと抱きしめる。春兄は抵抗することなく、抱き着かれるがままである。
「智夏や、秋人、母さんの夢には、行けなかった。拒絶されるのが、俺はなによりも怖かったんだ」
夏兄も秋兄も、そしてお母さんも、絶対春兄のことを責めなかっただろう。そのことは、冬瑚よりも長く一緒に過ごしてきた春兄の方が分かっているだろうに。それでも恐れずにはいられないのだ。
「だから俺のことを知らない、冬瑚の夢に出た……んだけど、冬瑚は俺のこと知ってたんだな」
どうやら春兄は四六時中、冬瑚達のことを見ていたわけではないらしい。
「うん。夏兄と秋兄と、それにお母さんから教えてもらったの。春兄は夏兄と瞳の色以外そっくりな顔で、でもちょっとした仕草とか声が秋兄に似てたって。あ!そういえば秋兄が声変わりしてるんだよ!」
お母さんとたまにやりとりしている手紙でもよく春兄の話題が出るのだ。長兄を知らない冬瑚に、兄二人も母もその存在を教えてくれる。そのときはいつだってみんな笑ってた。春兄のこと、嫌うなんて、拒絶するなんてありえない話だ。
「みんな、俺のこと恨んでないんだ…。そっかぁ。秋人は声変わりか。ってことは智夏はとっくに声変わりしてるってことだよな?なんか複雑だな」
それから冬瑚は、色々なことを兄に話した。今までのこと、夏兄のこと、秋兄のこと、香苗ちゃんのこと、全部全部話した。冬瑚が話している間、兄は笑ったり心配したり質問したり、かなり盛り上がった。そして、あっという間に楽しい時間は過ぎて行った。
「春兄、体が…」
「もう、お別れの時間だな」
春兄の体は徐々に薄く半透明になっていく。もうすぐ夢から覚めるのだろうか。
いやだ!このまま春兄を1人ぼっちでいかせるなんていやだ!
「神様、一生のお願いです!どうか春兄をみんなに会わせてあげてください!」
涙で視界がぼやけながら、天に向かって叫ぶ。確信があった。春兄はここで消えたら、もう次の生に行くのだろうと。それは望ましいことだとわかっている。でも、このままみんなに会えないまま消えてしまうなんて!
「夢の中で会いに行けるのは1人までって言われたから。だから智夏たちの元へは行けない」
「でも!」
食い下がる冬瑚の頭を今度は優しく撫でる春兄。その手もだんだんと透けていっている。
「智夏がさ…。俺の名前を使わなくなっただろ?」
名前…。夏兄は作曲のお仕事をするときの名前を以前は『春彦』としていたが、昨日からは『御子柴智夏』と変えたのだ。それを聞いてハッとする。
「それでもう、大丈夫だって思ったよ。それに最後に待望の妹に会えたんだ。……これで本当に心残りはない」
「やだよ…。まだ一緒にいたいよ」
涙と共に、ぽろぽろと心の奥にしまっておこうと決めていた言葉が溢れだす。この言葉はきっと、優しい兄を困らせてしまうから。だから、お別れのときは、笑おうって決めたのに。
「泣くな冬瑚。もう泣いて見送られるのはごめんなんだ。だから笑ってくれ」
だんだんと透けていく春兄にきっと不細工であろう笑顔を向ける。泣きっぱなしなのは許してほしい。
「あぁそうだ…。最後に、ずっと冬瑚に、言いたかったこと、思い出し、た…」
声もだんだんと遠くなっていく。いつの間にか桜の木はなくなっていた。きっと朝が来て、冬瑚の体は目覚めようとしている。
「俺の、妹に……生まれてきてくれて、ありが、とう」
冬瑚の瞳からとめどなく溢れる涙をそっと拭うと、御子柴春彦は、大切な兄は次の人生に旅立っていった。
瞼を開けると、溜まっていた涙がスーッと一筋流れ落ちた。
「あれ?なんで泣いてるんだろう?」
とても悲しくて、幸せな夢を見ていた気がする。
いつの間にか布団に潜り込んで一緒に寝ていた愛猫が、心配してか手を舐めてきた。すると、いつか聞いた声が、頭の中で甦る。
『ハル、だよ』
あの泣きたいくらいにひどく優しい声は、誰の声だったのだろうか。
「ねぇ、あなたのお名前、『ハル』にしない?」
「にゃー!」
採用、と言わんばかりに鳴いた可愛い可愛い白猫を撫でながら、明るくなってきた空を見つめるのだった。
~執筆中BGM紹介~
Charlotteより「灼け落ちない翼」歌手:多田葵様 作詞・作曲:麻枝准様
『散る桜 残る桜も 散る桜』(良寛)