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私は気まぐれな雨の日に壁越しの演奏がしたい

掲載日:2020/05/15


 私は雨が好きだ。

 しとしと降るのは、なお良い。

 まるで私の心に入ったヒビのような傷跡を埋めてくれるように、良い音を奏でてくれる。

 こんな日は、学校の踊り場にあるピアノを弾きたくなる。

 誰が弾いてもいいらしく、昼休みなんかは誰かしら弾いている。


 私は演奏を誰かに聞かれるのは気恥ずかしい。

 だから放課後、教室から誰もいなくなるまで本を読み、下校するか部活に行くのを待つ。

 その間にも雨は、私が寂しくないようにと降り続けているように感じた。


 そんな事を考えている、地味でメガネをかけている私は、友達がいない。

 私はもう、一人でひっそりと生きていくと決めたのだから。

 クラスメイトから鉄の処女(アイアンメイデン)にちなんで、メイデンと呼ばれている事も知っている。

 普段笑顔を見せる事をしないし、うまいアダ名を付けたものだと感心したっけ。

 教室にポツンと一人取り残されたような雰囲気は、ちょっと寂しい気がするけれど。



 誰もいなくなった廊下、誰もいない階段。

 遠くからかすかに聞こえる、部活をしている生徒の声。

 とても良い日だ。

 ピアノは、誰も腰掛けていなかった。


 思う存分ピアノを弾き、17時の鐘の音が鳴り響いた時だった。

 不意に後ろから拍手が聞こえた。


「君はいつも同じ時にピアノを弾くね。

 聞いていると癒やされるようだよ」


「……何か、用?」


「僕は3年生さ、ネクタイの色が赤いだろう?

 君は青いから2年生だ」


「そう……別に年齢なんて興味ないわ。

 もう帰るから、さよなら」


 私は気が向いた時にしか、ここのピアノは弾かない。

 いつも、だなんて嘘ついて怪しい人。

 ちょっと顔がいいからって、いい気になってるんだわ。

 私は早足で横を通り過ぎ、階段をカタカタと鳴らして降りていく。


「じゃあ、今度は僕が弾こう。

 また気が向いた時に来ておくれ」


 ピアノの音色につられて、からかいに来たに違いない。

 今の私は高校生として、学校には真面目に勉強しに来ているだけだ。

 中学の自分と違って恋愛なんかに興味はない。

 誰と誰が付き合っているかも、なんていうクラスの女子がニヤけてしている噂話は大嫌いだ。

 『たら』とか『れば』なんて信憑性が薄い話に、なぜ興味があるのだろう。

 でもそんな雑音があっても、雨が降ってさえいれば気にならない。

 毎日、雨が降っていたらいいのに。


 

 そんな愛しい梅雨の時期も終わり、夏休みが明けた。

 あれからずっと、私は学校のピアノを弾きに行かなかった。

 あの男が気になったからじゃない。

 ただ、気が向かなかった。


 不意に襲われる物哀しい気分の時、そして心地よい雨が降っているのが重なった時だけしか、学校で弾きたくならない。

 いつも弾いていたら、また吹奏楽部に勧誘されてしまうだろうし。

 破局するような部活は、もうごめんだわ。 

 

 辛い記憶が積み重なるように心を埋め続けた10月下旬、少し肌寒い日の事だった。

 教室に差し込んでいたはずの陽光は、気がつけば曇り、ポツポツと降り始めてくれた。


 今日はどうしてもピアノを弾きたい、と溢れるような衝動を抑えながら放課後を待った。

 いつもならすぐ帰らずに教室でダベっているクラスメイトも『傘を持ってきてない』と口々に言いながら急ぎ足でみんな帰って行く。

 なんて嬉しい雨なんだろう。

 今にも張り裂けそうな記憶を抑え、心を落ち着けてピアノに向かう。



 ……なんで?

 なんでピアノの音が聞こえてくるの。

 私が弾きたかったはずの曲達は、私より上手に奏でられていく。

 見たくない……でも、誰がこんな日に。


 こっそりと顔を覗くと、前に話しかけてきた男だった。

 彼は誰がいる訳でもない中、嬉しそうにピアノを弾く。

 まるで楽器が変わったみたい。

 自分の時より、数段違う音色が紡がれていくような気がする。

 私は廊下に座って、ピアノの音を背中で聞くように壁にもたれかけた。


 30分ほど聞き入ったけど、悪くない選曲だわ。

 でも、私が一番弾きたかった曲は流れてこない。

 それが嬉しいようで、なんだか悲しいようで。

 もしかしたら次の曲なのかも、なんて期待しながら待っている自分に気づいた。


 ……馬鹿馬鹿しい。

 人の弾くピアノも良いけれど、やっぱり私は自分で弾きたい。

 教室で雨音を聞いて過ごそう、と歩き出した時だった。


「君は弾いて行かないのかい?」


 ピアノの音がしなくなると、しとしと降る雨以外は何も聞こえない。

 私はイタズラが見つかった子供みたいにドキドキして、一歩も動けなくなってしまった。


「今日みたいに物哀しい気分の時、心地よい雨の日だった。

 君が去年ピアノを弾いていたのは……」


 どうしてそんな事を知っているの、この人。

 私の心の傷は、中学時代のものだ。

 遠くの高校に来たから、誰も知ってる人はいないはずなのに。


「その音色を聞いて、なんて心のヒビを埋めるのが上手な人なんだと感動したよ。

 今までピアノを弾いた事もなかった僕が、必死に覚えようと決心するくらいに。

 だから、君の為に取っておいたんだ。

 あの時に聞いた君の音が耳を、心を、全てを掴んで離さない。

 他の誰の音色でもダメなんだ!

 僕が邪魔なら言ってくれ……どうしても聞きたいんだ、君が奏でる『カノン』が」


 私は別にプロじゃない。

 誰かに聞かせる為に、弾いてるわけじゃない。


「あなたみたいな怪しい人に、披露するカノンは無いわ。

 でも、私には必要なの。

 今、どうしても。

 ……だから、聞きたいなら離れて聞いて。

 できれば壁の向こう側で、私に見えないように」


 パタンパタンと上履きの音が響き始めた。

 その音は、雨音と混ざって私の胸の奥に突き刺さるようだった。

 悲壮感をタイトルにするとしたら、きっとこんな音階なのだろう、と確信するみたいに。


 弾き始めたカノンは、いつもより私の心にしっくりするみたい。

 この曲は、小学校の下校の音楽だった。

 友達と一時離れ離れにならなければいけない、悲しい曲。

 でも下校途中、友達と喋りながらお夕飯が何かとワクワクしたり。

 それが大好きなメニューだった時の喜びだったり。

 そんな記憶を呼び覚ませる、大好きな曲。

 だからどうしても、学校の中で弾きたいのだ。


 弾き終わると、私は明日からまた、どうにか元気にやっていける気がした。

 それは彼も同じだったのかもしれない。

 1人分だけ響く足音は、とてもスッキリしたように感じた。



 その日から、同じような気分の雨の日の放課後、連絡し合わなくても待ち合わせるようにピアノに向かった。

 あれから私達は一言も会話していない。

 それでも、彼が先だった場合は私が聞く番。

 私が先だったら、彼が聞く番。


 固い壁越し演奏会は、次はいつになるだろう。

 ……明日になればいいな。

 彼も空一面に広がるこの雲を見て、そう思っていてくれると嬉しい。

 もしそうなったら、横に座って連弾してみようかな。


 気がつくと私は、恋愛話を噂する女子みたいにニヤけていた。


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― 新着の感想 ―
[良い点] メイデンちゃんと3年生くんの距離感がとても大好きです。付かず離れず、それでいて雨の日に出会う特別な存在。きっと3年生くんにも心に少しヒビがあって、その心を癒したのがメイデンちゃんの音だった…
[良い点] 静かで穏やかな雰囲気がとても好きです。 [気になる点] 曲のタイトル入れないで欲しかったです。それぞれの人にとっての大切な曲を思い浮かべられる方が好ましいのでは? [一言] 以前「読者の質…
[一言] はあー…雨とピアノは何故こんなに情緒をくすぐるんでしょうか。それに、壁越し。 はああ~ …想像しただけで素敵です。 なにかいろいろ書きたいことが沢山ありましたが、 なんていうか…兎に角素…
2020/05/15 21:35 退会済み
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