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想像3Dプリンター

頭の中で思い描いたものが目の前に現れたら、どんなに嬉しいだろう。

そんな夢みたいなことを、実現しようとした女性がいた。

彼女は、その夢のために生涯を費やした、唯一無二の技術者だった。


技術者としての彼女をお話しする前に、まずはその、人となりから紹介したい。

彼女の名前は、菊田道子(仮名)。小さな頃から、非常に頭が良い子どもだった。勉強ができたのである。全ての教科得意だったが、特に数学がずば抜けていた。生まれながらの理系女子。技術者になったもの、自然の成り行きと言える。そんな彼女には大きなコンプレックスがあった。


顔だ。


頭と違って、顔の出来は悪かった。顔面偏差値が低かったのである。鼻を高くするとか、二重にするとかで修正できるレベルではなかった。骨格からパーツから全とっかえしなければ、“美人”と呼べるまでに到達できない。完璧主義者の彼女は、“美人”になりたかった。それ以外ではダメだった。顔は、由々しき問題となった。

中学生になると、彼女は自分の外見も完璧に把握していて、いくら頭が良くても、この顔では女としての幸せを得ることができないと、悩んでいた。今のように、整形メイクが当たり前のような時代ではなかった。彼女にはどうすることもできなかった。親には『大事なのは心よ』と諭されたが、そんなのはフィクションだと、彼女は信じなかった。

物理的にどうすることもできず、もんもんとする日々。その嫌な思いを忘れるために、勉強に没頭し、ますます成績が上がった。そのおかげでハイレベルな理系の高校、大学、大学院と進学していった。理系なので、気づけば彼女の周りは男子だらけに。これでやっと彼女にも恋人ができるのでは、と親も期待していた。ところが、とんでもないことが発覚した。


彼女は、面食いだったのだ。


面食いと言っても、整ったハンサムが好きというわけではなかった。芸能人やミュージシャンでもない。彼女の理想の男は、彼女の頭の中にいた。完璧主義の彼女が完璧に想像した理想像のみが、彼女の恋愛対象だった。

そんな彼女が、ある日告白された。大学1年生のときだ。同じゼミの同級生で、西村(仮名)くんといった。西川くんは、彼女の“理想の顔”とは程遠かった。でも、一般的に見て、性格の良さが表れた愛嬌のある顔をしていた。


彼女は、西川くんを振った。


その判断は彼女にとって、太陽が東からのぼるくらい当たり前のことだった。理想から程遠かったからだけじゃない。西川くんの告白が、“消去法”だと感じたからだ。ゼミには女子が2人しかいなかった。身近な女子を好きになるのはわかるけど、2人しかいないのに、なんで? 男子と女子が半々のゼミでも、私を選ぶの? 2人うちで“ましな方”を選んだんじゃないの? クラスの外には腐るほど女子がいるのに、対象人数2の中から選ぶって、ふざけてんの? などなどネガティブな疑問が沸き上がった。その疑問はやがて怒りになって、彼女の賢い頭の中を駆け巡った。頭の回転が速いというのも考えものである。

西川くんは、確かに対象人数2の中から選んだかもしれないが、『好き』という気持ちは本物だった。けして“消去法”ではない。彼女はそこを見抜けなかった。いや、見抜いていたかもしれない。ただ、信じて飛び込むことができなかった。彼女は人一倍頭がよかったけど、人一倍臆病だった。


彼氏いない歴24年のまま、彼女は社会人となった。精密機械製造会社の技術者として働くことになったが、そこでも女性がほとんどいない男性だらけの職場だった。その中に、彼女の頭の中の理想の顔を持つ人は、もちろんいなかった。だけど彼女は思っていた。


私はまた告白されるだろう。


大学生の時みたいに対象数が少ないこの職場なら、こんな私でも、付き合いたいと言ってくる男が現れると思っていた。それがもし、西川くんレベルの男だったら、付き合ってやってもいい、と思っていた。彼女は、24才で処女な自分を、恥じるようになっていた。

しかし、その予想は当たらなかった。告白はされなかった。告白どころか、『女』としても見られていなかった。男性たちは彼女を、


【できる技術者】と見ていた。ただそれだけだった。


職場の男たちは、彼女と交際したいとか結婚したいとか遊びたいとは思わなかった。彼女の顔がどうのこうのというより、見下すような冷たい態度が一番の原因だった。彼女もだんだんと自分が女性として見られていないことを察するようになっていた。自分が【対象外】であるのだと気づいたときは、正直ショックだった。でも、完璧主義者の彼女は、自分を変えようとは思わなかった。【対象外】になったのは、


私がハイスペックのせいだ。それが男のプライドを傷つけてしまうんだ。


彼女はそう結論づけた。そして逆に、現実の男を自分の方から【対象外】とした。この頃から彼女は、頭の中にいる理想の顔の男に強く執着するようになった。


彼女が28歳のとき、『3Dプリンターなるものが開発されているらしい』という情報が、業界内で流れた。立体物をコピーできる! そんなドラえもんの道具のような機械を作ろうとしている会社があることを知り、彼女は居ても立っても居られなくなった。驚くべき行動力で、彼女は3Dプリンターを開発している会社に転職し、希望通り3Dプリンター開発部署に配属された。彼女は夢中になって開発に取り組み、完成へのプロセスに大きく貢献した。

無事に夢の3Dプリンターが製品となり、市場に出せることとなった。会社は多いに喜んだ。でも、製品は大型で高額。彼女は満足しなかった。家庭で使える3Dプリンターを作りたかった。それは、業界の発展のため、とか、購入者の幸せのため、ではない。彼女自身のためだった。


彼女は3Dプリンターを小型化し、安価で市場に出せるよう、引き続き開発に取り組んだ。その間に、彼女は30代になった。もちろん彼氏いない歴更新中の処女だった。彼女の気持ちは、どんどん内側に向くようになった。自分の頭の中の理想の男を眺めている方が、【対象外】の中で生きるよりも居心地がよかった。彼女は、開発のための時間以外は、想像の世界で過ごすようになった。そうなると、外の世界の人間関係は、ますます面倒になる。彼女は必要最低限のことしか話さなくなった。コミュニケーション能力が0になってしまったけれど、ハイスペックなので、ただの“変人”扱いされるだけで、家庭で使える3Dプリンターの開発は順調に進んでいった。

この頃になると、彼女の願いは明瞭になっていった。


頭の中の彼に触れてみたい。


家庭で使える3Dプリンターを開発したいという彼女の目的のその先には、彼の顔を作って触れたいという本当の目的があった。3Dプリンターは、実際にある物のコピーだけでなく、パソコンで作った立体物のデータでも造形化できるのだ。だから彼女はここまで一心不乱に頑張れたのだ。

彼女は、頭の中の彼の顔をパソコンで作り続けていた。彼女は、彼を完璧に再現した。画面の中の彼を見つめながら、早く触りたい、と彼女は切に思った。でも家庭で使える3Dプリンターは、まだ生み出されていなかった。彼女は今まで以上に頑張った。


彼女の個人的な欲望のおかげで、開発のスピードが猛烈にアップした。そしてようやく、コンパクトで安価な3Dプリンターが完成した。

さっそく彼女も、3Dプリンターを購入。彼の顔を造形化した。できあがったものを見て、彼女は落胆した。まるで、デスマスクだった。目が開いているデスマスク。彼女は、ゆっくりと触れてみる。それはただの丸みのあるプラスティックだった。頭の中の彼ではなかった。努力が水の泡と化した・・・。

しかし、彼女がここであきらめるわけはなかった。もっと頭の中のままの、そして、人間に近い皮膚感を再現しようと決意した。

彼女はまた研究を始めた。次に目指すのは、


頭の中にあるものを物質化する、『想像3Dプリンター』だった。


でもそれを実現するためには、多額の資金が必要だった。彼女は会社の上層部に、『臓器をコピーできれば、それを移植できる』という、もっともらしい嘘をでっちあげ、直談判し、まんまと開発費を得ることに成功した。

新しいチームが発足され、彼女はリーダーとして寝る間も惜しんで、開発に没頭した。

でも、うまくいかなかった。『臓器をコピーする』というチームの目的が、ただの看板だからだ。『想像をコピーする』というのが、リーダーである彼女の真の目的なので、チームと意見がかみ合わないのも当然だった。チームリーダーの彼女が偽っているので、軌道修正もできず、なんの成果もみられないまま、一年経ち、二年経った。チームは縮小し、五年目でついに彼女一人になり、六年目に開発は中止となった。会社もよく我慢したと思う。でも彼女の中に『感謝』という言葉はなかった。逆に、続けされてくれないのはおかしいと激怒し、会社に抗議した。が、もちろん会社は彼女の意見を聞き入れなかった。

彼女は会社を辞め、別ルートで開発をさせてくれる出資者を探した。が、『感謝』のない彼女に、協力するもの好きは現れなかった。

でも、まだあきらめないのが彼女である。『感謝』もないが、『挫折』もないのだ。彼女は、自宅で一人、開発を続けることにした。

高収入だったので、貯金は十分あった。

『私ならできる』

と、彼女は信じていた。しかし最初からつまづいた。研究用の部屋を新たに借りようとしたが、借りることができなかったのだ。

『無職』『独身』

学歴や職歴があっても、この時点での彼女には社会的信用がほぼなかった。しかたがないので、部屋のランクを下げ、審査の緩い物件を契約することができた。彼女はそこで、誰気兼ねなく『想像3Dプリンター』の研究開発にいそしんだ。

一年経ち、二年経ち、あれだけあった貯金がみるみる減っていった。彼女は、研究用の部屋を引き払い、自宅で続けることにした。研究部屋と自宅が別々だった頃は、ぎりぎり皮一枚、彼女にも日常生活というものがあった。でも、自宅を研究部屋にしてしまったことで、日常がなくなった。彼女は起きているすべての時間を研究にあてるようになった。いや、寝ている間もあてていたかもしれない。一秒でも早く『想像3Dプリンター』を完成させて、頭の中にいる、“彼”に触れたい。それが、一生処女を覚悟した彼女の唯一の望みとなった。


五年経ち、十年経った。彼女は貯金を使い果たした。彼女はお金のために仕方なく、外の世界に戻ることにした。頑張って身なりを整えて就活し、技術職で再就職できることになった。会社は、給料で選んだので、3Dプリンターとは無縁の業種だった。彼女は働きながら、研究を続けた。

また五年経ち、十年経った。彼女が60才になったとき、業績が悪化し、リストラにあった。抗議したが、受け入れられなかった。彼女は60才でまた無職になってしまった。


彼女は別の会社を探したが、もう再就職はできなかった。彼女の両親もすでに他界しており、遺産もとっくに使い切っていた。彼女の性格上、当然のことながら、助けてくれる親類はいなかった。

彼女は、わずかな退職金とパート(サービス業はむいておらず、掃除の仕事をした)の給料で研究を続けた。年金がもらえる年になるまで、まだ15年もあった・・・。





彼女が遺体で見つかったのは、リストラされてから2年後の初夏だった。掃除の仕事はしていたが、無断欠勤が多かったので、職場の人が家を訪ねることもしなかった。上昇した気温で臭気が発生し、発見されたのだ。死亡してから2週間経過していた。死因は熱中症。彼女は、電気代を節約するために、クーラーを使っていなかった。

彼女の家の中は、よくわからない機械やの装置や薬品のようなものが乱雑に置かれていて、人が生活する状態ではなかった。彼女は部屋の真ん中で、膝を抱えてる寝ているような体勢で見つかった。お腹の辺りに、溶けたゴムのようなものが張り付いていた。調べると、それはシリコンに近い素材だった。彼女は、シリコンでできた何かを抱きしめて、そのまま亡くなったようだ、とわかり、この件に関わった人たちは困惑した。意味がわからなかった。部屋の状態や死に方から、彼女の人生は不幸だったのだろうと口々に言った。でも、彼女の遺体を見た人は違うと思った。なぜなら、口角が上がっていたからだ。


彼女は微笑んでいたのだ。


傷んだ状態だったが、それだけは明らかだった。


彼女は最後に、頭の中の彼の顔を完成させたのかもしれない。そして触れることができたのかもしれない。だから抱きしめて、そのまま深く寝入ってしまったのかもしれない。やり遂げた満足感で、微笑んだのかもしれない・・・。


本当のことは本人にしかわからない。幸せだったかどうかは、本人が感じることだ。他人がどうこう言うことではない。彼女は彼女の人生を生き切った。ただそれだけのことなのだ。


おわり


最後までお読みいただき、ありがとうございました。


貴重なお時間を使っていただき、本当にありがとうございました。

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