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ヤドガミ村のハレの日


 ナズナは、シズの家で少しのあいだ世間話に興じ、ついでに、他に必要な薬はないかの話も行った。そこで挙げられた幾つかの薬について手持ちの手帳に書き込むと、余計な負担をかけてもいけないと考え、その場を退去することにした。村長から頼まれた「無理をせずゆっくりと休むように」という伝言と、これから他の患者の所も周ることを告げて。

「何から何まで、有難う御座います。ナズナさん。父の体調に変化があった時には、すぐにお知らせします」

「お願いします。私は、村長の屋敷にお世話になっておりますので。それでは、お大事に」

 笑顔で一礼し、背を向けた。

 その後、一度村長の屋敷に戻り、きちんと伝言を伝えたことと、当人は元気そうだったことを報告すると、村長は嬉しそうに微笑みを浮かべた。

「えっと。それで、なのですが。他の患者さんにも聞き取り調査を行ないたいのですが、お名前と居所を教えて頂けませんか?」

 しかし、ナズナの、この提案を聞いた瞬間、その表情は驚きのそれへと塗り替わった。

「え、ええ。それは構いませんが…。直接、周られるのですか?」

「はい。虚弱の度合い次第でもありますが、患者の疲労の蓄積は避けたいのです。お願いします」

 しかし、ナズナの表情に揺らぎは一切なく、それが村長の驚きをさらに深くもしたが、しかし彼女の意志の堅さは、遠慮しようとしていた村長の口を開かせた。

「…では、お教えします。まずはセイベイ殿の交代として職務に就いたロクスケ殿」

「ふむふむ…」

 村長が語る患者の話を、手帳に記述していく。

「さぁて…。患者は六人か。交代人員と参拝客と…」

 その後、先ほどシズに述べた通りに、村長の情報を基に他の患者の下を訪れ、それぞれに症状の聞き取り調査を行った。そして、それら全ての情報がセイベイと同様のものであることが判明すると、予め用意しておいた薬剤を試してみるよう勧める。

 最初は半信半疑だった者も居たが、ナズナの治療に対する真摯な説明と説得に、最終的には首を縦に振り、小瓶の薬は患者全員に行き渡ることとなった。


「……」

 最後の患者の家を出、村長の屋敷へと引き上げる途中に立ち寄った寺院跡で、ナズナは手帳に纏めた情報を見ながら休息を取る。

 身に着けた魔法具の効力で疲労は大きく減じられているものの、疲れないというわけではない。水筒の水を魔力で冷却し、体に流し込むことで得られる快癒効果を、その時にナズナは実感した。

「いずれの家でも、あの濃いもやが確認できた、と。これが未知の情報なのが気になるなぁ…。あの本の内容が全てではないから、未知があっても不思議ではないけれど…」

 自然に吹く風に髪を弄らせながら、顎に手を当て、考える。

「まあ、今は考えても仕方ないか。記載だけはしておくとして…」

 手帳の内容に、要調査の記述を行った後、ナズナは寺院跡を背にした。


 村長の屋敷に戻り、村長の勧めで水浴びを済ませたナズナは早速、離れで、追加で必要になりそうな薬の調剤に入った。精製した薬の効用に自信はあったが、万が一効果を発揮しない、或いは副作用が出た場合において、それに備える必要があるためだった。

(薬の一つ目、虚弱回復効果が出るまでは、あと一刻ほど。そこで副作用が出なければ、この備えは不要になるわけだ。うん、この作業が徒労になると良いなぁ…)

 調剤を終え、畳の上に寝転び、天井を見る。古典的かつ頑健な造りの梁が見え、建てた人間の職人気質な拘りを守り通そうとしている意志が垣間見えた。それを感じた瞬間、ナズナは自分の現状を比較し、何故か笑ってしまうのだった。

 その時、離れの出入り口に、誰かが出入りする気配が現れる。

 ナズナは体を起こし、体を伸ばした。

「もし、ナズナさん?今、宜しいでしょうか?」

「その声は村長さん。どうぞ。今しがた、作業が終わりましたから」

 訪れたのは村長だった。公務の装いは外しており、恐らく対外的には出さないだろう私服姿で、ナズナの前に姿を現した。

「今日のお務めは、終わりましたので、暇を持て余してしまいまして…。お話など、致したいと…」

「ははあ、なるほど。お務めばかりでは、息が詰まりそうですからね。良いですよ。私で良ければ」

 座り、恐縮そうに顔色を窺う村長に、ナズナは優しく微笑み掛ける。

「それで、何をお話ししましょうか。私としては、ヤドガミ村について色々と興味が尽きないので、お話が伺えれば嬉しいのですけど」

「この村の、ですか?」

「ええ」

 ナズナの言葉に、村長は考え込むように腕を組んだ。しかし、答えはすぐに出たらしく、微笑を浮かべた。

「そうですねぇ…。では「ヤドガミさま」についての伝承を、お話ししたいと思います」

 こうして、ヤドガミ村の政を司る長の口から、村が奉じる神格についての物語が始まった。


 ヤドガミさま。

 それは、元はヤトノカミ、ヤトミカミと呼ばれる神格で、頭部に角を持つ蛇の姿をしていると伝えられる。また、水を司る神であるとも。

 最初、ヤトノカミは村の守護神ではなく、恐るべき大蛇の姿でこの一帯の土地の豊穣を独占する荒ぶる神であった。しかし、ある時これに立ち向かった一人の若い女棟梁が居た。その名をマタチと言う。

 マタチは、村の開拓は、追われし民である我が一族の悲願であり、いかに神の思し召しと言えど立ち向かうと宣言。村の開拓を進めた。当然ヤトノカミは妨害するが、そのたびにマタチは武器を手に立ち向かい、渡り合い、最後にはヤトノカミを山へと開拓を成し遂げたのだった。

 その一方で、マタチは、山に神体を祀るための祠と社を築いて、ヤトノカミを守護神として奉じることを決めた。加えて、生娘であった己の身を封神のためとして捧げることで、ヤトノカミを見事に鎮めたのである。その後、マタチはヤトノカミの力を“ヤドガミ”として身に降ろし、神の妻として、天寿を全うするその時まで、村の平穏を護り続けたという。


「これが、このヤドガミ村の起こりであり、村長を女が務める所以となっているのです。次代の村長となる者には御徴が表れ、霊視を始めとした、神懸かりの力が徐々に開眼いたします。私も、そうでした」

 村長は、懐かしいものを振り返るように、遠い目をしながら語った。

「なるほど…。あの、つかぬ事を伺いますが…その…」

 ナズナは、少し遠慮がちに言葉を紡ぎ、村長はそれを微笑みで応じた。

「はい。この身は男を知りません。きっと、これからも知らぬままでしょう。もし子を身籠ることがあるとするならば、それは、時代の村長を産み落とそうとするヤドガミさまの御子でしょうね」

「ふむ…」

 ナズナは、それ以上は敢えて何も口にしなかった。気持ちを言葉にするのは簡単だったが、それをここですることは、どうにも憚られたからだ。

「そうなると、この霧や、村全体の薄いもやは、ヤドガミさまの守りという事ですかね」

 代わりに、今起こっている現象に話題を変えた。村長も頷く。

「そうなのかもしれません。水の霊力を司る神様ですから。身を護るのなら水に関わる手段で、でしょうね。何か気になることでも?」

「ああ、いえ。患者さんの家の屋根に、濃い色のもやがあったものだから、気になっていて…。もしもヤドガミさまの加護であれば或いは、と」

「なるほど。ただ、そのような伝承は聞いたことが有りませんが、その昔、外敵から村を守る時に村全体を霧に包み込んだとか。ならば、村人の危機を報せるものを御遣わしになったとしても不思議ではありませんね」

 ナズナと村長、二人してうんうんと考えを巡らして幾つかの推論を交わすも、これと言った進展はなかったため、議論を打ち切って別の話をすることとなった。

「では、友人らしい話を致しましょう!一度、そのような会話をしてみたいと、思っておりまして」

 次の話題に迷っていると、村長が声を上げた。

「友人らしい話、と言うと?」

「あっ、それはですね…」

 そうして今度は、村長の提案で、身の上話や世間話などの雑談となった。

 まず、女児のころから村長としての修行に入ったことで、同年代や近い年代の女性が送る生活に縁の無かった彼女は、ナズナに、ナズナ自身のこれまで生活や、薬師として立とうと考えた経緯などについて尋ねる。

「そうですねぇ…。特に何か特別なものが有るというわけでもないんですが…」

「ふむふむ」

 尋ねられたナズナは、少し困ったようにはにかみながら、少しだけ前の事を思い出す。

 魔法師の勉強をするために故郷を出て、大陸の大都市で一人暮らしを始めて、同じ一人暮らしでも勝手の違いに戸惑ったり、人の流れに四苦八苦したりを繰り返し、身近な友人と、一つの夢を得て、一人の魔法師として今ここに立っているのだと、彼女は語る。

 薬師になるという志は、その中途で得たもので、今の自分の行動力はそこに由来しているのかも知れない、とも語った。

「……」

 村長は、ただただ静かに話を聞き続け、全てを聞き終わった後に、ほうと息を吐く。

「良い、経験をされたのですね。ナズナさん」

「ええ。物語にあるような特別なことは何もありませんが、その生活が、私に今をくれたのです」

 ナズナの言葉に村長は微笑み、ナズナは快活そうに笑った。

 それからまた、しばらく話をしていると。再び離れに近付く人の気配を感じた。

 その気配は真っ直ぐにナズナの部屋を目指し、そして。

「村長様、ナズナさん。お二人に面会を希望される方が、見えております」

 障子戸の向こうから、事務的な口調で用件を伝えた。

「はーい。直ぐに伺います」

「あらまあ、直ぐに参りますと、お伝えください」

 二人は顔を見合わせ、くすりと笑い、そして同時に立ち上がった。


 その訪問者とは、シズのことだった。

 務めを果たすための服ではなく、シズとしての服で参上した彼女は、ナズナが現れるなり、平身低頭もかくやと言える勢いで、頭を下げた。

「あら、シズさん?」

「ナズナさん…。有難う御座いました!」

 頭を下げたままの状態で、周囲の誰彼に構うことなく、何処から出たものか、まるで力を絞り出したような大きな声で礼の言葉を述べた。

「とにかく、落ち着きなさい。貴方のお父様、セイベイ殿のことでしょう?顔を上げなさい。慇懃も過ぎると、客人に失礼ですよ」

「あ、はい。すみません」

 村長の優しくも毅然とした口調に、シズは静かに顔を上げた。

「それで、何かありましたか?」

 ナズナは、既に話を聞く態勢を整えており、シズの正面に座って彼女を見据えていた。

「はい。薬を服用してから少し経った後、父が湯気のような煙を吐き出して驚いたのですが、その後は見る見るうちに回復し、さっきまで裏庭の畑仕事に出ると言って聞かない程にまでなったのです」

「ほう。その煙を吐いたというのが少々気になりますが。それは何よりです。ナズナさんの調薬は、正しかったという事ですね」

 心底嬉しそうに報告するシズに、微笑む村長。二人に見られ、ナズナは少々恥ずかしそうに頭を掻いた。そして、懐に忍ばせていた薬包紙を取り出すと、そっと卓上に置いた。

「これは?」

「これは後飲み用の薬でね。それと、湯気のような煙を吐いたのなら、もう大丈夫です。霊虫は外に出ていますよ」

「本当ですか!?」

「ええ。アシヤドリマイマイは、水に寄ってくる霊虫でもありますから。その性質も、水の…」

 そこまで口にして、ナズナはふと口を閉じ、何かを考えるような仕草を取った。

「ナズナさん?」

「どうかしたのですか?」

 唐突な沈黙に、シズと村長が首を傾げる。

「そうか。水か。だからヤトノカミの祠に…」

「ナズナさん?大丈夫ですか?」

「え?ああ、ごめんなさい。大丈夫です。ともかく、もうセイベイさんは大丈夫です。そこの薬をお飲みになり、お渡しした小瓶の薬液を、伝えた用法通りにお使いください。それで完治します」

 二度目の呼びかけに我に返ったナズナは、取り繕う様に事の次第を告げる。その言葉にシズは喜び、村長もここからの称賛をナズナに送った。

 しかし、当のナズナは笑みを浮かべて応じていたものの、思考に何かが引っ掛かっているのか、どこか心ここに在らずという様子だった。


 その後。ナズナは許可を貰い、独りでヤドガミさまの祠に立っていた。

 ご神体である水晶体は、変わらずの透明度と輝きを見せ、周囲の霧を隔てるようにそこにあった。

「…」

 ナズナはただ静かにそれを見つめ、そして、一瞬で瞳を銀色の魔眼へと切り替えた。視界が一瞬で蒼く染まり、その直後に色が分けられ、そしてその後、ご神体の周辺のみが赤色に染まった。台座や、その周囲には、新しくナメクジの這ったような跡が幾筋も見えた。

「あー。やっぱりそう言う事だったんだね」

 その様子を見た彼女は、何かを確信したように頷く。

「まあ、魔力を帯びた存在にこんな状態にされたら、守らないとって、危機感は覚えるよね。ただ、こいつらは目に見えないし、村長様もここには来ないようだから。なら…」

 ナズナは鞄から薬瓶を取り出し、その中の薬液を水路の水を使って希釈し、霧吹きに入れて台座とその周辺に噴霧して回った。すると、赤く浮かび上がった這いずり跡が徐々に消えていき、二、三回と振り掛けるうちに、見えなくなった。

「これでよし。少しは、すっきりしました?振り掛けた薬液は、すぐに揮発して消えますからね。アシヤドリマイマイも、この霊脈が落ち着けば山の方へと去っていくと思います。少し辛抱してくださいね」

 それだけ言うと、ナズナは魔眼を消し、片付けを始める。場を覆う空気は特に変化を見せなかったが、ナズナはもう、それ以上変わった何かをすることも無く、村で醸造されている酒と神式の礼を捧げてから、その場を後にする。


 祠から戻ったナズナは、その後、アシヤドリマイマイによってもたらされた霊障の解決が確認されるまでの間、ヤドガミ村に滞在。そして、全ての患者が回復したことを確認した後で、患者に与えたものと同じ調合薬の予備を作って村長に託した。


 出立の日。

 ナズナは、村長達からの見送りを受け、ヤドガミ村の北里を背にしていた。

 少し歩いた後、一度だけ振り返ると、村長の屋敷を覆っていた濃霧は晴れ、全ての景色が、元々の薄いもやで包まれて見えている。

 元は神の土地であり、その後、人の手により神が追われて開拓され、それが今は、互いを護りながら共存する道を選び、生きているように見える。かつてがどうだったかは分からないものの、少なくとも村長を始め、平穏に生きてもらいたいと、願わずにはいられなかった。

 ふっと笑うと、再び背を向けて歩き始める。

「ああ、そうだった。最初に出会った患者さんにも薬を届けないとね」

 そのまま、彼女は何かを気にすることも無く、軽やかな足取りで、最初にして最後の霊障患者の下に向かうのだった。


※「星降り島の薬師~おいでませ金平堂~ 巻之壱」はこれにて完結となります。ここまでのお付き合い有難う御座いました。

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