解決?ヤドガミ村の病
翌日の早朝。ナズナは、机の上で突っ伏した状態で目を覚ました。
「あれ?私、寝てたんだ…」
顔を上げ、体を伸ばすと、直ぐに近くに置いてあった薬瓶を視界に収める。その中には、薄暗がりでも分かるほどの翡翠色の薬液が入っており、辺りの暗さを解消するために灯した蝋燭で照らすと、それが非常に透明度の高い物であることが分かった。
「うん。ばっちり完成してるね。私の予想が正しければ、これできっちり治るはず」
薬瓶の中身が見せる輝きに数度頷いたあと、ナズナは立ち上がり、鞄の中から懐中時計を取り出した。時刻は朝の五時を軽く回った頃合いで、いつもよりも早い起床時刻だった。
ふと耳を澄ますと、何処からか、朝の鍛錬と思われる掛け声が聞こえたので、ナズナも合わせて体を動かす。
(さて、朝の鍛錬をしてるなら、お水、借りられそうだね)
ある程度体を動かした後、彼女は鞄の中から肌着の替えを取り出し、蝋燭を消してから、目覚まし代わりの水浴びに向かった。
水浴び、着替えを終えたナズナは、早速、村長の下を訪ねる支度を整え始める。
「資料、薬瓶…」
持ち出すものを確認して鞄に一つずつ収めていく。
「髪の毛、服装、香り…」
次に姿見を確認して髪を整え、身だしなみを仕上げるための防臭用香水を服に振り掛けていく。
日頃から様々な点に気を遣ってはいるものの、旅からの訪問と違い、日を跨いでから、貴人の下を訪れる際の礼節のため、入念に行っていく。そう言うものは気を遣いすぎるくらいでちょうどいいと、彼女は、ある人物から教わっていたからだ。
「良し…!行こうか!」
全ての準備を終え、ナズナは意気揚々とその場を後にした。
「こちらでお待ちください」
どこか無愛想な雰囲気を持つ御付きの人物の指示で、ナズナは部屋の少し向こう側で待つことになった。
村長と会うこと自体は約束済みなので、その点については問題ないはずだが、今回出会った御付きの人物は、昨日の人物とは違ったため、事情の説明が通っていなかったようだった。
「お待たせ致しました。こちらへどうぞ」
その人物は、あまり感情を表に出すような人間ではないのか、終始事務的な対応で、ナズナを案内し、役目を終えると、そそくさとその場を退去していった。
「ごめんなさい。彼女、ここに来てまだ日が浅いのです。どうか御容赦を…」
その人物が去った後、村長から彼女について弁明が入り、村長は苦笑を浮かべた。
「ああ、なるほど。そういう事情だったんですね。お気になさらず。私も気にしていませんので。それで、早速ですけど本題に…」
ナズナは微笑を浮かべ、鞄を前に置くと、中から、昨日のうちに準備した、または先ほど準備した物たちを取り出し、並べた。
「結論から申し上げますが、今、この村を襲っている病は、ある寄生生物の性質によるものです」
「寄生生物…ですか?それは生き物ですね?どのような生き物なのですか?」
村長が不思議そうに首を傾げる。
「えっと…」
寄生生物と言う単語に馴染みが無いのは当たり前で、ナズナにしても、その区分を知ったのは去年の話で、更に、この区分が設けられたのもここ十数年のことで、それから認知されたものだからだ。
つまり、かいつまんだ説明が必要ということだった。
「寄生生物とは、簡単に表現すれば、他者に宿ることで生存したり、子孫を残したりする生き物たちのことです。基本的には共存しますが、時に害を及ぼすこともあります」
「なるほど…、面白い性質の生き物もいるのですね。それで、今回の病の原因もその、寄生生物、によるものなのですね。どのような影響なのですか?」
理解と言うよりも、ナズナの言葉への信頼によって納得した様子の村長に、ナズナは昨日に行った考察の経緯と結果とを、資料を交えて説明する。
アシヤドリマイマイと言う名前の霊虫が居るということ。霊虫とは何か。どのような性質を持っているのか。アシヤドリマイマイはどのような性質を持っているのか。そして、それが何故、病の原因と言えるのかについて。全てを、出来る限り分かりやすく村長に伝える。
「今回の病の原因である、その、アシヤドリマイマイと言う霊虫は、それそのものは無害なのですね?」
採取したアシヤドリマイマイの残骸や、その粘液が残された苔の標本を、魔力を感知する眼を通して観察しながら村長が尋ねる。
「はい。ただ、村長さんが霊視されているその標本は、通常の視界では捉えられません。加えて霊的な抵抗力の弱い人間がそれに接触してしまうと、憑りつく形で寄生します。結果、本来の宿主ではない体に、悪い影響が出てしまうのです」
「なるほど…。それは何と言いましょうか。悲しい話ですね」
静かに呟くと、村長は標本を畳の上に置いた。
「ええ。言い方は悪いですが、間が悪かったのでしょう。アシヤドリマイマイは餌を求めて祠に入り、そこに偶然、清掃の人や参拝客が居合わせた」
「それが重なってしまった不幸、だったのですね。それで、治療の方法は、見つかったのでしょうか?」
しんみりとした空気から、一転して、次にあるだろう希望へと話題が及んだ。ナズナは頷き、先ほどの、翡翠色の薬液が収められた薬瓶を取り出す。村長は、その透明度の高い翡翠色の液体に、目を見開いた。
「これはまた、美しい色合いですね。薬でしょうか?」
「はい。翡翠肉桂と呼ばれる霊力を有する植物の樹液に、複数の生薬を溶かした薬液です。今回の件が、真にアシヤドリマイマイによるものであるならば、この薬を服用すれば治ります。もし違ったとしても、現状の虚弱は改善するはずです」
その言葉を聞いて、村長はばっと顔を上げ、表情を輝かせた。
「それは凄い。直ぐにでも試しましょう!」
「お待ちください。どうか冷静に」
すぐにでも手を叩いて御付きの人物を呼ぼうとしていた村長を制止し、ナズナは一つ息を吐いた。
「まず、薬を試して頂きたい方が居るのですが、いかがでしょう?」
「ふむ?構いませんが、それは、どなたでしょうか?」
冷静さを取り戻した村長が、ナズナの提案に小首を傾げた。
「昨日の、御付きの女性で、お父様が、この祠の清掃役を担っていたと言っていたシズと言う人が居りまして。その方のお父上に試して頂きたいと思い…」
「ああ…。それは、セイベイ殿ですね。シズにも辛い思いをさせてしまいました。委細、分かりました。しかし本日は、シズは休みですので、家の場所をお教えしましょう」
ナズナの申し訳なさそうな微笑に、村長は快い笑みを浮かべて応じ、近くに置かれていた紙と筆を持ち、簡単な地図を描き、ナズナに差し出した。
「有難う御座います!」
受け取ったナズナは、それを筒状に丸め、布で包んだ。
「すぐに向かわれますよね?」
「あ、はい。少しだけ間を置きますが、そのつもりです」
「では、セイベイ殿に、あまり無理はしないで下さいと、お伝えくださいませんか?使いまがいの事で恐縮ではあるのですが、彼が床に臥せってより一度も見舞いに行けておりません。ですので、せめてもと」
村長が、どこか顔色を窺うように言葉を紡ぐが、今度はナズナが、快い笑みを浮かべる。
「分かりました。お任せください」
「有難う、御座います…」
そして互いに笑顔を向け合い、ナズナは場を片付けて離れへ、村長は公務へ、それぞれやるべきことへと向かうのだった。
それから一時間ほど後。ナズナは地図を頼りに、村長の屋敷近くに位置するシズの家を訪れていた。他の家よりも少し高台にあり、造りも、通常の村民のそれよりも少しだけ大きく作られていた。見ると炊事場辺りからは煙が立っており、敷地に出入りする場所に立つと、家の中からは楽しげに話す若い女の声と、少々元気はないが貫禄ある男性の声とが聞こえてくる。
しかし、何よりナズナの目を引いたのは、屋根の上に滞留する濃い色のもやだった。
「あのもや…もしかして。いや、それはそれとして、声がお元気そうで良かった」
ナズナは、もやの事はいったん脇に押しのけ、聞こえる声の明るさと同じように軽やかな足取りで敷地へと入った。
「ごめんくださーい!」
玄関口の前に立ち、それなりの大きな声で呼ぶ。すると、中の方でバタバタと誰かが急ぎ動く音が聞こえた。
「はーい、どちら様で…あら、ナズナさんではないですか。どうかされたのですか?」
急ぎ出てきた女性、シズは、ふわりと味噌の香りを漂わせながら、割烹着姿でナズナの前に姿を現した。
「朝早くにすみません。どうしても、早くにこれをお届けしたくて、ですね…」
そう言うと、ナズナは鞄の蓋を開け、中から翡翠色の治療薬が入った小瓶を取り出した。それは変わらず透明度の高さを見せており、加えて、陽の光を浴びて宝石のように輝いて見えた。
「それは、何でしょう?薬ですか?」
「はい。今回の病の治療薬です。まだ仮のものですが、少なくとも虚弱の回復には力を発揮できると思います」
「!」
ナズナの言葉に、シズは目を見開いた。
「昨日の調査で、あることが分かりまして。その情報を基に作ったものです。試してみませんか?」
「ナズナさん…。有難う御座います。是非使わせてください」
すると。
「シズよ。中に入って頂いたらどうだ?立ち話もなんだろうから…」
シズの後ろから、貫禄ある男性の声が聞こえてきた。視線だけ送ると、そこには少々疲労の色が見えるものの、声質の通りに貫禄の感じられる壮年の男性が立っていた。
「あ、そうですね…。すみません、ナズナさん。中へどうぞ」
「有難う御座います。お言葉に甘えて、お邪魔します」
シズの案内に従い、家の中へと向かった。
そこから居間に通され、対面で座ったナズナとセイベイの間に、お茶が二人分並べられた。
「ナズナさん、で宜しいかな?」
年季の感じられる顔に優しげな微笑を浮かべ、セイベイが尋ねる。
「はい。フモト村で薬屋を営んでおります」
「シズから聞いているよ。何でも、島の流行病を治療する薬を作って下さった方だとか」
「あれは、皆さんの協力があったればこそでしたから…。ああ、それでですね…」
少しくすぐったそうにはにかみ、ナズナは本題へと話題を逸らし、先ほどシズに見せた薬瓶を、自分のお茶の前に乗せた。
「これが、例の?」
目の前に置かれた翡翠色の薬液で満たされた薬瓶を、セイベイが興味深そうに見据える。
「はい。今回の病に効果が期待できる調合薬です。虫下しと滋養強壮薬を混ぜ合わせたものなので、少々味は悪いですが、効果はあるかと」
「なるほど…。うん?虫下し?今回の病は、虫が関わっておるのですか?」
「虫なのですか?」
ナズナの行った説明に、セイベイとシズの両方が目を丸くする。
「えっと、それはですね…」
ナズナは頬を掻き、村長に話したものと同じように、自分の分析と考え、その根拠を解説する。やはり霊虫や、寄生生物と言う馴染みの薄い単語に対してピンと来ないのか、その辺りの情報についても、同様にかいつまんだ説明を行う必要があった。
「なるほど…。不思議な生き物も居たものですな…」
「この度の病は、その、アシヤドリマイマイを、専用の虫下しで除く必要があるわけですね」
「はい。アシヤドリマイマイそのものには何の毒性も無いので、それで終わりです」
そこまで説明を終えると、ナズナは同じ翡翠色の薬液を収めた小瓶を三本取り出し、卓上に並べる。
「これが三日分で、朝、一日一本が適量です。あとは、これが苦みの緩和薬です。」
そう言って、更に粉薬を包んだ薬包紙を三つ並べた。
「これで、治るのですね」
「はい、合っていれば。ただし、今回は虚弱状態の改善も同時に行いますから、効果が出るまでに少しだけ時間が掛かります。この薬を服用して生活し、翌日の朝にいつも以上の疲労感が出なかったなら、虫下しの効果も出ていると判断できます」
シズの期待に満ちた眼差しに、あくまで冷静に、ナズナは全ての説明を行った。
一方、セイベイは、ただじっと翡翠色に染まった小瓶を見つめていたが、一度ゆっくりと頷いて、小瓶を手に取った。
「使わせて頂く。俺は貴方を信頼したいと思う、ナズナさん。何より皆を救おうと作ってくれたものだ。喜んで使わせて頂こう」
そしてそう言い、彼はにっこりと笑ってから、小瓶の薬を口にした。この言葉と行動にシズも小さく頷き、残り二本の小瓶を受け取った。
「う…苦い。これは物凄く、効くな…。目が覚める」
薬を飲み干したセイベイが顔を歪め、苦みの緩和薬を茶で流し込むように飲み苦笑を浮かべて見せた。
「ふふ…。父さん、凄い顔」
その苦笑に、シズが明るい笑顔を見せるのだった。