調査!ヤドガミさまの祠
ナズナは、早速“ヤドガミさま”のご神体が安置されている祠へと向かう。
そこに向かうための道も濃霧に包まれており、出入り口から既に視界不良の状態に陥っていた。
『宜しいですか?祠への道は一本道です。真っ直ぐにお進みください。何が見えたとしても、必ず直進です。覚えておいてください』
この道に入る前に、村長から教えられたことを何度か頭の中で反芻しつつ、一歩一歩、濃霧の中へと踏み出す。
「まあ、ここまで濃い霧の中だと、むしろ足を踏み外さないように気を付けるべきかも知れないね…」
満足に利かない視界の中、今自分が踏んでいる板敷の軋みや、横の手すりが本物であることを祈りつつ奥へと向かう。その間、外気の流れだけは心地よく肌で感じられ、ついでに、その風の流れで濃霧が晴れはしないかと期待しながら。
数分ほど歩くと、道の分岐が見えてきた。
「これかぁ」
濃霧でよく分からなくなっているが、左右に一本ずつ道が続いている。いずれも丈の美しい並木の中を続く階段になっており、片方は下へ、もう片方は上へと向かうものとなっている。どう見ても直進できる道はない。
しかし、村長の言葉を信じるならば直進以外の選択肢はない。ナズナは迷うことなく、躊躇することなく、目の前に見えている竹林を踏みしめるが如く直進した。
その瞬間。目の前の分岐や竹林が煙のように消え失せ、まるで霧が晴れるように奥へと続く道が表れた。
「おー。これはまた中々、面白いかもね」
流石に今ある濃霧は晴れなかったが、それでも目の前の空間が急速に変化していく様子と言うのは、彼女の興味を大いに引いた。
「でも、これって何なんだろう。防衛術の類?」
魔法師としての好奇心から、魔眼へと瞳を切り替えて周囲を探査するも、周囲の魔力による濃霧の影響を切り離さないと、大して役に立たないことが分かり、すぐに止めた。それを少し残念に思いながらも、後に仕組みを知る楽しみが残ったのだと考え直し、更に意気揚々と奥へと向かった。
そこからも、幻覚による分岐が数度あった。二回目は左右への分岐、三回目は完全な行き止まりで、四回目に至っては、直進すると断崖に向かって飛び込むことになるという、恐怖を与える分岐も襲い掛かってきた。
「多彩にも程があるよね、これ…。うん?あれ?」
それら全てを躊躇なく踏破し、迷うことなく直進を続けるスズナの前に、突如石畳の敷かれた、開けた空間が姿を現した。
やはり濃霧立ち込める中なので視界は悪いものの、空間の中心に当たる部分には大きな塊が鎮座しており、濃霧の中でも分かるほどの、魔力的な気配を放っている。
その周辺には、そこから伸びていると思われる水路が引かれているのが見えた。更に奥からは風も吹いており、今居る場所が開けている場所であることをより強く確信させた。
スズナは、身に着けている装飾品類の状態を確認した後で、一歩前へと踏み出す。
「これは…。着いたかな?」
濃霧を分けるようにして中央に近付くたびに、そこに鎮座する塊の影が濃くなり、次に形が、最後に色と姿が、ナズナの目の前に明らかにされていく。
そうして姿を現した塊の正体は、魔力を放つ薄紫色の水晶だった。それは何故か濃霧の抱擁を拒否するように、それが安置されている円形の台座がある場所の内側では、周囲の霧による影響が出ていないように思われた。
そんな物体が、立派に誂えられた祠に、抱かれるようにして守られている。
「さて、と…」
ナズナは早速、鞄から必要な道具を取り出し、瞳を魔眼に切り替えてから調査を開始する。切り替えた瞬間、周囲が魔力を有する物と接した場合の状態一色に染まった。
(まずは周囲の魔力反応を区別できるように…)
目を閉じて意識を集中し、魔眼の有する性質に制限と、条件を固定していく。
魔眼に映る景色には、魔力を持った物体の本体は青い光を纏っているように見える。しかし、周辺の物体が全て魔力を帯びている場合は視界が一色に塗り潰されるために、物体ごとの色分けや、特定の物体の魔力を認識しないように、その都度切り替えを行う必要があった。
様々な条件付けを意識下に固定化してから、再び目を開ける。今度は、きっちりと風景、物体本体、周囲の魔力状態を分けて視ることが出来るようになっていた。
「ふぅ…。これにも慣れてきたから良いものの、ねぇ」
苦笑を浮かべつつ、ナズナはご神体周辺の探索を始める。
始めに、ご神体本体を調査する。
ご神体は薄紫色の水晶体で、反対側が透けて見えるほどの高い透明度を持っている。大きさとしては、一般的な人を数倍した程度の大きさを誇っている。また魔力を有し、魔眼でそれを見た時の色にも反映されている。
しかし、特に変わったものが有るようには感じられない。
(ご神体本体には異常はなし…?)
ナズナは、それらの調査結果を持参した紙束に書き込んでいく。
次に、台座と水路へと対象を移した。
それぞれに文字が彫り込まれており、いずれも島に古くから伝わるという古語ばかり。前文の意味は把握できないものの、一部の単語から、それが村を守る目的で造られているものだという事を推測することが出来た。そして、当然のようにこれらも魔力を帯びている。
「台座に問題なし。水路そのものにも、特に問題なしっと…。なら、次はこれだね」
そう言うと、ナズナは鞄から空の小瓶と、魔力を帯びた何らかの薬液を四種類ほど取り出して並べた。そこから小瓶に水路の水を採取し、中に薬液を数滴ほど垂らすと軽く振った。そして色が軽く薄青色に染まった段階で蓋を閉め、石畳の上に置く。それを四種類分全てで繰り返すと、それらを放置して、次の作業へと向かった。
最後に調べたのは、周辺を取り囲む濃霧そのものだった。
魔眼を通して視ていると、魔力を帯びたものに対する反応によって視界が一色に染まってしまうので、ナズナは、その時点での認識を切り離し、視界を確保する。逆を言えば、見ている範囲の濃霧内に、それ以外の魔力を感知した場合、全く別の反応として捉えることが出来るという事でもある。
しかし、どちらを見回しても、変わった反応を見つけることは出来なかった。
「特に変わった物はなさそう?そうなると…」
それを確認したナズナは、魔眼による視界はそのままに、先ほど放置した、薬液を溶かした水瓶の確認に戻る。すると、小瓶の中身に一つだけ変化しているものがあることに気が付いた。
「あっ…っと!?」
瓶の変化に気が付いて急に走ったために思わず躓きそうになるも、一度、心を落ち着けてから瓶のある所まで戻った。置かれた瓶に入った液そのものは薄青色のままであったが、一つだけ、異物の影が見て取れた。
「どれどれ…?」
その瓶をよく見ると、それ一つだけに赤く染まった何かが漂っている。虫の抜け殻にある脚のような、或いは脱皮で剥がれ落ちた表皮のようなそれは、はっきりと赤い色が着色されているにも関わらず、陽炎が揺らめいているような不安定な姿で、そこにあった。試しに魔眼の効果を切ってみると、残骸はほぼ全てが視界の中から消失した。
一見するとただの残骸が浮いているだけのものだったが、これが、ナズナにとっては重要な手掛かりだった。
「これなら間違いなさそう?あとは、これもだね」
彼女は早速、薬液を入れた小瓶を専用の容器に収納すると、今度は台座に付着している苔を少量採取し、それを最初とは別の液を満たした小瓶へと収めた。
「これでよし。あとは戻って、この残骸を調べるだけだね」
それら全てを鞄にしまい、片付けを終えると、忘れ物の有無や装飾品の状態を確認してから、広場の出入り口に向かった。
特異な場への出入りには、行きはよいよい帰りは恐いと言う詞の童歌にもあるように、心持ちのうえで一筋縄ではいかないものだが、取り巻く濃霧の色が薄空色に変化したということ以外は別段何かが起こることも無く、むしろ最初よりも短い時間で戻ることが出来た。
板張りの床を踏む音も、今のナズナの心持のように軽快に響いている。そのまま進むと、屋敷内へと戻るための扉が見えてきた。
しかし彼女は、すぐには扉に手を掛けず、まずは鞄を開いて、中から小さな霧吹きと、邪魔落としと言う紙の貼られた薬瓶を取り出した。霧吹きは空で、瓶には薬液が満たされている。
「忘れないうちに、シュッ、シュッと…」
ナズナは霧吹きに薬液を入れ、それを自分の体に向けて振り掛ける。爽やかな薬草の匂いが鼻を勢いよく突き抜けていった。
そして十数秒後。薬液の香りが弱くなったことを確かめると、改めて扉に手を掛けた。
「あ!お帰りなさいませ、ナズナさん。何か、分かりましたか?」
扉を滑らせ、鴨居を潜ったところで、ちょうど近くを通りかかった村長御付きの女性が、慌ててナズナを迎えた。その表情には何処か期待を湛えているものの、ナズナはゆっくりと首を横に振って見せた。
「目星は付けましたが、まだ確定には。これから、それを細かく調べるところですよ」
「そうなのですね…。すみません。父も被害者なものでして、焦りが出て…。では、離れにご案内します。こちらへ」
女性は少しだけ落胆の気配を見せたものの、直ぐに気を取り直して自らの業務へと集中し始める。ナズナはその気遣いに申し訳なさを感じつつも、彼女のためにも半端な仕事は許されないと、気持ちを新たにするのだった。