ごめんなさい、連載で投稿やり直します。ゼロからわかる吸血鬼 小説に役立つ設定モトネタ1
すみません、操作ミスったので続きも含めて連載で投稿やり直します。
ブクマしてくださった方、ごめんなさい。
こちらはしばらくこのままにします。
小説を書くときに「ああ、○○について、ぱっと読んで概要がわかったら便利なのに」と思うことは多いと思います。
そのお役立ち資料として使っていただきたいな、ということで色々書いていこうと思います。
基本的には複数の書籍・論文に目を通して書いているので、Wikipedia丸写しとかではありませんので、ご安心を。
最初は、吸血鬼。
よく小説とかで強キャラとして出てきますね。「怪異の王」とか。
とはいえよくよく考えると、吸血鬼はそこまで歴史のあるキャラでもなく、またけっこう弱いのです。とくにドラキュラ伯爵、超弱い。
以下、吸血鬼の概要を見ていきましょう。
まず、吸血鬼っぽい存在で、一番古いものはなにか? というと、たいていの本はギリシャ・ローマ神話の
1、エンプーサ
2、ラミア
3、ストリクス
あたりが挙げられます。いずれも女性の姿をした妖怪です。
1のエンプーサは、死後の世界の有力な神である、ヘカテに従う妖怪です。
夜、美女に姿を変えて眠っている若い男のところに行き、誘惑しちゃいます。
うらやましいと思ったあなた。ことを致した後に血をすすったり食い殺しちゃったりされちゃうので要注意です。
2のラミアは、もともと普通の人間でした。しかしゼウスに誘惑されて生んだ子供を、ゼウスの妻ヘラによって殺される、というギリシャ神話によくある鉄板パターンによって化け物と化し、子供を食い殺すようになります。
3のストリクスは鳥の形をした女の妖怪で、赤ん坊や若者の生き血を啜ります。これ自体はしょぼい妖怪なのですが、のちに吸血鬼伝承が生成される東欧で、吸血鬼をあらわす「ストリゴイ」の語源とされています。イタリア語の「ストリガ」は魔女を意味します。つまりストリクスは、魔女や吸血鬼の語源となりました。
以上、最古の吸血鬼っぽい存在を挙げましたが、これらはおそらく吸血鬼の直接のモデルではないだろう、とされています。
世界に目を広げると、たとえばインドには屍鬼、中国にはキョンシー、といった動く死体の怪異がありますが、それらも直接的な吸血鬼のモデルではありません。
とはいえ、人類は昔から、相手の生気を奪う存在として、血を啜ったり身体を喰らったりするという妖怪をイメージし、恐怖していた……とは言えるでしょう。
中世には、のちに吸血鬼のモデルとなった実在の人物が何人か登場しました。
1、ジル・ド・レ(1400頃~1440)
2、ヴラド・ツェペシュ(1431~1476)
3、エルジェベト・バートリ(1560~1614)
いずれも歴史的有名人なので、説明しだすときりがないので概要だけ説明します。
1のジル・ド・レはフランスの貴族で、百年戦争ではジャンヌ・ダルクとともに戦った英雄です。
ジャンヌの捕縛後、錬金術に傾倒して、血の中に賢者の石を探すという名目で数百名の子供を拷問の上、虐殺しました。最後は裁判で殺されました。
2のヴラド・ツェペシュはルーマニアの貴族で、オスマン帝国の大軍から祖国を守った英雄です。数千人の敵を串刺しにして処刑したことで有名です。最後は戦死しました。
「ツェペシュ」というのは「串刺し公」という呼称で、同様に「ドラクル」、つまりドラゴンのような強さだ、といった呼称もありました。のち、『吸血鬼ドラキュラ』の直接的なモデルです。
エルジェベト・バートリはハンガリーの伯爵夫人です。所領の若い娘たちをさらっては拷問をして殺し、その血を飲んだり、血の風呂に入ったりしました。総勢300人ほどが犠牲になったと言われています。最後は裁判により幽閉され、そのまま衰弱死しました。
これらの人物は当時、現在のような「吸血鬼」イメージで語られたわけではありません。
むしろ後年に「吸血鬼」のモデルと「再発見」されたというのが正しいでしょう。
さて、「吸血鬼」はいつ西欧諸国に「発見」されたかというと、17世紀~18世紀です。そのころ、西欧諸国に東欧諸国から「吸血鬼」の報告がたくさん届きました。
たとえば、こんな感じです。
ある村で眠っている間に人が殺される、という事件が相次いだ。最近死んだ男の墓を掘り起こしてみたら、まるで生きたままのようだったので、串を胸に刺して焼却したら、夜の殺人が止まった。
「へえー、東欧ではそんな奇妙な怪異があるのか」と、西欧諸国で多少、話題になっていったのです。
つまり、それまで吸血鬼は、東欧諸国のマイナーな怪異にすぎなかったのです。
吸血鬼はあくまで民間伝承として語られてきた存在です。
「人狼」「魔女」「夢魔」あたりと同様、市井の一般庶民の間で語られる怪異でした。
平賀英一郎氏は『吸血鬼伝承』(2000年/中公文庫)の中で、吸血鬼伝承の発祥地で語られる「吸血鬼」を意味する4つの単語のうち、3つは、それぞれ「人狼」「魔女」「夢魔」の転用だと指摘しています(うち、「魔女」は前述の怪鳥ストリクスがさらなる語源です)。
「人狼」はいわずもがな、当時の人々にとって恐怖の対象だった、オオカミの影響があります。群れで襲ってくるオオカミは中世の人々の脅威であり、また狂犬病も恐ろしい病気でした。
「魔女」は、魔法への恐れですね。超常的な力が信じられていた時代、魔女は畏怖の対象でした。
「夢魔」は、夜にやってきて性的な行為をする化け物です。恋人がいないはずの誰かが妊娠した時、「夢魔」のせいだとされました。
以上の3つと並べて考えれば、「吸血鬼」が庶民の間で恐れられていた理由は明らかです。キリスト教圏のような土葬文化においては、死体が動き出すのではないか……という恐怖は、根源的なものだったからでしょう。
また、中世においては、ある村で不幸な事件が重なったとき、理性による犯人捜しよりも、感情を納得させるための犯人捜しが求められることがしばしばありました。
そこで生きた誰かをスケープゴートにすると「魔女狩り」「人狼狩り」になるわけですが、死者をスケープゴートにすると「吸血鬼狩り」となったわけです。
「吸血鬼」の本場である東欧諸国では西欧諸国よりも相対的に「魔女狩り」の惨禍が小さかったのは偶然ではなさそうです。
ではなぜ、「吸血鬼」の本場が東欧なのか。西欧諸国だって土葬文化です。なぜ東欧諸国において、動く死体の伝承が隆盛を極めたのか。
それは東欧で活躍したブラド・ツェペシュが、誰と戦っていたかを考えればわかります。そう、オスマン帝国です。
魔女狩りや吸血鬼狩りなどヨーロッパ全体がヒステリックになった端緒はなんだったか。
ペストです。軍事的に強大なモンゴル帝国の侵略は、ペストという恐ろしい病気の流行をヨーロッパ諸国にもたらしました。
その後、ペストはなんどか小康状態になったり、再び大流行したりを繰り返しながら、18世紀まではずっと恐怖の対象でした。
そして、オスマン帝国との攻防を繰り広げていた東欧諸国には、しばしばオスマン帝国からペストがもたらされていたのです。
ペストになると、当時のキリスト教圏では感染者を放置して逃げたり、隔離したりするのが常でした。多くの人々が実際には死んでいないのに放置され、埋葬されていきました。
墓の中で蘇生した人は必死に脱出しようと悶え苦しみ、死んでいったことでしょう。もし、その墓を誰かが掘り返したら……墓の中で生き返った、まさしく「動く死体」の実在の証拠となったはずです。
なお、そもそも土葬の場合、いろいろな条件が重なると腐敗が進まない屍蝋となることもあります。ミイラみたいなものですね。これも、多くの人を恐れさせたことでしょう。
さて、実は、歴史上の吸血鬼は、以上でほぼ語りきったことになります。
そのような、ヨーロッパ全体ではマイナーな存在であった吸血鬼。それがすごくメジャーな怪異となったのはなぜか。
それは19世紀の文学です。
分量がかなり膨れ上がってきたので、19世紀文学に吸血鬼が登場してから『吸血鬼ドラキュラ』に結実するまでの流れは、次回更新とさせていただきます。
『吸血鬼』『カーミラ』『吸血鬼ドラキュラ』の3作品のあらすじや各作品ごとの吸血鬼の特徴がさらっと分かるようにしますね。