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SKY WALKER  作者: かすがまる
第7章
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不惑の善を携えて・Ⅰ

 どれほど殴られ、蹴られたろうか。


 痛みの他には何も感じられない身体を、シャルルは冷たい絶望を胸に確かめることにした。後ろ手に拘束された腕は、折れてはいないものの、指という指が燃えているかのように激痛を発している。見られなくてよかったとすら思う。


 足は深刻だ。血に濡れている感触があるし、足首がまるで動かない。指は動くのにも関わらずだ。走ることはおろか二度と歩けないのかもしれない。


 腫れあがった目蓋を無理矢理に開いた。素っ気ない小部屋だ。窓もない。


 つまらないところで死ぬんだな、とシャルルは思った。


 およそ世界というものは余所余所しいばかりで、姉が出産しようが祝わず、赤子が難病を患っていようが悲しまず、誰が死のうが知ったことかと動いていく。


 ギャバンは、悪い人間ではなかった。口は悪いがむしろ善人であり、彼の仕事に救われた人も多かろうと思われた。姉クラリスも助けられていたようだし、葬式にも参列してくれた。信心深さもシャルルとは比べ物にならない。


 ヴァレンティンは、悪い人間だったのかもしれない。何につけ流麗で、何かと親切にしてもらったものの、犯罪組織の関係者だ。真っ当に生きる人間を食い物にしていたに違いない。信仰心は窺い知れなかったが。


 何がどうあれ、どちらも殺された。無残に。ゴミクズのように。善悪も信仰も省みられることなく、ただただ強弱だけが生死を分かつ。


 つまるところ、姉は、弱かったということだ。シャルルもまた。


 奥歯を噛もうとして、それがないことに気づいた。唸る。


 これでいいわけがなかった。


 なぜならば、シャルルは正義を知っている。今はろくに開かないその目で見たのだ。一人の不死の騎士が、凄まじい強さでもって戦う様子を。新十字軍の不正義に敢然と立ち向かう在り様を。


 あれこそが善の強者だ。信仰の有無は問題にならない。真の正義を為すのならば神の方から祝福にやって来よう。


「死んでいないだろうな?」


 笑いを含んだ声。薄い扉の向こうからだ。


「生餌だからな。この時この町にクリストファーの血縁がいたのだから我々も運がいい……いや、これも神のおぼしめしかな?」

「どちらかと言えば悪魔の誘いだろう。我らはリンゴを受け取っただけさ」


 不埒な談笑だ、それは。


「リンゴは良かったな。いずれにせよ、念入りに準備しようではないか。閣下は聖戦の前の予行かつ余興と仰られたのだから」

「うむ。ドラゴンスレイヤーの血肉にも期待していいものかな?」

「欠員の補充が優先されよう。その後については、まあ、働きぶりにもよろう」


 ああ……不正義。


 シャルルは眩暈すら覚えた。身体もブルブルと震える。話の内容は意味不明なところばかりだが、口調といい声色といい、人倫にもとる傲慢さが色濃い。


「働いぶりで言うなら、上級騎士クラリスは残念だったなあ」


 姉の名。シャルルは咄嗟に耳を塞ぎたく思ったが、腕を縛られている。何も聞きたくなかった。顔面が冷たくなるほどの、不吉な予感。


「うむ。彼女の千里眼は明らかな異能だった。不死となったなら更なる力に強化されたかもしれないのに」

「ありうることだなあ。心強い同志となったろうに……皮肉にも視野が狭かった」

「うむうむ。大義を理解できないさもしさよ」


 黙れと叫ばんとした口から、しかし、シャルルは一音も発せなかった。どうあがこうとも声が出せない。叫んでいるつもりであるし、息もできているというのに。


「殺してやるしかなかった」


 聞いてしまった。


「仕方あるまい。閣下を疑い、壮挙の障りとなるやもしれなかったのだ」


 奇妙に鋭い聴覚が、言った男の息遣いをすら拾う。


「そうだな……死は、せめてもの救いであった」


 言い終えた二人が、音もなく、笑った。息の吐き方でそうとわかった。クラリス・F・クリストファーという一人の人間の死を、殺害に加担したと思しき男たちが笑ったのだ。どうという価値もない、暇つぶしの話題の一つとして。


 シャルルは脱力した。もはや痛みも苦しみもない。


 激情が白熱を発していて、それ以外には何も感じられない。 


「悪を、許しがたいかね?」


 どこからか問い掛けられたから、肯定した。うなずいたのか「Oui」と答えたのかはわからない。だが、伝わったようだ。


「死は救いなどではない……不死こそが救いだと思わないか?」


 続けて肯定する。その通りだと、シャルルは確信しているからだ。死は敗北であり不幸であり、惨めの極みだと思われた。尊厳すらもない。目の前で、姉はその死をも嗤われ踏みにじられたではないか。


「空に祈りたまえ。救済を願いたまえ。若者よ、君は今、困難の底にあるが……聖なるかな……それは同時に、輝かしい道へと選ばれつつあるのだ」


 肯定を繰り返した果てに、シャルルは目蓋を閉じた。空へと祈った。救いを願った。どちらも同じ言葉で言い表せる。


 不死を。不死を。不死を。


 我を死から遠ざけ、不死の一人と迎え入れたまえ。


 苦しみばかりの身体が運ばれ、広場に吊し上げられても、もはやどうでもよかった。ただ無心に祈り願う。その身の不死を乞う。


 予感に誘われ、シャルルは空を仰いだ。灰色に覆われている。いや、風は吹いている。雲が動いている。チラリと輝かしいものも垣間見えた。抜けるような青と、清らかなる白。


 汚わいに浸り、毒と腐敗のうごめく地上から……シャルルは綺麗なものを探し続けた。

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