諸人の潜みて・Ⅲ
セシルは強い。強すぎる。
どこかネコ科の猛獣を思わせる身のこなしと、爪牙のようなハンドガンの射撃とは、クラリスのよく知るバトルスタイルだが。
そこにカマイタチの切断力と防御力が加わっている。先には異国の剣術とおぼしき動きに振り回されていたが、今は本来の戦闘法の弱点を補うように吸収・活用していて隙がない。
命も奪う。容赦はしているが躊躇いなく。
無闇に残酷なわけではない。効率的に素早く、機会を逃さず、敵を無力化するための決断を下す。
そら、騎士の首をまた一つ刎ねた。落ちたそれを炎の中へ蹴り飛ばす。アサルトライフルを連射してくる修道士たちへは、一気に馳せ寄り、一振りで銃身という銃身を切断した。凄まじい斬り方だ。明らかに刃が都度変形した。
圧倒的なまでの戦闘能力……まるでコミックヒーローのような活躍を、羨望の眼差しで見つめる人間がいる。シャルルだ。
わからないではない、とクラリスは思った。思ってしまった。
弟が自らの死を不審に思い、調べ、新十字軍への疑惑を深めたことは知れている。さぞかし不条理に打ちのめされ、無力感に苛まれたろう。敬虔さであればあるほど、真面目であればあるほど、この世界の真実は残酷さを増す。
そこへ、セシルだ。気高く美しいヒーローだ。たった一人で新十字軍を相手取るその姿は鮮烈に違いない。
ギャバンに引っ張られ、引きずられるようにして逃げていく。何度も振り返る様はオモチャ売り場の子どものようだ。サッカーボールを買い損ねた昔日が思い出されて、クラリスは胸が痛んだ。
家族に会いたかった。台無しになってしまったクリストファー家の団欒を、再び取り戻せたならどれだけ幸福であろう。
子を思った。難病に苦しむ、病院の中しか知らない我が子を。両親を思った。娘を失い、息子もまた危険の中にあり、孫の看病をしながら慎ましく日々を暮らしているだろう父と母を。
しみじみと、クラリスは己が不幸であると実感した。
不死など、死なないだけだ。何も幸せをもたらさない。失われた幸せを思いわずらわせるばかりなら、これは、祝福というよりもむしろ呪詛ではないか。
「……アンタ、どうしてそんなに楽しそうなのよ」
シャルルが駆けていく。息を弾ませ、走ることを楽しむようにして。墓場が空に浮く世界では、どこにも青い鳥など飛んでいやしないというのに。
「しっかりしてよ……アンタだけでも……お願いだから」
ギャバンが立ちどまった。武装した修道士の一隊が行く先に見えたからだ。新十字軍はその場を包囲しつつある。シャルルの動きは緩慢だ。
だから、そら、見つかった。
追われる。ようやくとシャルルも本気で走り出した。今度はそれが速すぎる。ギャバンは老人だ。リズムが合わず、互いに足を引っ張り合っている。何をやっているのか。クラリスは歯噛みしたが。
「こっちだ! シャルル!」
思わぬ助けが現れた。上等な仕立ての服を着た青年だ。シャルルとギャバンを裏道へ引き込み、すぐにも身を隠させる。クラリスの目に、それは随分と慣れた所作に見えた。
「ヴァレンティン! よくここが……」
「静かに。目は誤魔化せても耳と鼻は難しい。意外と知られていないけれどね」
追手をやり過ごしても三人はすぐに動かない。青年が動かさない。周囲の気配を探る様子もまた素人のそれではなかった。
「よし、移動しよう。この先に会員制のバーがある。中世騎士物語かぶれはドレスコードで弾かれるからね。一息つくには丁度いいだろう?」
裏道を行き、幾つものドアを幾本もの鍵で開け、物陰を縫うようにして進む……クラリスは一匹の動物を連想した。蛇だ。陰惨な意味合いとしての、悪の蛇。
狭い階段を降りて、愛想の欠片もない鉄扉の向こうへ。顔パスだ。まだ開店前のように見えるのに、丁重な扱われ方で奥へ通される。電灯に照らされた部屋は広く豪華だ。ヴァレンティンと呼ばれた青年は当たり前のようにしてソファーへ。
「さて、シャルル。質問に答えよう」
何者だ、この青年は。棚から高価そうな酒を取るのにも躊躇い一つなくて。
「君を見つけたのは偶然だけれど、君が出会った人物についてはずっとマークしていたんだ。何だか脱走兵のような有り様のドラゴンスレイヤーには」
「ドラゴン……?」
「おや、君は知らなかったのかい? 彼女はちょっとした有名人だよ。ガロンヌ川のほとりに出現したモンスターを倒した英雄さ……そっちの刑事さんはご存知でしょう?」
「……確かなところを知っているのは、警察関係者でもごく一部だ」
「うん。緘口令が敷かれているからね。あなたは個人的な親交から情報を得たんだ。千里眼の上級騎士……クラリス・F・クリストファーの口から」
名を呼ばれた。まさかのことだ。
「な、なんで姉ちゃんのことを」
「君のことも知っていたよ。だから声をかけた……というだけでもないけれどね」
「マフィアだな、お前」
ギャバンが断言したから、クラリスにも思い出される事実があった。三人のいるそこはトゥールーズ。マフィアに呼び出され情報提供を受けた街だ。
「祖父が言っていたよ。ドラゴンスレイヤーはとんだじゃじゃ馬だったとね」
「何が目的だ。お前たちは新十字軍と協力関係にあったはずだぞ。薄汚れた利益を共有するようにしてな」
「祖父たちはそうかもしれない。でも、僕はそうでもないかな。不満があるんだ」
「フン、下らん内ゲバか。お前たちの習い性というやつだ」
「欲の枯れた老人にはそう映るのかもしれない……フフ……空の人々にとっても」
目が、合った。
錯覚か? 偶然か? いいや、青年はウインクすらした。何かしらの邪悪を堪えきれず、口の端を歪めて。
「ヴァレンティン……俺を騙して……利用してたのか?」
「隠し事をしていただけだし、人間関係は相互利用が基本だ。一方的な恩恵は不健全だからね。それに好悪はまた別の話だよ? 僕は君の願いも叶えたいと―――」
激しい物音がした。店の人間が血相を変えて扉を開けるや、銃弾を受けて倒れた。新十字軍だ。修道士たちが入り込んできた。
有無を言わさなかった。すぐにも発砲が連続し、硝煙が部屋を満たした。
クラリスは見た。
ギャバンがシャルルを庇い、蜂の巣になったのを。ヴァレンティンという青年もまた複数発の弾丸に貫かれて血をまき散らしたのを。
シャルルだけは、殺されなかった。後ろ手に手錠をかけられ、運ばれていく。
安全で清潔な空の上から、クラリスは、その惨劇を見ているよりなかったのだ。




