誰がために道を行く・Ⅱ
シャルルが見えた。それはしかし、本当にシャルルだろうか。
スカイウォーカーとなって初めての透視は、その唐突さもさることながら、映像の鮮明さと内容とによってクラリスを困惑の底へ落としていた。
上等なコートに着られているかのような少年が、懐に拳銃を忍ばせ、警察署に忍び込もうとしている……どうしてシャルルであってほしいだろう。近場でギャングが騒動を起こしているが、その中にいた方がまだマシというものだ。
横道に面した鉄扉がそっと開かれた。明らかに不審者であるシャルルを招き入れようとする者の人相に、クラリスは眩暈を覚えた。ギャバンだった。
何をしているのか。いいや、何をしでかそうとしているのか。
二人は無人の階段を降りていく。ポスターの一枚も張られていない、ひどく無機的な通路を進んでいく。薄暗さが非合法性を物語っている。
施錠された扉を開け、入室し、念入りに再び施錠して……二人は何かのファイルを抜き出した。頭を突き合わせるようにしているから内容は知れない。しかし何かしらの邪悪が感じ取られて、クラリスは唾を飲み……息を呑むことになった。
シャルルが顔を歪めて浮かべたそれは、笑顔なのだろうか。
むしろ、牙を剥いた獣のそれではないだろうか。
「俺、知りませんでしたよ。警察って随分と愉快なことになっていたんですね」
目をギラギラとさせて、噛みつくように言う。
「どこが法の番人なんだか。やっていることは新十字軍の番犬じゃないですか。そりゃあ市民にそっぽを向かれますよ。信じてもらえると思うのなら、そんなもの、上手く騙せると考えてるだけでしょ。頼る方が馬鹿をみる……馬鹿げてる!」
確かに馬鹿げた光景だった。
警察署という法秩序の中心で、老いた刑事を前にして、若い犯罪者が正義などここにはないと叫んでいる。外ではギャングが暴れ、市民が暴動を伴う行進をする。街にはゾンビが現れ、人を襲い、人に襲われる。騎士が凱歌を上げる。
それを覗き見ている。傲慢にも、安全で清潔な空の上から。
いや、もっと状況は悪い……クラリスは暗鬱として思う……どうだ馬鹿げた光景だろうと、己に見せつけているの存在がいる。
スカイウォーカー。
彼らは自分をどうしたいのだろうか。死を遠ざけ、あらゆる悲痛を取り除き、安らかな幸福で満たす……そう謳いながらも実際はこれである。あるいは執着を捨てろとでも言いたいのか。東洋の宗教のように、一切合財を放棄して悟れとでも。
目を背けたくはなる。クラリスはかぶりを振った。殺される前も、死後であるはずの今も、人間の汚いところを見過ぎているように思えてならない。
不死という科学技術に起因するゾンビ禍と、それにより台頭した新十字軍のマッチポンプ。格差を拡大しつづけ難民を生み続ける社会と、そこに潜むランドウォーカー。それらを神のように見下ろすのは、不死技術を独占するスカイウォーカー。
ああ……これもまた繰り返される戦争の形の一種に過ぎまい。
結局のところ、人間社会は内ゲバを繰り返しているだけではないか。
クラリスの吐息のせいでもあるまいに、透視の映像は乱れて、シャルルの姿も立ち消えた。代わって映し出されたのもまた、犯罪者だった。
「何やってんのよ、あなたはあなたで」
その声が届いたのか、物陰にしゃがみ込んでいた女はキョロキョロと周囲を見渡している。エティエンヌ……いや、セシルである。ボロボロの兵装を着ている。
首を傾げ、身構え直した所作でわかったことがある。下着をつけていない。
しかし、コソコソとしているのはその服装を恥じてのことではない。クラリスは断定した。そういう感性のある人間ではないし、獲物を狙う目をしているからだ。
そら、豹のようにダッシュした。跳び込んだのはブティックだ。店員が奥へ引っ込んだその隙をついた形だ。品物をつかむ。シャツやコートをだ。クラリスは頭を抱えた。本当に何をやっているのか、この馬鹿の王は。
まんまと窃盗し、路地裏へまで逃れて、セシルはいそいそと着替え始めた。コート以外はサイズが合わず憤慨している。どうしてくれよう。
彼女の兄は今こそそばへ行くべきでは……そんなことを思った直後だった。
トラックが急ブレーキした。セシルの着替える路地の入口でだ。反対側にももう一台が停まった。どちらもガソリン車だ。つまりは新十字軍だ。
ワラワラと降りてきた男たちの手にはアサルトライフルが携えられている。修道士だ。彼らが隊列を作った後に、悠然と降車してきた男もいる。まるで中世の騎士のようなチェインメイルと、豪奢なサーコート……手には奇妙な懐中電灯。
百人隊だ。銀騎長ピガール・ノワの私兵とでも言うべき集団だ。
「ここへ来るだろうと思ったぞ、裏切り者め。飢えた獣は手近な人家へ引き寄せられるものだからな」
セシルを挟み撃ちにするよう並べられた銃口は、火を噴けばその騎士にとっても致命的な空間であろうに、平然と前へ出る。防具が優れているのか。時代錯誤な兜の奥からは含み笑いすら聞こえてくる。
「その五体、切り刻んで聖餐の卓へ並べてくれるわ! 光在れ!」
光の刃が騒々しく生じた。日の当たらない場所とはいえ、日中とあってはいかにも間抜けな光剣だ。銃列からの発砲はない。一騎打ちでもしようという態だ。
「……ピガール・ノワもここにいるのか?」
静かなものだ、セシルは。
その手には、美術品のような装飾の棒が握られている。刃はなくとも、剣であり盾でもあるそれ……カマイタチ。彼女の兄が渡したと言っていたもの。
胸の奥から込み上げてきた熱を、クラリスは涙として流した。
誰も彼もが憎み合い争い合う巷にあって、セシル一人だけが美しかった。




