誰がために道を行く・Ⅰ
「ドラゴン騒ぎからこっち、もう、何もかも悪い方に勢いがついちまってなあ」
寂れた児童公園に落ち着くなり、ギャバンは大きく息を吐いた。
「やれゾンビ対策だ、やれスカイウォーカー探索だと新十字軍は増員する一方よ。当然、物資の供出も増すばかりで……そのくせ警備だ警戒だと物流を滞らせるようなことをしやがる。パンの配給とかどの面下げてやってんだか」
同意しようもなく、シャルルは紙コップの中身をすすった。ギャバンが水筒に詰めていた紅茶だ。熱くて苦い。
「市民も市民だ。いつから愛国心や信仰心は酒や麻薬の類に成り下がったんだ? さんざっぱら騒いで、新十字軍には愛想よくおもねって、俺たち警官には偉そうに文句をたれてくるんだからな。そりゃあ、こちとらガソリンにも事欠く体たらくだがよ」
お手上げだという身振りも苛立たしげだから、シャルルは顔を背けた。花壇の貧相さも木立の粗雑さも嫌って、消火栓の造形を見つめる。
遠く、シュプレヒコールが上がった。二度三度とそれは上がり続ける。
「フン、まるで戦争だ。騒ぐ暇も余裕もないだろうに」
「……その、やっぱり不安なんじゃないですか? 実際にゾンビはいるわけだし」
「だからって市民を煽り立てる必要がどこにある。軍人は戦うだけでいい」
「軍人」
「そうだ。中世の騎士団よろしく肩書を工夫したところで、結局のところあいつらは軍人でしかねえ。政治をやっちゃあいけねえんだ。市民に選ばれた存在じゃあ、ねえんだからよ。そうだろ?」
シャルルは曖昧に頷いた。脳裏に過るのは姉の在りし日の姿だ。
軍人だったろうか、姉は。
碌に休みもとれない日々を健気に生きていた。危険な現場に赴くことも多かったろうに、弱音を吐かず、へっちゃらだと笑っていた。我が子に会う暇もなしに。
「……職分を越えるってのは、大概、よくねえんだ。世の中ってのは何につけ複雑だからな。上手いこと整えられてるもんをかき乱すと、思いもよらねえことになっちまう。誰かにとって迷惑だったり、それが転じて自分が痛い目をみたり……お前の姉のように」
「姉ちゃんは!」
考えるより先に反発していた。こぼれた紅茶が手にひどく熱い。
「姉ちゃんは、新十字軍の仕事をちゃんと務めてました。頑張ってたんだ。誰に恥じることもない。だから」
「だから誰の迷惑にもなってねえ、なんてわけにはいかねえのが人の世なのさ」
言い返そうとした言葉がせき止められた。睨み返してくるギャバンの目は座っていて、何か気圧されるものがある。
「お互いに迷惑をかけあうから、人でなしに、人間なんだ。気をつけ合い、気に掛けあって、それで何とかやれてたってのに……今日日はダメだ。軍隊なんて暴力が大手を振ってやがるせいだ。誰にとって迷惑なのかどうかで……」
皺だらけの指が、ゆっくりとゆっくりと、紙コップを握りつぶしていく。
「……人が死ぬ。殺される。そういう理不尽がまかり通っちまう」
血を吐くような言葉に、シャルルは何も言えなかった。反論するに足る理屈も経験も持ち合わせていないからだ。
手の熱さが風に冷めた頃、ギャバンが言った。
「クラリス嬢ちゃんは、殺されたのかもしれん」
シャルルは静かにうなずいた。疑いを持ったからこそここにいる。
しかし、怖かった。ギャバンの一連の口振りから察せられる不穏さ、あるいはおぞましさとでも言うべきものに、唾を呑んだ。
「ちょいと機会があってな。この間、嬢ちゃんの検死レポートを読んだ。いや、見たと言った方が正しいか。時間をかけて文字を追う必要なんざなかったしよ」
「……どういうことですか」
「白紙に近かったからだよ。外傷どころか服の汚れも乱れもねえとなりゃ、そら、書く内容も限られる。ただなあ……添付の写真を見て、何の冗談かと思ったぜ」
動悸がしていた。何か、あってはならない事実が襲い来る予感に、震えた。
「……きれいだった。死体に見えなかったどころじゃねえ。何しろ、路地を掃き清めて、お行儀よく祈りの形に指を組みすらして、仰向けになってたんだからな」
何だ、それは。
どういう顔をしていいか、シャルルにはわからなかった。あまりにも非現実的な話だが、目の前では壮絶な表情のギャバンがいる。
「姉ちゃんは、心臓発作で」
「心臓が動いていないこと以外に、何の異常もなかったからだ」
「でも、それなら、倒れて」
「倒れたら服は乱れる。汚れもする。打撲や擦過傷もできる」
「……なら、姉ちゃんは」
「わからねえ。何にもわからねえが、身内殺しにゃ警察以上に猛り立つ新十字軍の連中が、嬢ちゃんについちゃ全く問題視しなかった。ろくに調査もしねえで、すんなり葬式までやった。俺にゃそいつが解せねえんだ」
ああ、なるほど理不尽だ。ひどく不自然で、悪趣味で、人を馬鹿にしている。
シャルルはひどく冷めた頭でそう思った。剣呑な気分が胸の底の方でゆらりゆらりと燃えている。ふいごのように呼吸をしている。
「それで?」
問うとギャバンは怪訝な顔をした。それがシャルルには滑稽だった。
「それでギャバンさんはどうするんです? 不正ですよね、どう考えても。殺されたかどうかわからなくたって、姉ちゃんの死をもてあそんだ誰かがいるってのは、明らかじゃないですか。まさか、俺にそれを教えてお終いじゃないですよね?」
ギャバンの見開いた目の中に、寒気のするような無表情で口の端を歪めた男が映っている。シャルルはそれを誰かと思い、誰かとわかって、己の現状を理解した。
「怒りって、度が過ぎると逆に冷静になるんですね。初めて知りましたよ、俺」
もう一度検死の資料を閲覧することと、姉の発見現場を見に行くこと。今すぐそれら二つを行うと決めさせた。
次は引き金を引けそうだと、シャルルは他人事のように考えていた。




