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SKY WALKER  作者: かすがまる
第1章
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恵まれた人・Ⅲ

 墓地へ着く頃には雨も小降りとなっていた。


 車を降りるなり、クラリスの周囲は黒いレインコートに身を包んだボディーガードたちに固められた。もそもそと一人、味気ない軍用傘をさす。


「おうおう、また随分と物々しいこった。新十字軍ってやつは何をやるにも大仰でいけねえ」


 ぼやきながら黄色い傘が近づいてきた。さしているのは白髪交じりの老人だ。


「ギャバンさん、またよろしくお願いしますね」

「こっちこそな、嬢ちゃん」


 ニヤリと笑う彼はレナルド・M・ギャバンという。地域警察の刑事だ。


「ん? 少しは大きくなったか?」


 黄色い傘持つ左手が頭上へと伸びてきたが。


「はいはい、現行犯になっちゃいますからセクハラやめましょうねー」


 クラリスはそれを無視してギャバンの右手をブロックした。バストをガードである。


「おお?」

「背じゃなくてこっちのことさーってオチ、お寒いですから。しかも余計なお世話ですから」

「いや、こいつは参った。さすがの神通力だなあ」

「違いますから。そんなんで高いお給料頂いてませんから」


 そこはかとなく風評被害を感じるクラリスである。


「きっと天国で奥さんが怒ってますよ? オイこらって」

「あっちはあっちで、娘とスキンシップを楽しんでるだろうから、いいんだよ……な?」

「な、じゃないですから。同情しませんから。ギャバンさんの家、もともとお子さんいない……って、オイこら、手ぇ引っ込める!」


 互いに笑顔だ。ひとしきりじゃれ合ってから、並んで歩き出した。


 昨夜未明に起きた猟奇殺人事件……その現場へと向かう。


「これは……」


 クラリスはすぐに違和を覚えた。


 水気を乗せて風が冷ややかに流れている。墓地はしっとりと濡れそぼっている。


 だというのに、ここには戦いの熱気が感じられる。空気が張りつめていて肌に痛いほどだ。


 それが幻覚であるとわかってはいても、クラリスは思わず身をちぢこめた。


「しかし、初動っから嬢ちゃんのお出ましとは驚きだ。新十字軍が出張ってくるだけでも剣呑だってのによ?」

「え? あは、あはは……ですよねぇ」


 ギャバンの声が妙に大きいから、クラリスは目をぱちくりとした。


「国家憲兵隊も動いてるぞ。何をおっぱじめるつもりかは知らねえが、連中、装甲車両まで出してきやがった。国民国家ごっこでもしてえのかねえ? パリよ再びってか?」

「あのぅ……ギャバンさん?」

「ガソリンの無駄使いと言いてえな、俺は。地方からむしり取った税金でお気軽にクソ燃費の車動かしやがって……人間なら自分の足で歩けってんだ。なあ?」

「ええっと……」

「ま、嬢ちゃんのところも組織として大概だが、そこへ媚びへつらってる憲兵隊の連中は一等信用ならねえってこった。俺は嫌いだね。ああ、嫌いだとも」

「わかって言ってますよね!? そうですよね!?」


 クラリスのボディーガードは国家憲兵隊の派遣部隊が担っている。この老いたる刑事は失うものなき蛮勇を発揮し、四方八方に喧嘩を売っているのだ。


「面倒なんだよなあ。現場で権力の角突き合いが始まると、まずもって碌なことにゃならんのよ。捜査の模範解答が用意されてるってえ話なら、ま、早めに教えといてくれや」

「あ、あはは……」


 笑うしかない。


 殺伐とした空気に酸欠の金魚のような気分を味わいながら、クラリスは現場へと到着した。


「さ、何とかしてくれ。綺麗所の一声で」

「わぁ……皆して睨み合っちゃって……」


 笑えない。頬が引き攣るばかりである。歴史的に権力の分散は良いこととされているが……なるほど、面倒だった。


「騎士クリストファーです。世界宣言第三号に基づく特別権限により、この場は新十字軍の管理下に置かれました。皆様、ご協力のほど、よろしくお願いいたします……」


 何故に己一人をここへ出向かせた、ピガール・ノア銀騎長。あんまりじゃないか。そう内心で愚痴りつつもクラリスは仕事をする。給料分である。


「被害者の遺体は、二人とも跡形もなし……ですか」

「墓場で死体を焼いたとだけ聞けば、まあ、そういう埋葬方法もあると言いたくはなるがな? 骨も粉微塵に砕いたとなれば話は別だ」


 ギャバンに示されたものを確認する。下草の焼け焦げた地面と、台にされたものか歪にへこんだ墓石だ。


「殺人が行われたことは確かなんですね?」

「墓守の証言がある。何度となく見かけたことのある老婆が二人、昨夜も墓地へ入ったそうだ。その後は深酒をして寝入ったが、墓地から出ていけばわかるし、争うような物音を聞いた気もするのだとさ。現場には残留物も……」


 ギャバンは部下からビニール袋を受け取り、クラリスへと渡してきた。


「……この通り、転がっていたという話だ」


 中にしまわれていたのは女性ものの装身具だ。焼け残ったもののようだ。


「これから鑑識にまわすところだが……そのブローチを見てみろ」


 銀……いや、融解していないからプラチナだろうか。宝石もあしらわれた豪華は品だ。それが真っ二つに割れている。


「え……違う……?」


 視界が乱れる。見えているものの上に見えないものが被さってくる、この奇怪さ。クラリスは探した。予感に導かれるままに。


「……あった。やっぱり……」


 大きな墓石が半ばから切断されている。その断面はあまりにも滑らかで、触れれば肌に吸い付くほどだ。位置を合わせれば元通りにつながるのかもしれない。


 鋭利を極めた何かを思い、クラリスは背筋が凍った。


「これは……そういう……」


 眩暈に抗う。立っていようと努力する。


「あそこ……あの茂みを、調べてみてください」


 クラリスの指示が実行されるや否や、どよめきが起きた。四十五口径マグナム弾が十二発も地面にめり込んでいたからだ。


「……さすがだな。これではっきりした」


 ギャバンの声を遠く聞く。クラリスは己の血の気が引く音を聞き終えている。


「昨夜、ここでは切った張ったの騒ぎがあった。使われたのは一般に市販されちゃいねえ銃と、正体不明の切断具だ」


 ボディーガードたちの靴が見える。クラリスは濡れた地べたに膝をついている。


「貴金属を放置したからには物取りの類じゃねえ……金品目的でも、それ以外でも、ねえな」


 声が近づいた。肩に温かなものが触れている。


「あ……?」


 ギャバンが側へしゃがみこんでいた。黄色い傘には細かな花柄がプリントされていて、それがどうしてか老刑事のくたびれた風貌とよく似合っている。


「クーラーボックス入りの商品、で伝わるか? 嬢ちゃん」

「……臓器売買ですね」

「ああ。俺は最初そいつを疑っていた。マフィアの連中の殺人にゃ二種類しかねえからな。いい加減に殺すか、念入りに殺すかだ。後者にゃ人体解剖が伴う。連中は血の一滴でも商品にしやがる。さりとて輸血用パックなんかにゃまるで関心を示さねえんだから、価値の基準は知れねえが」


 ギャバンは煙草を取り出したが、ライターが出てこないようだ。身体をパタパタと探っている。


 ボディーガードたちは黒い壁のように直立するきりだ。


「今回のやつは、どっちでもねえなあ」


 ようやく見つけたライターも、中々火がつかないらしい。シュッシュと親指を動かしている。


「乱暴に殺した後、徹底的に破壊してやがる。犯行内容から狂気や憎悪が伝わってくるってのは随分と久しぶりだよ。正直なところ、関わり合いになりたくねえと思ったね」


 ようやくと点火したそれに、クラリスは見入った。


 ここで燃やされた炎はそんなものではなかった……しかし、それも火には違いない。


「面倒なことになる……いや、もうなってるのか? 嫌ぁな予感しかしねえ。嵐ってのは、大概、予兆の風が吹くもんだ。妙な感触のする、嗅ぎ慣れない臭いのやつがな……」


 紫煙が黄色い傘をゆっくりとなぞっていく。


 クラリスにはそれが優しい触れ方に思えた。


「そういえば、あの跳ねっ返りの姿が見えねえな? 元気にしてるのか?」


 ギャバンがニヤリと笑うから、クラリスもまた笑顔を浮かべた。


「それはもう。報告書を提出した後、聖書の書き取りをやらされるくらいに」

「そいつは元気一杯だ。よっぽどでなきゃ、そんな難儀なことはやらねえや」

「ええ。ギャアギャア文句言ってましたよ」


 笑った。それだけで救われるものがあった。


「あいつ、学がないからなあ……新十字軍もそろそろまずいと気づいたか」

「ふっふっふ、それがですね? 今ちょっと面白いことになってまして……」


 黄色い傘の下にコソコソと笑い合う。


「今、あの子、任務で神学校に通わされてるんです。しかも女子修道院に付属する乙女の園ですよ? 騎士身分まで隠してです」

「おお? そいつは驚きだ……いや、本当に」


 参ったとばかりに額を押さえ、ギャバンは言ったものである。


「そういえば女だった。エティエンヌは」


 クラリスは大いに笑い声を上げた。



   ◆◆◆



 容赦せず攻撃するその代わりに、可能な限り銃器も刃物も使わない。


 エティエンヌにとって犯罪者の人権への配慮とはそれである。


「てめえ! くそが!」


 喚く男の鳩尾へ膝蹴りを入れ、吐瀉を避けて腕を捻る。汚物に塗れた土の上へと組み伏せる。苦悶の声には耳を貸さない。粘着テープで手首と足首を強固に縛り上げていく。


「ぐおお……お、俺はただ、け、献血を……!」

「この辺りでは路上活動が禁止されている。銃の所持もな」


 やる気なく返答しつつ、エティエンヌは無線を操作した。


「ち、畜生ぉ……!」

「鳴くな、やかましい」


 目と口にも粘着テープを巻いていく。剥がす際のことは考慮していない。


 路地裏である。ゴミと一緒に転がっている小口径ピストルを拾う。安物だ。安全装置もついていない。ポケットに入れておくわけにもいかず、とりあえず撃鉄をハーフコックにする。


 薄暗さの中に漂う悪臭を嫌って、通りの方へと目を向けた。


 小奇麗な格好をした少女たちが楽しそうに歩いていく。清掃の奉仕活動を終えた神学校生徒たちである。


「能天気なことだ。塀の内側に篭っていればいいものを」


 乗用車で乗り付けた新十字軍兵士へ現場を引き継ぎ、エティエンヌもまた少女たちが向かった先へと歩き出した。丘の上、曇天の下、女子修道院の古ぼけた鐘楼が見える。


「……ふん」


 普通に歩くだけで少女の群れに追いつく。しかしその後は渋滞だ。少女たちの間を縫うようにして行く。時に手で押し退けもした。背で悲鳴や非難を聞く。


「どうして私が、こんなことを……任務とはいえ」


 修道院へ着いたら着いたで、修道女による要領を得ない長話が待っていた。集合も移動も小休止も、何もかもが鈍重でとぼけている。雨が降り出しただけで誰もが動きを止める。停滞する。


 授業にしたところで愚にもつかないことばかりだ。詩を詠んで何の役に立つのか。


 せめて晴れていれば、眺望をでも楽しめたろうに。


 エティエンヌは小雨を受ける窓を何とはなしに見る。


 濡れているから歪んでいるし、薄暗がりだから朧げにではあるが、そこには金髪紫眼の己が映っている。ひどくつまらなそうな顔をして。


「……以上述べました通り、旧世界は飽くなき強欲の末に災厄を招いてしまったのであります。しかし敬虔なる皆さん、勘違いのないように。天災ではなく人災です。『バベルの塔』や『ノアの箱舟』、『ソドムとゴモラ』といった聖なる裁きに類するものではありません。決して、決して」


 教室では声高に歴史が論じられている。聞かず、見ずとも、咎められることはないとエティエンヌは知る。


「科学万能の文明が生んだ忌まわしき人災……即ち『ゾンビ禍』」


 大げさな口調がエティエンヌには馬鹿馬鹿しかった。静かであれば誰もが聴き入っているというわけでもあるまいに。


「汚らわしきかな、極東に究められし遺伝子工学よ。生を祝い命を尊ぶべきところを、死を恐れるあまりに命を弄ぶ研究がなされたのです。背徳の技術が、悪魔の反奇跡が世に現れたのです。つまるところそれは……人間をゾンビにするサイエンス」


 息を呑むような音がちらほらと聞こえた。それはそのままに、純朴な女子の人数でもあったろう。


「まるでパンデミックのように始まり! まるでハルマゲドンの戦いのように展開し! 世界にはニュークが飛び交いメガデスが連続した! そして、そして、パリが『落花』した……世界の幾つもの大都市と同時に、忽然と、地獄の門に呑まれるようにして」


 独演会もいいところだ、これは。


 教壇という独り舞台で身振り手振りも気持ちよさげな中年男は、新十字軍より講師として赴任している修道司祭だ。


「百年の時を経てなお世界に巨大な傷跡を残す、空前絶後の大災害……彼奴目らはそれを神の御業であるなどとうそぶき、人の世の乱れが招いた天変地異などと賢しらに語る」


 修道司祭が握り拳を掲げた。


「何たる、悪か」


 エティエンヌもまた机下に拳を握った。


「見知りおくべし……悪の名は『スカイウォーカー』」


 拳に力が入る。奥歯がきしむ。


「今も空の白骨じみた雲上カタコンペに在り、冒涜的な不死をば恥ずかしげもなく晒して、罪深くも神の御使いを僭称する……おぞましきおぞましきゾンビどものことです」


 修道司祭は微笑んだが、それは慈愛と真逆の感情に起因するものだろう。


「ゾンビ狩るべし。ゾンビ狩るべし。彼奴目らは荒野に甘言を弄する者のごとく人間の心へ忍び寄り、夢のような美貌を擬装して誘惑を口にします。そして魂を盗み取るのです。人間をゾンビに……あるいは怪物にしてしまうのですよ?」


 そうだ。その通りだ。


 奴らは人間の尊厳を踏みにじる存在だ。


「彼奴目らは奇跡を騙って大切なものを奪いにきます」


 エティエンヌは両親の笑顔を思い浮かべた。家族四人で過ごした日々を……奪われた幸せを想った。


 天涯孤独の身となった今、それはあまりにも甘美で……あまりにも遠い。


「敬虔なる皆さんは、どうかどうか、信仰を誤ることのなきように……アーメン」


 唱和には加わらなかった。


 拳を胸にそえて決意の感触を確かめた。


 怪物に喰い殺された両親の無念を……それが自身の十歳の誕生日パーティであったことの無残を、エティエンヌは独り噛み締めたのである。

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