望まざる目覚め・Ⅲ
銃声は嵐のようだ。硝煙と粉塵の向こう側にはマズルフラッシュが絶え間ない。診断室か何かの壁に背を預け、セシルは反撃の隙を伺うばかりだ。
まだ地下階である。知らない施設とあって階段も見つかっていない。
カツンと何かが床を転げる音。手榴弾。
判断するやセシルは飛び退いた。長机を引き倒して盾とする。頼りなくともそれしかない。たとえ傷ついたとて、とも思ったが。
「これは」
「うん。上手く扱えたね」
耳に再来した声は無視した。それどころではなかった。爆風も、それに乗じた鉄片も、セシルの肌には届いていない。机はもうボロボロだというのにだ。
左手を見た。カマイタチが耳鳴りのような高音を発している。
「これが」
「そうさ、それが」
アサルトライフルの引き金を引いた。入口に差した人影へ向けてだ。それでしのげた。しかし寸時を稼いだだけのこと。
追い詰められた。
色の落ちていく視界に、戸口から幾つもの銃口が差し込まれた様子が映る。すぐにも乱射されるだろう。その上で手榴弾を一つ二つ転がしてくるかもしれない。床は硬く、平らで、身を隠すところもない。
やられる。敗ける。
思うや否や、セシルは大きく踏み込んだ。
銃は捨てていた。握りしめ、振り抜いたのはカマイタチだ。手に馴染む楕円断面の柄。手の内には軟質の感触がじんわりと残っている。充実感なのかもしれない。
ドアを真ん中にして、壁に一文字の「斬り跡」が生じていた。
銃声はない。ドサリ、ガチャリと、壁の向こうで人が倒れる音が立て続いた。それが聞こえるほどに、戦場が騒がしさを忘れた。
「こんな……」
「見事なものだね」
戸口に、両断されたアサルトライフルが散らばっている。持ち主であろう誰かの手も投げ出されていて……床に血は見られない。
奇妙な現象が起きていた。
セシルの一撃は壁ごと数人を斬ったはずだ。事実、壁には貫通した跡があるし人も倒れている。袖口から軍服も切り裂かれている。覗き見れば、ヘルメットやその他の装備も斬撃の軌道上にあったものは両断されていた。
しかし、出血はない。それどころか胸が上下している。息をしている。どのひとりも失神しているだけなのだ。
「こんな、武器か……これはそういう武器なのか」
「そう、それはそういう道具なんだ」
思い出したかのように放たれた弾丸を、セシルは手首ひとつ動かさずに弾いた。カマイタチを媒介とする念動力の発露だ。
「ウォ、ウォーカーだ!」
誰かが叫んだ。恐怖の叫びだ。泣き喚くように銃火の嵐が再開された。そのことごとくがセシルへは届かない。最適化というものか、見えない壁が角度をつけていって、壁や天井へと跳弾をコントロールしている。
「血の臭いのしない、戦場……」
「人の血を流してはならない」
セシルは歩く。倒れた者たちが被弾しないよう気遣いながら、前へ進む。
「不殺の兵器で、神の、天使の慈愛をでも演じろというのか?」
「汝の敵を愛せ、だよ。戦いに際しても忘れちゃいけないな」
脳裏に忌々しく思い出される表情があった。スカイウォーカーにしろランドウォーカーにしろ、その手に何らかのカマイタチを握っていた者たちの顔だ。
微笑んでいた。善き者のようにしろ、悪き者のようにしろ。
まるで児戯を眺めるかのような、その眼差し。
「もう安心だね。油断はいけないけれど」
幼子をあやすかのような、この物言い。
「……馬鹿にして……!」
歯を食いしばり、走った。走り寄って新十字軍の兵士たちを撫で斬りにした。服と装備だけをだ。それでスタンガンよりも強力に意識を途絶させられる。
きっと殺そうと思えば殺せる武器なのだろうとは、わかった。
兵器に共通する常識なのか、銃の安全装置にも似た機構が親指の端に触れている。スイッチを切り替えるようにして殺傷能力を取り戻すのだろう。胸を貫かれた経験がそう教えている。
「私の、戦いは……」
セシルは壁を殴りつけた。壁材が小さく砕けた。
「私たちの懸命は、こんなにも……!」
戦友たちの顔が思い出された。兵士も、修道士も、騎士も、それぞれに覚悟して怪物やスカイウォーカーへ立ち向かった。相応の戦う理由を持っていた。
必死に戦い、死んでいったのだ。誰も彼も。
「さあ、セシル。まずは地上へ出よう。そうすれば迎えにもいける」
図々しいまでに親しげな声……セシルがエティエンヌと名乗り戦う理由は失われたものの、今は新たな衝動があって休む気にもなれない。
踏み出した一歩を、そうだその調子だと誉めそやされたから。
「黙れ!」
もう一度壁を殴った。
「私は、お前の仲間じゃない!」
壁に半ばまでめり込んだ拳を、ひねった。ギシリとひび割れが広がった。
「セシル……」
「気安く呼ぶな! スカイウォーカー!」
「悲しい呼び方だね……雲の上にゾンビなんていないのに。地上とは別の人間社会があるだけ。ただ不死であるというだけで―――」
「不死という異常を当たり前のように語る! 人間でない証だ、それは!」
「―――そう思い定めてしまったから、僕との再会を喜んでくれないのかい?」
「私の兄は死んだ! そうでないなら、死なずにいたなら、両親の仇を追わずにいるものか!」
言葉と裏腹に、セシルの胸にはうずくものがあった。当惑したような気配がまたいつかの昔を思わせてならない。
家族で暮らした日々は、幸せだった。
慎ましくも愛し愛されたその思い出が誰とも共有できなくなったから、セシルはエティエンヌと名乗り、天涯孤独の身を闘争へ投じたのだ。
「すまないと思っているよ。僕がいなくなってからもお前は戦い続けた……さぞかしつらかったろう。ずっと心配していたんだ」
聞き違えようもなく、兄の口調だ。家族の声だ。聞くものかと思えども、耳は慣れ親しんだそれを今や受け入れてしまっている。
「父さんと母さんのことだって忘れたりするもんか。でもねえ、セシル……復讐には何の意味もないだろう?」
カチンと、セシルの心にぶつかるものがあった。
「どうしようもないんだ。受け止めるしかないんだよ。不死の力も時を遡ることはできない。誰も、過去の不幸を救えやしないんだから」
激発はせず、吟味して、推し量る。その心境はガンサイトに標的を狙い定めることに似る。
「……救い?」
「そう、死という絶望からの救済さ。空の上にはそれを為す手段がある」
「不死が……救い?」
「僕たち家族を襲った不幸も、世界を嘆き悲しませる諸々も、つまるところ死という形をしている。命とは誕生の瞬間から死に追尾され、翻弄され、捕獲されることをもって消滅する……全ての命は死から救われるべきなんだ」
セシルの心身を冷たいものが巡っていく。嫌悪の情だ。それは細々した理屈を伴ってはいないものの、速やかに、闘争を支える衝動と結びついた。
「手は尽くしていたんだ。人間の病理を哀しみ、地に潜む汚れた不死を憂いてね。お前が聖母のそばにいると聞いた時には驚いたよ。誇らしくもあった。もうじき会えると期待して……それで、お前の友人を迎えにも出たんだ。クラリスという名の騎士さ。映像を見せたろう?」
マリアを、その気高さを想った。クラリスを、その愛情深さを想った。
彼女たちは素晴らしい人間であると、たとえ神を前にしても断言する自信があった。彼女たちの生き様を否定させやしないという、心からの意地があった。
だからセシルは、ハッキリと口にする。
「お前たちの態度を、私は許さない。お前たちは、人間を虚仮にしている」
「セシル、セシル、それは誤解というものだ」
「誤解なものか! 死を恐れるあまりに、死者を見下しておいて!」
反論を許さず、吠えた。
「命の営みは、その生も、その死も、憐れまれるようなものじゃない!!」
無形の衝撃が放たれた。セシルを中心として、壁が、床が、天井が、触れずともへこんだ。耳にまとわりついていたものも、もはや跡形もない。
「私たちは可哀想じゃない……みじめじゃない……そうだろう?」
自分よりも誇らしい二人へ呼び掛けて、セシルは再び歩き始めた。見つけたエレベーターは停止していた。付近に非常階段を探す。
ふと、ひとりの男の顔を思い浮かべた。
ピガール・ノワ銀騎長。
いつも自信に満ち満ちていた。直率の百人隊を特別な装備で整え、いざ事があれば最前線でスカイウォーカーと戦うと豪語していた。
ともすれば軽薄とも感じられた、その悲壮感の欠如……カマイタチの真実を知ったセシルにとって、それはかえって目を見張る態度のようにも思われた。
不思議な形状の懐中電灯が、いつも彼のデスクにあった。その正体も知った。先の幻覚に登場した光る剣だ。まるでSF映画のような武器。マリアを照らすには品がないとも感じたが、しかし、カマイタチに対抗するものであれば話は別だ。
言いたいことは山とある。問い質さなければならないことも多い。亡き兄と会話したことで、またひとつ問いが増えた。
セシルは脱出しなければならない。
知るべきことを知り、戦うべきことを戦う、そのために。




