三つの終わり・Ⅰ
「ドラゴン倒れず! 中隊の損耗率、四十パーセントを越えました!」
「警察より連絡、消火応援の必要はありやなしや!」
「『繁殖牝馬』、未だ回収ポイントからは確認できずとのこと!」
空調の利いた作戦司令部にあって、クラリスは凍え震えていた。
「あ、新たに三体目の怪物が出現しました!」
幼子でもできそうな計算をする。
六の内の一は特別として、残りの五……そこから三を引く。残りは二だ。
「これも既に死んだ二体と同様にランドウォーカーへ襲いかかっている模様! その外見は狼男のようであるとのこと! ふ、服は……新十字軍の兵装です!」
困惑と驚愕、そして恐怖に引き攣ったその声を聞き、クラリスは思う。
今度は誰であろうか、と。
最初の一人は黒い肌の修道士だった。特別チームが編成されてからは何度となく行動を共にしてきた仲間だ。とても優秀な軍人だ。自分よりも機密に通じていることもあって、何かにつけ頼みにしてきた。
彼は怪物と化してランドウォーカーへと戦いを挑み、殺された。
透視など働かなくとも、次々に上がってくる情報を組み合わせて考えれば、そうわかる。どうやらエティエンヌを逃がすための行動だったようだ。
彼一人だけであれば、まだしも、事故である可能性が残った。
されど、倒れた彼に引き続き二体目の怪物が……突入班の人間が変化したらしいそれが現れた。ランドウォーカーを攻めた。そうすることで足止めした。
そして、三体目だ。もはや悪夢のような現実を認めるよりない。
新十字軍は人間を怪物にする技術を有している。それには銀騎長ピガール・ノワが深く関わっている。
思い出されるのは彼のこれまでの言動だ。
『屋敷内に怪物が出現する可能性が高いと知れた。その数は最大で五体だ』
彼の指示であったに違いない。
だから一体目の怪物は……デヴィッド修道士は、作戦前、ああも動揺していたのだ。
『怪物を撃破する必要はないということだ。エティエンヌに指示しろ。怪物と遭遇した際はそれを無視せよと。あれはどうにも好戦的なところがある上に、生い立ちのこともあるからな。念を押しておかねばなるまいよ』
エティエンヌには知らせず、突入班の五人を捨て駒にしたのだ。『繁殖牝馬』を確保するために支払うべきものとして。
「四体目も出現! やはりランドウォーカーが目当てのようですが、どうも片足を引きずっているようです……?」
また一を引く。残りも一となった。しかしその一は怪物とならないだろうと思われた。報告があったからだ。突入班の内の一名は戦死したと。
これが不死人の狩り方なのだろうか。
こうまでしなければ、人間は不死人と戦えないのだろうか。
間近で接し、会話もした不死人のことを思い出して……そして、クラリスはハタと気づいた。
「……ひっ!?」
気づいたことの恐ろしさに、悲鳴が出た。歯がガチガチと鳴った。身をかき抱いた。あの薄暗い地下の酒場で、美しく艶めかしい女は、こう言っていなかったか。
『ウフフ……そうね。一匹と一人は、確かに仲間だわ』
彼女はドラゴンと黒衣のランドウォーカーを仲間と言った。言い切った。しかしあの修道院襲撃の夜には怪物も現れたのだ。三体も同時に。
確かに、などと強調して言うのなら「三体と一匹と一人」と表現すべきではなかったか。
「あ……ああ……」
記憶に甦る光景があった。いつか透視で見た内容だ。
修道士中隊により護られた兵站基地。大きな水槽の中で眠る六体の怪物。正体不明の敵に施設を破壊されたとはいえ、デヴィッド修道士は証拠隠滅とばかりに全てを焼き払った。予めその事態に備えていたかのように。
怪物は……スカイウォーカーとは無関係なのかもしれない。
新十字軍が生み出しているのかもしれない。
いや、それどころか。
『知っていて? 誰でも簡単に不死になれるという、そのことを』
ああ……彼女はそう言っていたではないか。
『誰かさんたちのせいか、巷では色々と噂されているけれど……何のリスクもないのよ?』
その時には警戒し、真偽の判断を後回しにしたが。
『メタノール入り密造酒の健康被害を見て、ブランデーの豊潤さを否定するのならば……それはあまりにも愚かというものでしょう?』
その言葉が真実であったなら、全ての辻褄が合ってしまう。
ブランデーが正当なる不死への手段だとすれば、メタノールと揶揄されたものは……つまりは。
「う、ぐぅ……」
吐き気がこみ上げる。眩暈がする。耳鳴りと頭痛も酷い。
怪物は。怪物という存在は。
不死が背徳的かつ危険なものであることの象徴であり、スカイウォーカーによる被害の具体的な形でもあったそれは。
人間の、人間だけの、悪徳か。
新十字軍によって運用されるそれは、あるいは不死人に対抗するための戦力であるのかもしれないが、むしろ……世論形勢のための自作自演ではないのか。
「……!」
クラリスは嘔吐した。とても堪え切れなかった。
そんなもので……エティエンヌは、兄を失ったのか。
しかし、今夜この状況においては。
そんなものに……エティエンヌは、助けられたのだ。
「エ……エティエンヌゥ……」
涙が流れた。鼻水もまた。
「こんなことで、死んじゃ駄目よ……駄目なんだから……!」
肩に誰かの手が触れた。心配する声も聞こえる。
それらは今側にいてほしい彼女の手でも声でもなかった。
だかからだろうか。それらが次第に遠くなり感じ取れなくなっていっても、クラリスは少しも惜しいとは思わなかった。
◆◆◆
逃げれば、追われる。それがこの残酷なる世界の法則なのかもしれない。
怯え挫けたクラリスは諦観と共にそんなことを思った。
夢と知りつつ見る夢のように、己が透視するものがそのままに現実であると確信しつつも、目を背けられず抗えず、もはや為す術もなく……おぞましき魔の対決を見せつけられている。
黒衣のランドウォーカーが険しい面持ちで身構えている。
四体の怪物を難なく打ち倒し、新十字軍の兵士をものともしない存在が、ステッキをステッキらしく地に着けることもしない。すぐにも武器として振るうためだろう。
対峙しているのは、一人の大柄な男だ。
物憂みの曇天を思わせる灰色のロングコートを羽織って粛々、木に背を預ける様には一切の不自然もなく、詩の一編をでも考案しているかのようだ。
はたして、フードの奥から紡ぎだされた言葉は抽象的だった。
「不死の死を嗤う不死、生の果ての死を前にしてまた嗤う……か。何とも無恥なことだ」
呆れたような、その口調。
「無知でもある。東洋の知恵を教えよう。目くそ鼻くそを嗤う。お前のことだ。燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや。これもまたお前のためにあるかのような言葉だな」
憐れむような、その表情。
「お前のような奴は酒場ではそう珍しくもない。粋を気取った風を装い、実際のところは臆病なだけだ。いじけているといってもいい。未練を引きずって斜に構えているに過ぎん」
やれやれとばかりに吐息し、灰色コートの男は左のポケットから一本の注射器を取り出した。
「お前が首を捻って殺した男が持っていた。不死化ウイルスを目標に開発されたものなのだろうが……粗悪品というのもおこがましい代物だな。白磁を模したつもりの紙粘土とでもいうべきか」
注射器は呆気なく握り潰された。
何とも大きな手だ。筋ばり、ゴツゴツとしていて、それ自体が既に鈍器のようでもある。
「この程度の科学力であっても、用い方次第では大きな力となる」
黒いドロドロとした液体が零れ落ちていく。男の左手から出血しているようにも映るが、剣呑さのためか、どこか装甲車がガソリン漏れでもしているかのような印象だ。
「真実、命を賭して生きている者の力は……生物の本道は……いつか、空の上の墓をも打ち砕くだろうよ。いわんや、地を徘徊するゾンビにおいてをや」
男の左手が一閃されただけで、液体の汚れは全て消えた。
その動きにビクリと反応した黒衣のランドウォーカーを、男は鼻で笑った。
「どうした、かかって来ないのか?」
男の左手がゆらゆらと揺れて誘っている。奇妙に優雅な動きだ。
「不死のなり損ないを相手に随分と奮闘していたではないか。まるでサーカスのようではあったがな。獅子の誇りに驚く飼育員といった見栄えだったぞ」
挑発している。今や男ははっきりと嘲笑う態度だ。
木を背に、右手を隠し続けて、黒衣のランドウォーカーに自らを攻撃させようとしている。
「……東より流れきたという不死人狩りですか」
ステッキを下ろすことなく、黙した側も口を開いた。
「言動から推理するに、貴方は空に老いるスカイウォーカーではありません。私が知らない以上は地に遊ぶランドウォーカーでもありません。さりとて人間であるはずもないのです」
「そうかね? 見ての通り地に足をつけて生きているが」
「笑止ですね。不死でなくてどうして念力を使えますか。ましてや『カマイタチ』を扱うことなどできるはずもありません。人間ごときでは」
「ふむ……見破られていたか」
つまらなそうに言い、男は灰色のコートの下から右手を出した。
握り締めているものがある。オリエンタルに装飾された懐中電灯を思わせるそれは、刀身なき異常な刀剣……会話から察して『カマイタチ』という名称か。
それは恐るべき兵器だ。
視認できない無形の攻撃力を発揮するもので、形態は様々にあるらしい。
この男が持つものは東洋の刀のような外見で、防御にまわれば銃弾をものともせず弾くし、攻撃に転ずれば墓石ごと人体を切断することも容易い。
アメリカ先住民のような風貌の大男が持っていたのはトマホークにも似たもので、数十メートル離れた先の岩を砕いたという。
妖艶さを隠して修道女をしていた女は鞭のようなそれを振るい、距離を選ばずあらゆる物を打ち据え、破壊していたという。
そして、ドラゴンを使役する黒衣のランドウォーカーは……ステッキを使う。
不吉にして危険極まりない、黒く鋭いステッキを。
「見覚えのある品です。そして貴方の顔立ちもどこか初めて見たという気がしません。どちらの印象の先にも一人の人物が浮かび上がります」
「スカイウォーカーには東洋人が多いと聞くからな」
「不死発祥の地を思えば当然のことですね。そしてそのような言い方で誤魔化されるほどに、私の思い当たった記憶は弱々しいものではありません。むしろ忘れ難いほどのものです」
右手でステッキを突き付け、左手でシルクハットの位置を直し、言う。
「剣豪ムラクモ……始まりの不死の一人にして、この地球に並ぶ者なき戦闘能力を有する者」
声の震えに畏怖の思いが滲み漏れていた。
「千の眷属を相手取っても鎧袖一触、百の同族を迎え撃っても遅れをとらず……一組の聖母子を連れて堕天するという未曽有の大事件を引き起こした後、長く行方が知れません」
言葉を切り、息を呑んで、黒衣のランドウォーカーは尋ねた。
「貴方は、もしやムラクモ殿の……?」
言葉尻が消えていく。思わぬ気弱が露になっている。明言することを恐れるように、窺う様子で。どこか怯える気配も漂わせて。
しかし返答は堂々としたものだった。
「息子だ。忌々しいことにな」
「何と……あの方は天涯孤独と聞いていましたが……空へ上がらず、ずっと、この最近にまで隠れ続けていたのですか?」
「ああ、勘違いはしてくれるなよ?」
肩をすくめ、ぼやくようにして続ける。
「俺はお前たちほどには長い時間を過ごしていない。ゾンビ禍など歴史として知るのみだし、聖母子誘拐の時にもまだこの世に存在していない」
「は……?」
呆けたような、その言葉。
「女は不死化すると卵子生産能力を失うが、男はわずかながらも精子生産能力が残る。理性を尊ぶ雲上の掟は性行為をなど下劣と忌むし、人間社会に紛れた連中とて不死へ至った者は子孫を残す必要なしと断ずるが……いずれの理屈もただの自己神聖化に過ぎん。滑稽なことだ」
「……っ! ま、まさか……」
「そのまさかさ」
言葉による攻防が、一つの決着をみようとしていた。
「俺は、不死人と人間のハーフだ」
赤い房飾りのついた柄を……剣の形のカマイタチを構えて、男は蔑みも露に言う。
「何とも陳腐な話さ。名の知れた不死人が天地どちらにも禁忌とされる行いを為す……その意味がわかるだろう? 自分を神やら悪魔やらと同一視する阿呆どもの一人よ」
「う、嘘です……虚言を……」
「蒙昧であり続けたいのなら、そう信じていればいい」
房飾りが微かに揺れる。見えざる刃が、音もなく、その力を漲らせている。
「事実は変わらん。つまるところが、不死人などはただの人間の変種でしかないという事実はな。多少とも超人めいていようが、欲を持ち過ちを犯す、哀れで惨めな羊にすぎん。いや、驕り高ぶる分だけ度し難いか……」
風が凪いで、空気が裂けるばかりに張り詰める。
「……恥じて滅べ、ゾンビめ」
刀の形のカマイタチが霞んで消えた……いや、高速で振るったのか。
ステッキの形のカマイタチもまた消えた……応じたに違いない。
木々を切り裂き弾き飛ばす嵐が吹き荒れて、恐るべき闘争が開始された。




