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SKY WALKER  作者: かすがまる
第4章
20/46

煉獄に戦う者たち・Ⅳ

 見れば盛んなる火炎。聞けば轟き渡る咆哮。


 そして感じるのは勇者たちの果敢なる闘争。


 エティエンヌは胸が熱かった。誇らしかった。仲間が、修道士中隊が、ドラゴンを相手取って一歩も退かず戦っているのだ。どうして自らも奮起せずにいられようか。


「何とでも言え、姿なき者」


 拳を握り、そう言っていた。


「血と火に酔うたか?」

「嗤いたければ嗤うがいい。聞き捨てるだけだ」


 人影を探すことを止め、己の心へ言い聞かせるように言葉を発する。


「もう、私の胸には何も響かない。何の意味もなさない」

「ほう……考えることを止めたか?」

「お前がどんなにか賢しらに御託を並べたところで、全て、的外れだからだ」


 込み上げてくる戦意があった。身を震わせる意味が変わった。


「今、私は見ている。死を恐れてなお死地に立つ気概を。生を欲してなお生命を費やす高潔を」


 ドラゴンの苦悶を聞く。その戦果に猛る男たちの喊声を聞く。


「私は、銃を手に気高く戦う者たちを目の当たりにしているのだ。隠れ潜む者の言葉になど惑わされるわけがない。幻聴になど心動かされるわけがない」


 束の間瞑目し、息を吸い、そして括目した。


「迷う理由、一切なし!」


 言い切ってデヴィッドたちへと顔を向けた。


「奮い立て、新十字軍の勇敢なる兵士たちよ! 同志たちが作ってくれたこの好機、無駄にすることをこそ恐れろ!」


 暗視ゴーグルで目元は隠れていても、わかる。班員たちの唇は覚悟をもって引き結ばれている。頷く首に、銃持つ腕に、駆け出さんとする脚に、決意の力が漲っている。


「後に続け!」


 エティエンヌは駆け出した。背に班員たちの力強い足音を聞きながら窓に取り付く。鍵がかかっている。銃床で破って開錠する。窓を開けたままに固定することも忘れない。


「デヴィッド修道士はこの場で待機、我々の退路を確保だ」

「了解しました。ご武運を」

「よし、行くぞ!」


 客室らしきそこを出て、すぐに廊下へ。床の敷物は厚手て足音がまろむ。


「二名、一階を確認しろ。私たちは二階へ上がる」


 急ぐ。事前の手筈通りに、速やかに、迷うことなしに。


 中央の階段を上がる。やや北寄りの一室が本命だ。この屋敷の主寝室だ。そこが最も見晴らしがよく、照明の灯る時間が長かった。


 扉の前に少女が佇んでいた。驚いた顔を見せている。服装からして使用人か。


「床に伏せて手を頭の後ろで組め。早くしろ」


 銃を突きつけ、エティエンヌは早口に告げた。後ろ手に班員へ指示する。場合によっては口を割らせる必要もあるかもしれない。


 パン。


 小さく乾いた音が破裂した。伏せた少女を拘束しようとしゃがみ込んだ班員の、その背の向こう側からだ。彼は呻いて尻餅をついた。膝を押さえている。


「子供が!?」

「あはは!」


 速い。エティエンヌが発砲するよりも少女の跳躍が先んじた。


 廊下を蹴り、壁を蹴り、瞬く間に迫り来る。その手には小口径の拳銃が握られている。


 二度目の発砲がなされたが、少女は廊下に落ちてのたうち回ることとなった。


 エティエンヌの格闘術である。


 上半身を仰け反らせて銃弾を回避すると同時に、カウンターで前蹴りを入れたのだ。咄嗟のこともあって僅かな加減もしていない。靴越しにも肋骨を砕く感触があった。


 さりとて何も考慮しない。突入の前も後も想定外が連続して、もはや僅かな猶予もない。


「ちっ!」


 舌打ちも鋭く、エティエンヌは扉を蹴り開けた。


「マリア!」


 はたして窓を背に黒髪の彼女が立っている。その目は驚愕に見開かれている。


 FAMASを構えて部屋に入る。無傷の班員も後に続いた。広く上等の部屋だ。マリアの他には誰もいないように見えたが。


「危ない!」


 そう、マリアが叫ぼうとしていた。実際にはまだ言えていなかった。


「右だ」


 そう、男の声が告げていた。先に人間と死について論じた声だった。


 だからエティエンヌは前方へと身を投げた。転がりながらも銃を手放さず、片膝に立ち、可能な限りの速度で射撃体勢をとった。すぐ近くにマリアがいる。


「おや? 二つを玉突きするつもりでしたが……」


 これもまた聞いたことのある声だった。


 暗がりが人型にくり抜かれたかのように、黒衣のランドウォーカーがそこにいた。黒いステッキを顔の高さで突き出した姿勢だ。その足元には班員が倒れ伏している。もう死んでいる。


 エティエンヌは転がった際に目撃した。ステッキが班員の頬を突いた様を。軽い一撃のようであったそれが、どんな魔法か、凄まじい力を発揮して班員の首を三回転させた暴虐を。


「……おやおや、これはこれは」


 声音におぞましいものが混ざっていく。作り物めいた顔には奇怪な笑みが広がっていく。


「誰かと思えば、我が下僕の目を潰した騎士ではありませんか。相も変わらずコミックヒーローのようなことをしますね、貴方は」


 この化け物には正面からの銃撃は無効だ。


 エティエンヌはそう実感していたから、引き金を引かず、脇に吊るしていた小筒を取って放り投げた。落下するのを待たずマリアの腰へ左手を伸ばした。細いそれへ腕を回し、グッと蹴り足に力を込めたところで……小筒が弾けた。


 一瞬ながら凄まじい閃光。耳をつんざく破裂音。たちまち広がる白煙。


 このことあるを予期して持ち込んだフラッシュバンだ。


 その結果を確かめず、白煙が迫るよりも先に窓へ。外の危険と内のそれとを比較し、速断して、外へと身を躍らせた。マリアを抱え込んで、である。


 窓を突き破る衝撃、宙へ舞う浮遊感、火の熱気、煙の臭気……そして腕の中のマリア。


 咄嗟にカーテンを握り込んでいたのは、半ば偶然のことであったのかもしれない。


 しかしそれが活きた。


 僅かでも勢いを殺せたばかりか、落下の軌道が壁へ寄った。靴底を削るようにして僅かでも落下速度を減少させる。更には壁を蹴る。


「ぅぐっ!」


 地面への激突は肩から転がるような形になった。もとより怪我を負っているエティエンヌだ。全身に痛みが閃く。意識が消し飛びそうになる。


「お、おおお!」


 それでも耐えた。耐えて報告する。班員へ、中隊各員へ。


 いっそこれは宣言なのかもしれない。強く。吠えるように。


「目標、確保ぉっ!!」


 抱き締めるマリアと目が合った。


 言葉を交わさずとも、ただのそれだけで、エティエンヌは駆け出す力が湧いて出た。



   ◆◆◆



 マリアは混乱していた。


 ほんの少し前、彼女は多くを諦めたはずだった。悪魔と共に煉獄のごとき風景を眺め、寄る辺なき我が身を悲しみ、世界を寒々しく感じた。


 温かな何ものからも別離してしまって、あとはただ冷たく乾いていくより仕方もない……まるで死そのもののような不死を甘受しようとしていたのだ。


 いや、それでも心の奥底では信じていたのかもしれない。


 廊下で銃声が鳴った時、突如として期待が胸に甦った。彼女かもしれないと。

 だから、アルファベータが窓辺を離れて潜んだ時、すぐにも扉の向こうへ警告しようとした。


 それよりも早く扉が蹴り開けられた時……総毛立つようなその瞬間には、心に激しいものが吹き荒れて身体が破けてしまうかと思った。


 現実には光と音と煙が爆発した。


 手榴弾か何かだろうか、などという疑問が思考の表層にチラリとよぎることくらいしかできなかった。体当たりされ、抱えられ、二階から外へと飛び出すことになったのだから。


 固く抱きしめられていても、不安と恐れがあった。手を引かれて宙へ歩行した時にはまるで何も感じなかったというのに。


 強く地面に打ちつけられて、痛みに息が詰まった。ドラゴンの背中に乗っての移動では風すらも感じなかったというのに。


 マリアは熱く息を吐いた。悪魔と共に人の死を目に映す窓辺で凍りつかんとしていた心が、今、激しく揺れ動いている。落ち着くことができないほどだ。


 生きている。


 地上へ落ち、土に塗れて、強く抱きしめられて……マリアは生きているのだ。


「目標、確保ぉっ!!」


 エティエンヌが勇ましく大声を発した。


 彼女の目を見る。彼女もまた見てくる。その力強い視線に浴する。


「行くぞ、マリア」

「ええ、エティエンヌ」


 支え合うようにして走り出した。


 屋敷を振り返ることはしなかった。背を熱する炎にも耳を打つ咆哮にも気持ちを挫かれない。新十字軍の兵士たちが勇気を示しているからだ。


「騎士! 援護します!」

「頼む!」

「了解です! 各員、弾薬を惜しむな! もう遠慮はいらん、屋敷ごと吹き飛ばしてやれ!」


 銃を構える者がいる一方で、傷にのたうつ者、倒れ伏して動かない者もいる。戦争がディテイールを伴ってそこら中に存在している。


 呼吸のたびに肺腑に入ってくるものは、はたして生か死か。懸命に戦う兵士の心によぎるものは、はたして希望か絶望か。いずれにせよ、熱い。生々しい。狂おしい。無関係ではいられない。


 ああ……生きている。


 マリアは生きるためにこそ友を支え、支えられ、走るのだ。


 木立の間を抜けて、夜の暗がりの奥へ。その先に待つのだろう、何か救いをもたらすものへ。


「……っ! 伏せろ!!」


 背を強く押さえられるのと、頭上を一陣の風が通り過ぎるのとがほぼ同時だった。


「盾にせず、むしろ盾になりますか。本当にヒーローのようですね」


 黒衣の人影が行く手を塞いだ。木の幹に垂直に立つのはアルファベータだ。


「見当違いの愚考愚行ではあります。しかし愛でるには値するかもしれません。もしもその気があおありならば、聖母の供回りとして雇いあげるのも一興でしょうか」


 地に降りず奇怪なままに微笑み語る。いかにもな振る舞いであるとマリアは思う。


 エティエンヌもまた彼女らしく応じた。銃撃である。


 彼女の抱え持つ銃から次々と飛び出してくる薬莢を不思議に思うその一方で、マリアは、弾丸が一発としてアルファベータに届かないことを当然のように見ていた。


 人一人を容易く殺傷する銃撃が、あの悪魔には届かない。透明な壁に弾かれる。

そもそも相手は不死なのだ。仮に届いたとして殺すことはできない。それでもエティエンヌは発砲を止めないし、アルファベータはそれを防ぎ続ける。


 後者の理由は何とはなしに察せられる。敢えて当たる必要もないとうことなのだろう。


 では前者は? 先には銃弾ではなく目くらましの爆弾を使ったエティエンヌが、なぜ今再びに同じことをしないのか。


 その答えもまた、銃撃であった。


 アルファベータが飛んだ。空へと逃れた。彼の横合いから銃弾が飛来したからだ。


「騎士、今のうちに!」

「デヴィッド修道士!」

「おっつけ班員も駆けつけます。お早く!」

「いや、せめて一撃してからでなければ逃げきれない! 脱出手段を思い出せ!」

「それでも……むおっ!?」


 背筋が寒くなるような切断音がして、一本の木が枝葉諸共に崩れた。デヴィッドと呼ばれた黒人兵士がそれに巻き込まれた。


「盾であり槍であるだけでなく、剣でもあり……その全て見えないとはな! ふざけた武器だ!」


 大声でそんなことを言いいつつ、エティエンヌが二つ三つと小筒を放った。


 また、あれか。


 マリアは目をつむり耳を押えたが、先程のような光も音も生じなかった。その代わりにか大量の白煙が辺りを覆い尽くしていく。たちまちに全てが雲の中といった有り様だ。


「体制を整える。離れずにいてくれ」

「煙に紛れて逃げるのではないのですね?」

「そうできればそうしたい。だが、空中をああも高速で移動する相手では……」

「信じます。私はどうすればいいですか?」

「私を信じ続けてくれ。どうにかしてみせる……!」


 身を屈めて移動する。黒人兵士がいるだろうところへ。


「……デヴィッド、動けるか?」


 彼は生きていた。まさに這いずり出てきたところだった。


「は、戦えます。私が囮になりますので騎士は合流地点へ」

「いや、役割を交換してくれ。マリアを頼む」

「何を馬鹿な!」

「あの不死人は私に関心を持っているし、マリアと結び付けて考えている。適材適所だ。デヴィッド修道士は『繁殖牝馬』を護送し合流地点へ急げ」

「騎士には騎士の任務が……」

「議論する気はない。これは命令だ。復唱しろ、修道士」

「……いいえ、命令を拒否します」


 そう言うなり、黒人兵士は腰から何かを取り出した。右手に握られたそれは注射器だ。黒く淀んだ液体がシリンダーの中でぬたりと揺れた。


「な、何を……」

「上位命令により特務を実行します」


 僅かな躊躇いの後に、彼はそれを左胸へ突き刺した。


「正気か、修道士……!」

「ふ……騎士は中々に難しいことをお聞きになりますな。勝つためには時に狂気も必要ということです。もうご存知でしょうに。我々の戦うこれは、そういう闘争である、とっ!」


 彼の黒い顔面に異常な太さで血管が浮かび上がった。脈動が見て取れる。見る間に血管が伸長していく。肩が、腹が、足が、酷く痙攣して……濁った音を内に含んで……変形、変質していく。


 まるで、怪物のように。


「ま、まさ、か……まさか……」

「毒、には、毒を。化け物、に、は、化け物を……時を、かせぎ、ます」

「お前が……私以外の班員が、皆、あんな風に怯えていたのは……!」

「おに、ゲ、くだサ、い!」


 目が訴えていた。


 血走っていながらも、真っ直ぐに見つめてくる二つ瞳が……必死に何かを伝えていた。


 だから、マリアは友の腕を引いた。


「エティエンヌ、行きましょう」

「う、嘘だ……こんな、こんなことが……」


 エティエンヌは震えていた。歯がガチガチと鳴り、口がパクパクと意味もなく開閉を繰り返す。


 新十字軍が、と呟いた声の何と悲惨なことか。兄さん、と漏らした声の、何と不憫なことか。


 そして、何という瞳か。


 紫水晶のような彼女のそれは、常の強い輝きを失って、水気の中に儚げに揺らめいている。


「エティエンヌ! 行かなければ……生きなければ、今は!」


 頬を張った。必要と思ってのことだ。


 しかし、パンと鳴ったその音が、災いをも招き寄せた。


「ああ、そこにおられましたか」


 悪魔だ。煙が音もなく散らされて、アルファベータが黒き姿を現した。


 世界を馬鹿にして誰憚ることもないその男は、皮肉げに歪めた唇で何かを言おうとした。


 雄叫びがそれを遮った。


 振り向くその間も与えずに、人ではなくなったものが悪魔へと飛び掛かった。軍服を裂いてゴリラのような毛むくじゃらの上半身が露になっていた。


 マリアは、それから目を背けた。背けなければならなかった。


「エティエンヌ……エティエンヌ、走りなさい!」


 手を引き、地を蹴る。白く濁って見通せない先へと跳び込む。


 あの肌の黒い男は死ぬだろう。怪物になっても、きっと勝てやしない。けれど最後の瞬間まで抗うに違いない。命を燃やして喰らいつくに決まっている。


 死は、人を縛りつけられやしない。


 死と向き合って初めて、人は、偉大になりうるのだ。


「不死……不死とは、なんて……」


 マリアは歯を食いしばり、嗚咽を堪えた。


 エティエンヌの手を強く強く握り締めて、マリアは駆け続けた。

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